新がつく駅地図手帖

▼About 

「新」がつく駅名を日本中から集めた、データベースサイトです。よく、「新○○駅」とか「新なんとか駅」とも言われるやつです。例えば、「新横浜」、「新大阪」などが有名です。中には「にい」とか「あら」と読む駅もありますが、多くは「しん」と読み、それを外した駅とセットになっています(「横浜」、「大阪」など)。

作者が何も鉄道について知らない所から勝手に調べて集め始めたのが最初。元々山いが系の廃なものが好きだったため、その延長の廃線趣味も兼ね、「新」がつく駅の百科事典としたが、Webサイトが出尽くし、成熟・衰退したこの時代にも拘らず、意外と「新」がつく駅専門のサイトが存在しなかったため、サイト化。

新しい写真や駅データの掲載は、更新履歴で追う事ができます。

▼「新がつく駅」とは 

そもそも「新がつく駅」とは何でしょうか。曲がりなりにも「新がつく駅」のサイトなので、それについて知る章をいくつか設けました。何も知らずに呆然とサイト内の収録駅を眺めていてもつまらないだけですが、以下を読んでから各駅のページを見ると、色々と違った見え方がして面白くなるはずです。

なぜ「新」がつく?その意味 … 「新」という接頭辞が持つ意味や、それが駅名として使われるに至った背景や理由について考察。

借り物地名の命名傾向 … 「新」などの接頭辞・接尾辞を使って他所の地名を借りる命名を通し、時代による命名方法の変遷や、理想の命名方法について考察。

「新」がつく駅のランキング … 「新」がつく駅についての、様々なランキング

新抜き駅との対比 … 「新」がつく駅とつかない駅をペアと見なし、その2駅の関係性や差分について考察。

話題の考察 … 「新」がつく駅の話題で人々が盛り上がる理由。

サイト案内 … このサイト内を実際に探検する時の案内。

各種一覧リスト … 需要がありそうな各種駅一覧リストをまとめた章。例えば、「新幹線の駅のみに絞った駅一覧が見たい」などという時はここへ。

▼なぜ「新」がつく?その意味 

何か新しい施設を建造した時、全く新しい名前を付けるよりも、初代もしくは既存施設の存在を仄めかしつつ、「2代目以降の」「代替の」「既存とは別の」という意味合いの名前を付けたい時があります。そういう時に、「新」が使われます。ここで「新がつく駅名」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、そのパターンと思われます。

この傾向はなにも駅名に限ったものではなく、橋やトンネル、JCTや道路、変電所や水路、建物名など、他の様々な施設や設備・建造物の名前にも同様の傾向が見られます。「新荒川大橋」、「新常盤橋」、「新丹那トンネル」、「新四日市JCT」、「新名神高速道路」、「新御堂筋」、「新筑波変電所」、「新中川」、「新丸の内ビルディング」などがそうです。成田空港も、当初は「新東京国際空港」と呼ばれていました。当サイトで扱うのは、こうした命名方法の駅名版に過ぎないのです。ちなみに、「新」がつく東京の橋をまとめたサイトもあるようです。

よくある誤解が、「新がつく駅名は新幹線駅に多いから、駅名の『新』は『新幹線』の『新』を意味する」というもの。これは俗説としてよく見かけますが、根拠はありません。それが本当なら、新幹線の通らない駅にも「新」がついている理由を説明できないし、京都駅の新幹線ホームを「新京都駅」と呼んでもおかしくない事になってしまいます。実際には、新幹線はなるべく線路を真っ直ぐ敷く関係上、既存の駅から少々離れた場所にしょうがなく駅を設けざるを得ない場合が多く、その時に既存駅の「代替」として造られるのが「新がつく駅」だったりします。「代替駅を造る」というシチュエーションが、たまたま新幹線建設時に多く見られるだけなのです。逆に、既存駅の中にうまく新幹線を通せた場合は、そのホームは既存駅の一部として「新」をつけずに既存駅名を名乗るのです。前述の京都駅も、東京駅・熱海駅・仙台駅・岡山駅なども全てそうなっている事が分かります。一応、「新幹線」の「新」自体にも「既存の『幹線』(東海道本線など)に対する2代目の」の意味合いがありますが、それと各駅名には直接の関係はありません。新東名高速道路でも新秦野IC・新御殿場IC・新富士IC・新清水IC・新静岡ICとやたらIC名に「新」がつきますが、「これは『新東名』の『新』なのか」と問うているようなものです。

確かにこの俗説は、「新がつく新幹線駅」のみに絞れば、あながち間違いと断定する事もできず、「結果的に正しい」とすら言えるでしょう。しかし、「新幹線なのに新がつかない駅」、「新幹線じゃないのに新がつく駅」はどうでしょうか。それらを恣意的に避けた上で、「新」の由来を「新がつく新幹線駅」のみに求めたこの俗説は、やはり不自然と言わざるを得ません。この俗説は、まず先に「新幹線の新であってほしい」という根拠の無い願望があり、最初からその結論ありきで偏った事例(=新がつく新幹線駅)のみを集めたもののように思えるのです。新幹線駅の命名をした国鉄は、公式に「新」の意味について言及していません。つまり、厳密には正解はありません。ならば、新幹線に限らず在来線での事例も含めた接頭辞として一般化された解釈の方が、あのような俗説よりも遥かにましであり、自然です。「3、5、7」と数字が並ぶのを見て、「奇数の列挙だ」と言いふらしても、あながち間違いではありません。その3つの数字だけに絞れば、「結果的に正しい」とすら言えます。しかし、3の前が「2」で、7の次が「11」であると明かされた後も、同じ説を唱え続ける事ができるでしょうか。数字の列挙者は恐らく、奇数を列挙しているつもりではありません。なのに、世間では奇数説が流行してしまっているような状態なのです。

俗説の話はここまでにしておいて、話を戻します。そもそも、駅名にしろ橋やトンネルの名前にしろ、わざわざ初代施設の名前を借りてまで「2代目以降の」「代替の」「既存とは別の」のような意味を持たせる理由は何でしょうか。答えは命名者や場面によって様々ですが、主に、「敢えて既存の名前を借りたかったから」という積極的な理由と、「既存の名前を借りるしかなかったから」という消極的な理由に大別できそうです。両方の理由が融合している場合でも、この2つに分解できます。

