新湯の里信号場(旧称)
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▼この信号場について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新湯の里(旧称・信号場) | しんゆのさと | 湯ノ里(廃駅) | 北海道 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1988年 | - - - - 年 |
▼この信号場を走る路線
▼かつてこの信号場を走っていた路線
▼備考
津軽海峡線の北海道側の信号場として、1988年にこの信号場名で開業した(同時に、青森県側には新中小国信号場も開業)。
元々、付近には国鉄/JR松前線(まつまえせん)が通っていた。松前線は、木古内駅から海沿いを通って南下し、渡島知内駅(後述)や湯ノ里駅(新抜き駅、後述)などを通って松前駅まで伸びていたが、1988年の津軽海峡線開通の直前に、入れ替わるようにして廃線。松前線は、付近の国道整備が進んだ事で利用者が減少した事などを理由に廃止された。しかし、松前線時代には、ここからうんと東の海沿いの知内の市街地に松前線の渡島知内駅があったが、その廃止で地元住民が鉄道を失ったため、この信号場を駅として使わせてほしいとの請願が出された。そのため、ここは1990年に「信号場」から「駅」に格上げされ、「知内駅」になった。
暫く「知内駅」としての営業が続いたが、後に北海道新幹線がここを通る事や、利用客の減少などを受け、知内駅は駅としては2014年3月14日に廃止され、再び信号場に降格、「知内信号場」となった(同日に同じ理由で吉岡海底駅・竜飛海底駅も廃止)。
その後、2016年の北海道新幹線開業以降は、新幹線用の設備も加えられた「湯の里知内信号場」として整備されている(知内駅時代のホームは撤去)。ここは、津軽海峡線の貨物列車と線路を共用する、三線軌条の区間にある。駅ではなくなった現在も、隣接する道の駅しりうちの敷地内に設置された新幹線展望塔からは、この貨物列車と新幹線が混在する特殊な光景を眺められる。
また、北海道は豪雪地帯で、線路の分岐器(ポイント)に雪が詰まると使えなくなってしまうため、分岐器部分はスノーシェッド(雪よけの大きな屋根)で覆われている。北海道では分岐点をスノーシェッドで覆うのは当たり前で、他にも例えば西新得信号場でも、スノーシェッドを航空写真で確認できる。
※新抜き駅は松前線の駅で、ここからすぐ西の、知内川を挟んだ向かいの湯ノ里集落にあった(「ノ」の表記が違うが、地理的にも意味合い的にも新抜き駅である事は明白なため、新抜き駅とした)。
※当信号場のすぐ南西には青函トンネルの北海道側出口もあり、それを眺めるための青函トンネル記念撮影台というのもある。但し、実際に見える出口はあくまで第一湯の里トンネルのものであり、本当の青函トンネルの出口は更に南西のコモナイ川橋梁を挟んだ先にある。コモナイ川橋梁は、第一湯の里トンネルと青函トンネルに挟まれた短いものだが、シェルターに覆われている上に両隣のトンネルとほぼ一体化した造りになっているため、電車内からはトンネルと殆ど区別がつかない。また、コモナイ川の谷は森が深く接近が困難なため、青函トンネルの出口は外から見るのも難しい。そのため、第一湯の里トンネルの札幌側出口が事実上の青函トンネルの北海道側出口のように扱われていて、「青函隧道」の扁額も第一湯の里トンネルの方に付いている。両トンネルと橋梁の位置関係は、地理院地図でよく分かる。 ▼関連写真