新がつく駅地図手帖

新地中華街駅


最終更新: 2021/03/04

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新地中華街しんちちゅうかがい長崎県
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廃止
1915年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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長崎電気軌道大浦支線(5号系統)路面電車
長崎電気軌道本線(1号系統)路面電車
長崎電気軌道本線(2号系統)路面電車

▼かつてこの駅を走っていた路線 

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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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長崎電気軌道大浦支線(7号系統)×路面電車
長崎電気軌道本線(7号系統)×路面電車

▼備考 

駅番号31(厳密には31A/31B、後述)の、長崎電気軌道の電停(停留場)。 長崎電気軌道の本線は住吉・長崎駅前・出島方面からやって来て、ここを通り、思案橋(しあんばし)・崇福寺(そうふくじ)方面へ伸びるが、この電停から南へ、大浦天主堂・石橋方面の大浦支線が分岐している。すぐ北東の西浜町(にしはまのまち)では、めがね橋・新大工町・蛍茶屋方面の蛍茶屋支線も分岐している。 元々は、長崎電気軌道が初めて開業した1915年に「築町」(つきまち)停留場として開業したが、今よりも北東寄りの長久橋(ちょうきゅうばし)近くにあった。しかし、後に長崎電気軌道の路線網が伸びるなどを経て1920年になると、ここは一旦廃止された。ただ、時代が進んで1961年になると、当初は千馬町(せんばちょう)停留場という今とは違う場所(現在のNTTのビルの北側付近)で分岐していた大浦支線を、ここで分岐するように変更する事になり、この時に当停留場は同名で復活し、長久橋からやや離れた現在の場所に移った上で再開業した。 その後長らくその名前のままだったが、観光地名を電停名とする事で分かりやすくする目的で、2018年8月に「新地中華街」停留場へと改称された。この時、当停留場を含めて13もの停留場が一斉に改称され、長い歴史の中で実態と停留場名が食い違っていたものや、観光地名が分かりにくかったもの、観光地の近くにあるのに観光地名が入っていなかったもの、「前」などがついていて分かりにくかったものなどを一気に整理した。例えば「正覚寺下」は「崇福寺」、「大浦天主堂下」は「大浦天主堂」、「賑橋」は「めがね橋」など。当停留場から大浦支線で南隣も、「市民病院前」から「メディカルセンター」に改称されている。 ※蛍茶屋支線で西浜町の北隣の浜町アーケード停留場は元々、西浜町停留場の一部だったが、この2018年の改称時に別停留場として分離された。また、1990年までは当停留場~市民病院前間に入江町(いりえまち)停留場というのもあった。ところで、浜町アーケード(はまのまちアーケード)は国道324号に指定されており、全国に2箇所しか無いアーケード国道としても知られる。地元では「浜んまち」(はまんまち)とも呼ばれ、親しまれる。 当停留場では、北東側へ発車する崇福寺・蛍茶屋方面に31A、南西側へ発車する長崎駅前・石橋方面に31Bの駅番号が付いている。当停留場では大浦支線が分岐する上に、蛍茶屋方面と崇福寺方面を選ぶ事もできる重要な乗り換え電停になっているため、多くの乗り換え客をさばくために1つのホーム内の電車の停止位置をずらし、行先(系統)ごとに分けている。そのため、事実上4番線まであるような状態なので、番号を複数付けている。 新しい電停名の由来となった長崎新地中華街は、ここから南南東の川(銅座川)の向かいに広がる中華街で、長崎観光の定番の1つとなっている。横浜・神戸(南京町)・長崎(新地)の3つの都市に形成されたそれぞれの中華街をまとめて、日本三大中華街と呼ぶ事もあるという。 ちなみに、ここから真東あたりの銅座川ではかつて、川に蓋をして暗渠とし、その上に「銅座市場」というのが出来ていたが、現在は川の景観を戻すために解体され、暗渠の蓋も取り払われ、水面が見える状態になっている。 また、ここから西の方には、出島がすぐ近くにある。出島は江戸時代に出来た当初はその名の通り歴史の教科書で見たような島だったが、明治時代になると周囲の水面が埋め立てられ、今では陸地に飲み込まれたように地続きになっている。また、明治時代に北側の中島川(なかしまがわ)の幅を広げる工事がなされ、出島の北側は削れている。その上、銅座川に面している東側も一度は埋め立てられた事があるらしい。一時期はほぼ完全に周囲の市街地の一部と化し、出島の上にも民間の建物が建ってしまっていたが、戦後になると公有化され、当初の姿を蘇らせる試みが始まった。長崎市は、ゆくゆくは削られたり埋められた部分の復活も含めた完全再現を目指している。 ※2号系統は、赤迫・長崎駅前・出島方面からここへ来た後、蛍茶屋支線へ入る。ただ、赤迫~蛍茶屋間を移動するなら、ここを経由せず桜町経由の3号系統の方が近道のため、2号系統は3号系統に変更されるなどして大幅に減らされ、深夜のみの運行となっている。 ※7号系統は、かつて赤迫・長崎駅前・出島方面からここへ来た後、ここでスイッチバックして大浦支線へと直通する系統だったが、1999年に廃止された。そのルートから、「赤迫-石橋線」とも呼ばれたらしい。

▼関連写真 

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