まず、「敢えて既存の名前を借りたかったから」という積極的な理由から見ていきます。その中にもいくつかパターンがありますが、主に乗換駅連絡駅の設置時にこの理由が見られる事が多いです。

例えば、「同一駅と言うには微妙に離れている・もしくは業務上別駅として切り離したいが、新抜き駅(=「新」を外した駅)への乗換駅だという事をはっきりさせるために、是非とも同じ名前を入れたい」というケースがあります。新松田駅新祝園駅新八柱駅新福島駅などが、それに該当します。他にも、後述の名鉄や、最初期の新木津駅・駿遠線の新袋井駅新藤枝駅も、おそらくこれです。中でも、かつて国鉄の新抜き駅のすぐ目の前に設置され、そこで自社路線へ乗り換えてもらうという、「国鉄駅前にある私鉄の始発駅」というパターンは特に目立ちました。これは名鉄含む全国の私鉄でちらほら見られましたが、特に加賀地方はこのパターンに当てはまる駅が新寺井駅新小松駅新粟津駅新動橋駅という風に何駅も連なり、非常にこれを実感しやすい場所でした。国鉄路線が長距離移動を担う木の幹のような存在だった一方、各私鉄はその各駅前を起点とし、そこから枝分かれして細かい地域をカバーする枝葉のような存在だったと言えます。

また、「乗り換えできるほど近くはないが、大きな目線で見ると、その地区への連絡を担う駅のため、敢えてその地区名を借りないとむしろ分かりにくくなる」というケースもあります。これは新幹線の駅で特に顕著で、新横浜駅も、「横浜という都市への連絡駅」だという事をはっきりさせる意図があったはずです。初期の新横浜駅周辺は水田地帯の田舎で、その住所は「篠原町」などといったローカルなものでした。しかし、もし新幹線駅が「篠原駅」のような名前だったら、篠原町の住民がその駅を使う事はあっても、肝心の横浜へ行きたい人々にとってはあまりに分かりづらい駅名です。そのため、敢えて「横浜」の名を借りた命名をしたのです。

「地区・都市への連絡駅」と解釈できる駅は、新幹線以外にもあります。これは既に別の鉄道会社が同じ地区・都市内の別の場所に同名の駅を造ってしまっている場合によく見られ、新鹿沼駅新中野駅新三河島駅などが該当します。この場合、「新」がつく駅自体がその都市・地区への第2の連絡駅として機能し得るため、必ずしも新抜き駅まで線路が繋がっている必要はありません。

こうした「乗換駅」「連絡駅」といったケースは、上記のような他路線同士の場合のみならず、同一路線内でも見られます。例えば、新越谷駅と越谷駅は同一路線にありますが、越谷駅が越谷市街自体への直接のアクセスを担うのに対し、新越谷駅は、武蔵野線の利用者が越谷駅へ行くための乗換駅として機能します(乗換客の大半は越谷アクセスではなく東武伊勢崎線へ乗る事自体が目的とは言え、駅名の解釈的には越谷アクセスと言えます)。また、各行先の分岐点(乗り換え地点)に設置された新安城駅新飯塚駅新栃木駅新前橋駅なども、乗り換えや連絡を担っていると言えます。これらの駅名には、「新抜き駅のある地区へ行きたいならば、この駅で乗り換えるといいよ」というメッセージが込められていると解釈できるのです。

乗換駅に「新」がつく駅が多い理由の1つとして、「長い歴史の中で徐々に路線網を構築していく関係上、その過程で後から乗換駅が設置される事が多いため、乗換駅が設置された頃には大抵、既に新抜き駅が存在している」という事情が考えられます。つまり、乗換駅の設置はどうしても後付けになってしまうのです。初めから完成された路線網を造るのは、至難の業です。

ところで、新加美駅は一見すると加美駅との乗換駅のように見えますが、実は乗換駅ではありません。「新加美」という駅名はどちらかと言うと、乗換駅というよりも、「おおさか東線としての加美地区への連絡駅」と解釈した方が無難です。

中には、大して乗り換え・連絡・新抜き都市へのアクセスの役割を持たないにも拘らず、運行業務上の都合で、新抜き駅との書類上の対応駅とされた駅もあります。新垂井駅新川崎駅がそれで、前者は垂井市街からどうしようもなく離れており、後者ももはや川崎市街とは別の市街地にあります。これらはさっきまでとはまた別のケースですが、敢えて命名されたという点では、積極的な理由の1つです。

積極的な理由として他に、「その駅自身が純粋に直系・後継の施設であり、それを敢えて明示した」というケースもあります。移転を挟んでリニューアルしたなどという場合がそれで、長崎電気軌道の新中川町停留場や、天神大牟田線の新栄町駅などが該当します。また、移転を伴わずとも、ある種のリニューアルを挟んで「新」をつけたと思われる新高徳駅の事例もあります。オリジナルの存在との区別を時間軸でするか、地図上でするかの違いです。「新しい」という概念は本来時間軸に則って定義されたものなので、この「新」のつけ方は、接頭辞の「新」が持つ本来の意味に最も近い用法かもしれません。ただ、移転やリニューアルによって「新」をつけるというこのケースはかなり珍しく、事例は少なめです。常磐線の復旧時に移設された山下駅坂元駅も、移設後の駅名に「新」がつく仮称が使われたものの、実際には改称せずにそのまま移設だけが行われています。

次に、消極的な方の理由を見ていきます。「既存の名前を借りるしかない」という状況は、主に郊外にニュータウンを造成したり、埋め立て地を開発したりといった、全く新しい地区を誕生させた時に発生する事が多いです。例えば、新白岡駅新浦安駅、更には武蔵野線の多くの駅が、これに該当します。

新白岡駅が開業するきっかけとなった白岡ニュータウンは、1970~1980年代以降に造成された新しい地区です。それが出来る前は、辺り一帯に水田が広がり、その合間に民家が点在する散村(散居村)のような地区でした。そのような地区には、「高岩」「駒形」「野中」「野牛」などといったローカルでマニアックな地名しか存在せず、駅名やニュータウン名に使えるほどの目立った地名はありませんでした。白岡町(現・白岡市)が街を挙げて誕生させるニュータウンの名前が「高岩ニュータウン」ではあまりにパッとしない上、ニュータウンの立地場所も掴みにくくなります。これは駅名でも同様で、後の章で後述するように、鉄道の駅名にはビッグな地名が使われる事が多いです。そのため、「白岡」というよりビッグな地名を借りて、命名されたのです。これは見方によっては上記の新横浜のケースと似ていますが、新横浜には「横浜市街への連絡」という、「横浜」の名を借りざるを得ない使命が課されていたのに対し、こちらに課されたのは「ニュータウンへの連絡」という別の使命であり、ニュータウン名次第では「白岡」の名を借りない事もあり得ました。やりようによっては、全く新しいニュータウン名を1から考案したり、元々あったマニアックな地名をニュータウン名風にアレンジする事でビッグな地名へと成長させていた可能性もあったのです。例えば、もしも「高岩」を使って「高岩の杜」「高岩ヶ原」「高岩公園都市」などのようなニュータウン名が考案されていた場合、駅名も「高岩」を使ったものになっていた可能性が高いのです。その点で、「『白岡』の名を借りざるを得ない」というほどでもないため、消極的な命名と言えます。ところで、ニュータウン名こそ「白岡ニュータウン」ですが、その住所は「埼玉県白岡市新白岡」です。

また、郊外ばかりを選んで敷設された武蔵野線の駅名にも、同様の事情があったと言えます。元々貨物専用線として建設された武蔵野線は、旅客が利用する前提では造られていなかったため、既存の街の中心部をあまり通らない郊外中心の路線となりました。後に旅客路線として計画が変わり、結果的に沿線の未開発の郊外部に多くの宅地開発をもたらしましたが、その時、駅名や地区名をどうするかという問題にぶつかりました。これは新三郷のみならず、東所沢・北朝霞(朝霞台)・東浦和・南越谷(新越谷)・新松戸も全て、新白岡と同様の状況です。つまり、元が田舎であり、あまりにローカルな地名しか存在しなかったため、「三郷」「所沢」「朝霞」「浦和」「越谷」「松戸」といった既存のビッグな地名を借りるしかなかったのです。武蔵野線の駅名は、その大半がこうした「借り物地名」である事でも有名です。

他に、新柏駅新取手駅新札幌駅なども、新白岡駅や武蔵野線の時と同様、「周辺の新たな開発がもたらした『新』がつく駅」と解釈できます。これは計画的に建設されたいわゆるニュータウンに限らず、沿線が後から自然と市街地化して需要が増えたために設置された新蒲原駅新大楽毛駅なども、同様の事例と言えます。また、単なる宅地や市街地に限らず、新船橋駅新利府駅も、「駅前への工場の進出」「駅前への車両基地の建設」というある種の開発がきっかけです。

新浦安駅の場合、そもそもそこには昔、地名が存在しませんでした。元はだったのを埋め立てて、新たに造った陸地だからです。前述の新白岡や武蔵野線のケースとは若干違うものの、「駅名に使える地名が存在しなかったために他所からビッグな地名を借りるしかなかった」という意味では、新浦安も全く同じ事例と言えます。陸地(田舎)を開発するか、海を開発するかの違いでしかないのです。浦安市の居住区域は、主に「元町」「中町」「新町」(PDF)の3つに分かれています。中町・新町が埋め立て地に当たり、中町には新浦安駅とその近隣の団地街が、新町には更に新しい湾岸ニュータウンが造られました。一方、元町こそがオリジナルの陸地に古くからある浦安市街であり、東京メトロ東西線の浦安駅(新抜き駅)もそこにあります。中町・新町といった新しい街区には元々地名がなかったため、その玄関口の駅名として、元町側から「浦安」の名を借りてきたのです。

以上、「新」がつく理由について主なものを考察してきましたが、当然ながら、上記考察のどれにも該当しない駅もあります。例えば、遠隔地にたまたま同じ地名があり、ただ単に重複を避けるためだけに「新」をつけたケースなどがそれです(それについては後述します)。そして、上記はあくまで個人の解釈に過ぎません。というのも、実は新板橋駅のように命名理由がはっきりしていなかったり、理由が正式に公表されていない駅が大半だからです。よって、推測を入れて考察を進めるしかないため、ある種の読み物として楽しむ程度に緩く捉えるのをお勧めします。

「新」のつけ方には、いくつか法則やパターンも見られます。それについて詳しく考察しているサイトもあるので、そちらを読むのも面白いかもしれません。

▼借り物地名の命名傾向 

前章では多くの事例を見てきましたが、こうして事例を並べてみると、地名の借り方には、「新」だけでなく他にも方法がある事に気付きます。例えば前章の武蔵野線の駅は、「新」ではなく「東西南北」を冠している駅も多くあります。武蔵野線が敷設された1970年代には、全国で宅地開発や鉄道建設が加速した結果、こうした「借り物地名」の便利さが光っていきました。それは、「台」がつく地名や駅名も同様です。「借り物地名」は命名が楽な上、近隣から借りているため立地場所がイメージしやすいケースも多いので、物凄い勢いで進む開発にも命名が追い付いたのです。

しかし、1970年代はまだ命名のノウハウが少なく、地名の「借り方のバリエーション」が乏しくもありました。つまり、「新」や「東西南北」「台」くらいしか方法がなかったのです(但し、関西では「」という独特な接尾辞も多く使われました)。以前から使われてきた「旧国名」を冠する方法(次々章で後述)は、ニュータウン名としては古臭く響くためか、あまり採用例を見ません。すると、少ないバリエーションへ命名が殺到した事で必然的に似た地名や駅名が増え、問題が起こるようになりました。例えば、地名を借りる事の便利さに頼りすぎた結果、浦和シリーズのような混乱や、車掌のアナウンスに支障をきたす場面も出始めました。他にも、「台」がつく地名が連続したりして、国鉄だけでなく住民も地名を間違えやすくなりました。

こうした問題を受け、地名の借り方のバリエーションをもっと工夫して増やす事が考えられました。業務上区別できればよい変電所名や水路名・信号場名などでは「新」を使ってもさほど問題は表面化しないものの、駅名ともなると業務外の一般大衆にとっても分かりやすくする必要が出てくるため、1980~1990年代以降のより後発の駅では、「借り物地名」を名乗る時に「新」や「東西南北」を敢えて採用しない駅が増え始めました。例えば、仮称「西幕張駅」は、1981年の開業時に「幕張本郷駅」となり、仮称「幕張駅」は、1986年の開業時に「海浜幕張駅」となりました。1986年の「検見川駅」、1990年の「いずみ中央」、1991年の「トロッコ亀岡駅」、1993年の「ふじみ駅」(富士見+野、但し駅のある富士見市は後の平成の大合併に加わる事を拒否したためこの駅はふじみ野市に無い)、1995年の「おゆみ駅」(生実+野、地名の命名は1983年)、2005年の「りんくう常滑駅」もそうです。「浜」や「中央」「野」などといったまだ比較的あまり使われていなかった接頭辞・接尾辞へ活路を見出したり、別の単語や地名を合成する方法が取られ始め、地名の借り方は多様化していきました。そして、この風潮は在来線に留まらず、新幹線にまで及びました。

全国で開発や新線建設が盛んだったものの、地名の借り方のバリエーションがまだ少なく、多様化していなかった1970年代。当時は武蔵野線だけでなく、田中角栄の提唱した日本列島改造論も相まって、新幹線の建設も進められていました。ちょうどその頃に開通した新幹線として、山陽新幹線があります。後述しますが、山陽新幹線は他の新幹線と比べて特に「新」がつく駅が多く、それらを例示する事で前述の俗説が叫ばれる事もしばしばです。しかし、それらも当時(1970年代)の風潮の一部に過ぎなかったと考えればどうでしょう。つまり、山陽新幹線の駅名に「新」が多い理由は、「『新』幹線だから」ではなく、同時期に建設された武蔵野線の駅名に「新」が多い理由と同じであり、当時の新線建設・新駅命名方法の定石事例の一部に過ぎなかった、と言えるのです。そう考えた方が自然であり、やはり例の俗説はおかしい、という事になります。「借り方のバリエーションが少ない」という当時の時代風潮が「新」を増やし、その一例として新幹線や武蔵野線が挙げられる、というだけの話なのです。一方、1980年代以降になると、(JR九州を除いて)新幹線の駅名でも「新」が避けられる傾向が出始めました。例えば、1982年に東北・上越新幹線が開通した時、1970年代ならば無難に「新白石駅」としていたはずの所を敢えて「白石蔵王駅」としたり、「くりこま高原駅」や「燕三条駅」など、「新」の気配を微塵も感じさせない駅名が急増しました。これらも、上記の在来線での話と同様の風潮変化の一部、つまり地名の借り方が多様化した結果と思われるのです。

※一方、私鉄では国鉄よりも早くから多様な命名方法を実践していたらしく、「たまプラーザ駅」は1966年、「多摩センター駅」は1974年の開業です。「田園調布駅」に至っては、命名が1926年と戦前です。私鉄は時代を先取りしていたようです。また、宅地名の接尾辞として「台」と共によく見る「ヶ丘」「が丘」「の丘」などというものもありますが、これは他所の地名を借りて一部とする「借り物地名」の接尾辞としてはあまり使われていません(使用例がないわけではないものの、「台」に比べると圧倒的に少ないです)。探してみて、辛うじて「狭山ヶ丘」「三好ヶ丘」がやっと見つかれば良い方で、殆どは「緑ヶ丘」「桜ヶ丘」「百合ヶ丘」「自由が丘」「四季の丘」などのように、地名ではない単語(「緑」「桜」「百合」「自由」「四季」など、往々にして綺麗な響きの一般名詞)についています。それらは地名を借りていないため「借り物地名」とは言えず、どちらかと言うと「瑞祥地名」(後述)に分類されます。ここではあくまで借り物地名の話をしているため、借り物地名としての使用例が少ない「ヶ丘」は、あまり出る幕がありません。一方、瑞祥地名としての「台」の使用例も勿論ありますが、「ヶ丘」ほど激しく瑞祥地名寄りに偏っているわけではありません。

1970年代にはその便利さから「新」「東西南北」「台」が大量に使われ、1980~2000年代にはそれらを使いすぎた事による混乱を避けるため新たな接頭辞や接尾辞が模索されました。しかし、更に時代が進んで2010年代に入ると、各地域がPRや沿線施設・世間の声について気にするようになったためか、むやみに平仮名や片仮名を使った駅名や、変に凝った長い合成駅名、議論が行き詰まった事による妥協駅名が目立つようになってきました。これはある意味、多様化が進みすぎた事で各々が個を主張しすぎ、衝突している状態とも言えます。その結果、逆に分かりにくい・覚えにくい地名や駅名が誕生するようになりました。「新」「東西南北」「台」に頼りすぎても分かりにくく、頼らずに奇をてらいすぎても分かりにくいという、いわばそれぞれの命名方法の持つ特徴の両端が見えたのです。最近になって原点回帰したように「新綱島」の駅名が選ばれたのは、印象的です。

駅名と命名は切っても切れない関係にあり、これは命名に関する長い試行錯誤の歴史とも言えます。その中で、「良い命名方法とはどうあるべきか」、「どうすれば定着するのか」といった知見が、段々と得られてきました。鍵となるのは、論点の見直しです。すなわち、「『新』や『東西南北』『台』を使うべきか否か」ではなく、「しっくりくるかどうか」・「分かりやすいかどうか」・「無駄な飾りがないかどうか」などといった別な論点を基準にして命名すべき、という事です。「新」を避ければ分かりやすくなるのかと言えば、違います。逆に、好んで「新」を使えば分かりやすくなるのかと言っても、否です。大事なのは、「『新』を使うべきか否か」ではないのです。それを問うている限り、答えは出ません。そして、「しっくり具合」や「分かりやすさ」というのは決まっておらず、完全にケースバイケースです。そのため、その都度決めていくしかありません。つまり、「新」が最も適している場合もあれば、他の命名が最も適している場合もある、という事です。

駅名・地名のみならず、全ての命名は、試行錯誤の繰り返しでした。「E電」「彩の国スタジアム線」は受け入れられず、「湘南新宿ライン」「埼玉スタジアム線」は定着しました。両者の違いは何だったのでしょうか。おそらく、「しっくり具合」や「分かりやすさ」、「無駄な飾りのなさ」が鍵を握っています。

ただ最近では、たとえしっくり具合や分かりやすさを兼ね揃えていたとしても、瑞祥地名(響きが良いだけの、歴史や地形を無視した地名)には気を付けた方が良い、とも指摘されるようになりました。というのも、瑞祥地名の輝きに騙されて家を買ってしまい、実際には洪水しやすい低湿地だったり、谷を埋めた脆弱な地盤だったりといった問題が後から判明するトラブルが社会問題化しているからです。全くのオリジナルな地名を1から考案し、キラキラな地名で入居者を騙すくらいなら、既存の地名を借りた方が、綺麗さに頼っていない点でまだましです。瑞祥地名の場所が全て危険なわけではなく、たまたま地盤が良い場合も勿論多いですが、開発前の地形図やハザードマップなどを確認しておくのが吉です。

▼「新」がつく駅のランキング 

この手の話題で特に注目されるのは、「どの『新○○駅』が一番古いのか」、「『新』がつく駅を一番多く持つ鉄道会社はどこか」などといったランキングものです。

前者は、「新」がつく駅の古さランキングを見て下さい。

後者は、新駅誕生や運営会社再編(合併・分社化など)の度に変動するため何とも言えませんが、検索で調べられます。2024年現在の当サイト内収録駅数で調べると、JR東日本が92駅と最も多く、次いで東京都交通局48駅JR西日本42駅名鉄40駅と続きます。JRは、その規模・カバー範囲の広さから多くなるのは当たり前として、注目すべきはそれ以外です。

名鉄は、愛知県・岐阜県南部という限られた範囲にも拘らず、JR西日本に迫る膨大な駅数です。過去・現在を通して、如何に名鉄に「新」がつく駅が多いかが分かります。この多さは、名鉄沿線民もなんとなく共感できるかもしれません。というのも、例えば同名の駅が他社路線にあった場合、普通なら「京急川崎」のように駅名に自社名を冠する一方、代わりに「新」を冠するのが長年の名鉄スタイルだった、とする言説も見られるからです。新名古屋駅は、その典型です。

一方、意外なのは東京都交通局。現存駅に絞れば際立って多いわけでもないですが、かつて巨大な路線網を誇った都電の電停に「新」がつくものが多かった事が効いているようです。また、新宿シリーズの高密度さも無視できません。鉄道における東京都交通局のカバー範囲は名鉄以上に狭く、ほぼ東京23区内のみという非常に限られた範囲にも拘らず、総駅数で2位に食い込んでいます。使う人がいてこそ駅は設置されるため、東京の人口の多さがここに表れているのかもしれません。

人口が多い地域ほど1つの地名の指す区画が狭くなり、ちょっと離れただけでもう別の地名が付いていたりします(例えば、六本木からちょっと歩いただけで麻布です)。逆に、北海道・高山市・浜松市や、相模原市の緑区、昔の陸奥・出羽などの事例を見れば分かる通り、人口の少ない地域ほど、1地名の指す範囲が広くなる傾向があります。そのため、人口の多い都会の方が単位面積当たりの地名数が多い分、「新がつく地名」の発生率も高くなり、その結果「新がつく駅」も増えていると思われます。これは主に、「新を外せない駅」(=新抜き駅が存在しない駅)の増加要因として働きます。また、田舎よりも都会の方が街の変化が激しいです。街の変化は、そこに造られた施設にも変化をもたらします。田舎では、一度造られた施設は、よっぽど老朽化するか周辺が無人地帯化でもしない限り、特にその施設に変化も加えられないまま相当に長い間使われ続ける傾向があります。田舎は街の変化が少ないため、一度造られた施設はそのままでも事足りるからです。それに対し、都会では、近隣に新線が開通したり、利用者数が急増したり、ニュータウンが出現したり、地名が変わったり、区画整理や河川改修で道路や地形・川の形が変わったり、再開発があったりといった街の変化の来歴がいちいち多いです。そのため、一度造られた施設が移設を余儀なくされたり、「代替」施設や「2代目」の施設を造らざるを得なくなる場面も増えます。これが、「新を外せる駅」(=新抜き駅が存在する駅)の増加要因として考えられます。いずれにせよ、人口の多い都会ほど新がつく駅が増えやすい傾向が見られ、東京都交通局はそれをもろに表していると言えます。

当サイトでの東京都交通局の駅数が多い理由として他に、都電の電停名の命名方法が非常に「バス的」だから、というのも考えられます。一般に、鉄道の駅名にはその地域を代表するほどのビッグな地名が使われる事が多いです。一方、「どこどこ○丁目」「(施設名)前」などといった「ローカル」な名称は鉄道駅に使われる事は少なく、どちらかと言うとバス停名として使われる事が多いです。バスは鉄道よりも細かい範囲をカバーするため、よりローカルで地域の生活に根差したネーミングが多いのです。すると必然的に、より細かいマニアックな地名まで拾う事になります。その中に「新がつく地名」が多くても、一般の鉄道なら駅名として採用されない可能性が高い一方、バスはこういった地名もいちいち拾うため、前述のように地名が細かく多く分布する都会では、より顕著に「新がつくバス停」が増えるのです。都電は、鉄道とは言えかなりバス寄りな使われ方をしました。都電に限らず、路面電車と言われるものはバス寄りな存在です。そのため、バス同様に、「新がつく電停名」が増えたのだと思われます。

ただ、鉄道を取り巻く状況が激しく変わっている2021年現在、「鉄道の駅名にはその地域を代表するほどのビッグな地名が使われる」という原則も崩れつつあります。昨今の駅名改称・新駅開業ラッシュでは、特に地方において、一般の鉄道の駅名も「バス停名化」してきているのです。何も考えなくてもとにかく地方が発展していた高度経済成長期とは違い、今は多くの地方で人口が減り、鉄道が集客に苦労しています。その打開策として、鉄道の駅名に近隣施設名を加える改称をしたり、近隣施設名を副駅名として付けたり、バス・路面電車に比べて少なすぎた駅数を増やしたりしています。「ローカルな移動はバスや路面電車、大きな移動は(在来線の)鉄道」という分業が成り立たなくなり、鉄道もローカルな需要を拾う必要が出てきたのです。地方での大きな移動は専ら新幹線や飛行機・高速バスに取られるようになり、鉄道在来線はそれらほど速いわけでもなく、かといって路線バスや路面電車ほどローカルに徹しているわけでもないため駅も遠く、運賃もやや高いという中途半端さが客離れを引き起こすようになりました(その陰には、格安航空会社の登場は勿論、自前で資金を捻出する必要性からなかなか捗らない鉄道の線路改良に対し、税金を使ってトントン拍子に進んでいく高速道路の建設も関わっていると思われます)。そのため、鉄道は駅をある種の「バス停」化させる事で、この事態を生き抜こうとしています。大胆にも、そもそも路面電車ではなかったものを無理やり路面電車化させて成功した事例すら存在します。こうした風潮の過程で将来、新がつく駅名は都会以外でも増えるかもしれません。※但し、改称や新駅設置は当然ながら方法の一例に過ぎず、観光列車の運行やSNSの利用など、他の方法で魅力を生み出す路線も多いです。また、上下分離方式などといったアイデアも考案されています。鉄道への風当たりが強い風潮が続いていますが、鉄道好きとしては応援したい所です。また、適材適所な役目を上手く見付ける事で、バスとの共存も望まれます。

ところで、上記では「田舎は地名数が少ないため、その分『新がつく地名』も少なくなる」と書きましたが、水田の多い状態を田舎の一種として分類するならば、実は1つだけ例外があります。それは、全国の水田地帯に多く分布する、「○○新田」という地名です。日本中の地図を眺めていると分かりますが、「○○新田」という地名を目にする機会はかなり多いです。その大半は、かつて江戸時代を中心に全国で盛んに行われた、新田開発事業の名残です。地域の石高(生産力)を上げるため、以前は活かす事のできなかった湿地帯を干拓するなどして、未開の地をこぞって開墾し、水田化していったのです。そうして造成された水田地区を表すために、「○○新田」という地名が沢山付けられました。その地名は後の時代にも多く残り、付近を軌道線や鉄道線が通った際に、「○○新田」という駅や停留場が多く開設されました。都市近郊では高度経済成長期にその水田が潰されて宅地や工場用地に転用され、名ばかりの地名だけが残っていたり、その地名ごと消滅してしまったというケースが多いですが、地方では水田も地名もそのまま残っている場合もあります。

上記の駅数順位には、国鉄が出ていません。しかし、その圧倒的カバー範囲の広さから、国鉄の方が遥かに駅数が多かったのは明らかです。ただ、当サイトでは原則、かつて国鉄駅でも後にJR駅となっている場合JR駅としてカウントしており、「国鉄」で検索して出てくる駅は国鉄時代に廃止された路線を持つ駅のみです。各駅の歴代の運営会社の変遷履歴までをもデータに入れればこれを考慮して比較できるようになりますが、そこまでデータに入れようとするとデータベースの実装が大変になるため、していません。ご容赦下さい。

その他、「どの都道府県に『新』がつく駅が多いか」、「地下鉄に限ればどの地下鉄に『新』がつく駅が多いか」など、お好みの条件で検索を活用してみて下さい。

▼新抜き駅との対比 

ランキング以外でよく見られる話題が、新抜き駅(新を外した方の駅)との対比、比較です。新抜き駅から名前を借りている以上、比べられてしまうのは宿命かもしれません。結局はこれも2駅の比較によるものであり、ランキングの一種とも解釈できますが、「ペアを比べる」という点で他のランキングとはやや別物と言えます。

まず、両駅の距離が話題に上る事が多いです。「どこまで離れれば、オリジナルの駅名を使って名乗るのが許されなくなるのか」などがそれで、例えば新函館北斗駅が開業する時、新幹線駅としては新抜き駅からの距離が最遠になる事が話題になりました。七飯町寄りの北斗市の隅っこという、もはや全くもって函館要素が皆無な場所に(仮称とは言え)「新函館」を名乗る駅が開業しそうになったため、当時は駅名の命名で一悶着ありました。他に、本来は小郡という別の街にあった小郡駅が、市町村合併で新山口駅に改称された事例もあります。

ただ、こうした疑問は、「ペアとなる2駅は同一地域に属すべき」という暗黙の前提に則った結果生まれたものです。確かに、「新」がつく駅のペアは同一地域に属している事例が多く、むしろ名鉄のように、同一地域どころかもはやほぼ同じ敷地内にあるのに「新」を冠する事例すら存在します。それに、「函館」や「山口」のように、駅名の由来となる地名が全国に唯一無二もしくは1箇所を除いて著しく知名度に差がある場合にも、同一地域かどうかは大問題になります。新函館の時に距離が問題になったのもそのためです。しかし、その前提にも例外があります。知名度が同程度の地名が全国に複数並立している場合、同一地域性にこだわってもいられなくなるのです。その場合、地名や駅名の重複を考慮する範囲の広さによっては、ペアは同一地域をはみ出し得ます。例えば、新守山駅新平野駅新小金井駅などがそうです。「函館」と聞けば「北海道の地名だ」という風に1つに絞れる(一意に定まる)一方、「守山」と聞いても連想するのが愛知県の方なのか滋賀県の方なのかは県民によって変わります。つまり、「守山」という地名は片方の県だけのものではないため、滋賀県の守山駅から遠く離れた愛知県の駅が「新守山」という駅名を名乗ったとしても、別に新函館の時のような問題にはならなかったのです。

本来、「新」をつけるのは駅名や施設名の重複を防いで区別するためです。わざわざ名前に「代替」「2代目」の意味合いを持たせるのは、オリジナルと区別したい意図があっての事です。そのため、「新」は重複回避策の1つとして使われます(これは「新」に限らず、「旧国名」や「自社名」を冠するなど、別な手段が取られる事もありました。一ノ宮駅の事例もその1つです)。ただ、重複を考慮する範囲をどれくらい広くとるかは、命名者によってまちまちです。「重複考慮は近隣のみに留めておいて、他県の駅とは別に重複があってもよい」とする命名者もいれば、「日本全国全ての駅の中で、どことも全く重複しないべき」とする命名者もいます。前者の場合、重複していても遠隔地なら別に構わないというスタンスのため、元々重複のなかったはずの駅名をわざわざ改称で新たに重複させてしまう事例すらあります(島原鉄道の神代駅は山陽本線の駅と、長崎本線・佐世保線の江北駅日暮里・舎人ライナーの駅と新たに重複)。一方後者は、重複候補がどんなに遠くに、それこそ同一地域の外にあろうが、それが国内であれば「新」をつけたのです。国鉄はその典型で、管轄範囲が日本全国に及んだ国鉄が全国レベルの重複を考慮したのは、至って自然な事です。また、新小金井駅は国鉄駅ではない事から、全国レベルの重複を考慮する鉄道会社は国鉄以外にもある事が分かります。京成電鉄も、駅名にいちいち「京成」をつけて全国レベルの重複を考慮しています(例えば、近隣に高砂駅がないにも拘らず、「京成高砂駅」を名乗っています)。ちなみに、「京成」がつく駅名の数は、20を超えます。

逆に、重複考慮を非常に狭い範囲(例えば自社線内のみ)に留める鉄道会社もあります。これは特に関西の私鉄に多く、例えば阪神の尼崎駅や阪急の伊丹駅・塚口駅京阪の宇治駅などが、国鉄やJR駅との重複を考慮に入れていません。関西以外にも、愛知県に名鉄・JR東海の春日井駅という事例があります。もはや乗り換えネタの定番ですが、小田急・JR東海の足柄駅という事例もあります。重複が考慮されていない駅は他にも、高井田駅・高浜駅など、実は意外と多いです。関東の私鉄なら「新」なり自社名なりがつくのに、関西の私鉄ではつかない理由として、「関西では私鉄の影響力が非常に強かったから」という説があります。関東は国鉄の本部が近かったため、その影響力も強大でした。そのため、関東の各私鉄は国鉄に対して強気に出る事ができず、国鉄が「同じ駅名を名乗るのをやめろ」と言ったら従わざるを得ませんでした(京急新子安駅は、その典型です)。しかし、関西は国鉄の影響力が弱く、相対的に私鉄の影響力が増しました。そのため、関西私鉄が「ここが○○駅だ!」と主張すれば、それが同名の国鉄駅と違う場所にあろうが、国鉄はそれを強く言えなかったのです。むしろ最近では、関西私鉄の強い影響力に配慮してか、関西の国鉄の後身であるJR西日本側が好んで駅名に自社名の「JR」を冠しているほどです。但し、これも俗説の域を出ません。勿論例外があり、同じ関西私鉄でも近鉄は大軌・関急の時代から好んで多くの駅名に自社名をつけるスタイルを続けているからです。その上、同じく国鉄本部から遠いはずの四国では、伊予鉄道が先に造った「松山駅」の名が、後から出来た国鉄駅に取られていたりもします。重複の回避方法は「新」や「旧国名」「自社名」以外にもあり、伊予鉄道の場合は「市駅」への改称をもって、回避しました。そもそも「新」は2代目以降が使う接頭辞であって、初代松山駅が「新」をつける改称をするはずがありませんでした。ただ、初代駅の場合、「市」の他に、「本」が使われる可能性もありました(本八戸駅がその例です)。並行世界では、伊予鉄道の駅が「本松山駅」を名乗っていた可能性もあります。

話が逸れましたが、結局は重複を考慮する範囲の広さによって、「新」がつく駅と新抜き駅の距離はピンキリなのです。距離が近い必要があるかどうかは、駅名の由来となった地名の一意性や知名度にも左右されます。

ところで、他の話題として、「新」がつく駅と新抜き駅の発展具合が比較される事も多いです。但し、何をもって「より発展している」とするかは曖昧です。利用者数や列車の本数・乗り入れ路線数・ホームの数・駅の床面積などを比べる事はできますが、そのどれを使って比較するかで結果が変わったりします。また、「駅前の街並みの発展具合」といった主観を交えた比較も巷では多く見られ、例えば「駅前の建物の平均階数」で比べる事はできても、階数の少ない人気ショッピングモールの前にある駅が下位とされてしまいます。比較基準の選定は容易ではなく、学会の研究でも用心される所です。そのため、ここでは「発展していると感じる人が一般的に多い」程度の緩い解釈に留め、参考程度に扱います。

まずこの話題が始まる時には、「『新』がつく駅の方がオリジナルよりも後発なのだから、大抵はオリジナルを越える事ができず、格下駅となる。あの新横浜駅でさえ、所詮は横浜駅に勝てない」という大雑把なイメージが示されがちです。確かに、自分で駅を使ってみた時の実感とそのイメージが激しく乖離する事は殆どないかもしれません。しかし、そのイメージが出されると、すかさず例外として新百合ヶ丘駅などが挙げられる事も多いです。要は、オリジナルを越えるという、「本家越え」です。「いや、天下の新宿駅があるぞ」というツッコミや、「そういう『新』を外せないケースは除外する」というフォローが入る所までがテンプレです。マニアックな所では、このサイトの作者の地元にあるJR新検見川駅も本家越えに入る気がします。本来は房総往還の宿場町・検見川神社の門前町として栄えた元祖・検見川市街に開業した検見川駅は、今は最大6両編成の各駅停車のみが停まる京成千葉線のひっそりとした1停車駅に過ぎない一方、国鉄によって後から開業した新検見川駅は、10両編成の中央・総武線がひっきりなしにやって来る、人の多い駅です。検見川駅周辺は一部の寺社を除いて閑静な住宅街が広がる一方、新検見川駅周辺には銀行やスーパー・塾などが集積しています(京成稲毛駅とJR稲毛駅の発展具合もこれと似ています)。人は「珍しいもの」に魅力を感じるため、こうした「本家越え」や「例外」といった事例にも魅力を感じ、話が盛り上がりやすいのだと思われます。

但し、こうした比較が優劣を伴う発想に繋がらないようにしたいものです。数的な発展のみが街や駅の価値を決めるわけではないため、前述の大雑把なイメージは、街の外からの訪問者が抱きがちな表面的なもの、と捉える事もできます。例えば、個人的には立派な神社と綺麗な草花・落ち着いた家の佇まいを楽しめる、検見川駅周辺の方が好きだったりします。こうした価値は、「数」ではなく「質」で決まるものです。発展具合という数的な視点は、街や駅の尺度の1つに過ぎません。

▼話題の考察 

そもそも前章の発展具合然り、前々章のランキング然り、巷では比較関連の話題がやたらと人気です。比較は、分析・解釈するための入口となるため、比較してみると色々な事が分かって好奇心をくすぐり、面白いです。そのため、鉄道や駅の話題でも同じ手が取られるのです。

また、こうした駅比べは、街や都道府県を比べるのが好きな人々が多い事とも関係がありそうです。なぜなら、駅比べも街比べも共に、「会話への参加権」が簡単に得られるため、話題として入りやすい部類だからです。例えば、阪急好きが阪急について語り合う場面や、絵描きが絵の描き方や沼について語り合う場面があるとします。そういったマニアックな話題は濃密で満足度の高いものになりやすい一方、会話に参加するためのハードルも上がります。なぜなら、前提として阪急や絵についての知識や経験を持っている必要があり、それらを得るのは簡単ではないからです。それに対して、駅や街・都道府県比べは、その駅を使ってさえいれば、そこに住んでさえいれば簡単に会話に参加できます。さながら、「天気の話題」に近いものです。天気も、地球に住んで天気を経験した事さえあれば共有できる話題です。アド街○ク天国や秘密のケン○ンショー、翔ん○埼玉みたいなものなのです。誰もがどこかの県民なので、自分の県のネタを誰もが聞いた事があります。それと一緒で、誰もがどこかの駅や路線の利用者、と言うほどではないにしても、この鉄道大国ではほぼそう言っても過言ではない地域も多いです。

誰もが持ち得るハードルの低い経験ゆえ、話題参加者の持ち寄る経験には共通点も多いため、「あるあるネタ」や共通の嗜好も共有しやすいです。「同じ鉄道会社や同じ路線を使っている」という場合も同様です。そのため、街や都道府県比べが好きな人々が、それと同じ感覚で駅や鉄道の話にも首を突っ込む事が多いのです。鉄道は本来専門性が高いジャンルなので、奥行きは深いですが、その身近さ・会話の入りやすさゆえ、その間口は大衆性が高く、敷居が低いのかもしれません。

▼各種一覧リスト 

需要がありそうな各種駅一覧リストを、ここに列挙してみました。これらは、上記の「検索」機能を使って絞り込んだデータです。上記の「駅一覧」や「全駅一覧地図」では痒い所に手が届かないと感じた時に、併せてご覧下さい。

「新」を外せる現役駅の一覧 … このサイトには一般的な駅のみならず、「信号場」に分類されるものも一緒に載せています。また、今は無き廃駅や、改称により失われてしまった旧称も一緒に収録されています。更には、「新宿駅」のように「新」が地名の一部となっているために「新」を外せない駅もあります。しかし、それらを除外した一覧を知りたい事の方が多いです。そのため、それを反映した一覧リストをここに載せました。つまり、現役で「新」を外せる駅の一覧です。これを地図上で可視化すると、こうした駅は三大都市圏に集中している事、山陰地方や四国地方・紀伊半島には条件に合う駅が全く存在しない事などが分かります。更に、東九州・中央高地・東北地方・北海道の隅も、駅の分布がかなり希薄です。総じて、人口が少ないほど「新」がつく駅も少ない事が改めて分かります。ただ、新潟県だけは特殊で、大して人口希薄地帯ではないのに条件に合う駅が皆無です。これは憶測ですが、新潟県には「新潟」「新崎」「新発田」「新津」「新関」「新井」「しんざ」などといった、元から地名や駅名の頭に「新」がついているパターンが多く、「新」の前に更に「新」を重ねられない事による結果なのかもしれません(但し、駅名と違い、一般大衆への分かりやすさを考慮せず業務上区別できればよい業界、例えば電力関連では、普通に「新新潟幹線」という送電線があったりします)。

「新」がつく現役駅の一覧 … 上記のリストに、新宿駅など「新」を外せない現役駅を足したリスト。巷では、「新がつく駅を通ってはいけない鉄道旅」という縛り旅行が考案されていますが、これが無理ゲーでもヌルゲーでもなく絶妙な難易度であるため、度々話題に上ります。毎度、新潟駅の民が「旅をスタートできない」と嘆いたり、西高島平駅の民が新高島平駅に阻まれて詰んだりします。この縛り旅行の対象駅は概ねこの一覧リストと一致するため、自分の最寄り駅がスタートの場合どうなるか、このリストの地図版で確認できます。

「新」がつく新幹線駅の一覧 … 巷では、「新」がつく新幹線の駅の一覧を欲しがる人がどうも多いです。その理由は恐らく、前述の俗説からでしょう。しかしこのサイトのデータには、駅の開業前に付けられた正式ではない仮称や、上記の通り旧称も信号場も一緒に含まれています。恐らく、多くの人が欲しいのはこれらを除外した一覧リストなので、除外版をここに載せました。これも地図上で可視化すると、まず印象深いのは、西日本(山陽新幹線やJR九州)の新幹線駅には「新」がつく駅が圧倒的に多い点です。一方、東日本には意外にもぽつぽつとしか無く、対照的です。これは主に、JR東日本やJR東海が新幹線の駅名として「新」を避ける傾向を見せているためと思われます。

「新」がつく新幹線駅の一覧(1964年以降の開業年順) … 新幹線駅の中には、在来線時代の大昔からあった既存の駅が新幹線駅化されたものと、新幹線建設を機に新設されたものの2つがあります。ここでは主に後者に絞り、各新幹線駅を開業年順に並べました。この一覧リストは、上記のリストのサブセットです。これを見ると、1964年の新幹線開業時点では、「新」がつく駅は新横浜駅と新大阪駅のたった2つだけだった事が分かります。これも、駅名の「新」が「新幹線」の「新」を意味するという俗説に根拠が無い事を示しています。東京駅・名古屋駅・京都駅など、既存駅にそのまま新幹線ホームを通せた場合は、「新」などつけずにそのまま既存駅の駅名を名乗ったのです。「新」がついたのは、単に既存駅から離れた場所に駅を新設せざるを得なかっただけという事です。ところで、1964年の開業時点での新幹線単独新設駅には他に岐阜羽島駅がありますが、特殊な事情が無ければこれもそのまま「新岐阜駅」になっていたかもしれません。この駅が「新岐阜」を名乗らなかった理由として最大なのは、当時の名鉄岐阜駅が既に同名の「新岐阜駅」を名乗っていたためです。

※サイト名: 新がつく駅地図手帖
※スマホ対応していますが、スマホだと一部の横長な表(検索結果など)で横スクロールが必要になる場合があります。
※IEのような古いものでアクセスする事はお薦めしません。