新がつく駅地図手帖

小笠原新田駅(旧称・廃駅)


最終更新: 2024/08/06

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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小笠原新田(旧称・廃駅)おがさわらしんでん山梨県
開業*開業年クリックで、
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1930年1962年

▼この駅を走っていた路線 

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山梨交通電車線(西部線)×路面電車

▼備考 

山梨交通電車線の駅。1930年にこの駅名で開業したが、1950~1953年の間に、「巨摩高校前駅」(こまこうこうまええき)に改称された。正確な改称年は記録に乏しく、不明らしい。 しかし、山梨交通電車線の1962年の廃止と共に、当駅も廃止。巨摩高校は、ここから東北東の方に現在もある。 現在も周辺には、「南アルプス市小笠原」(みなみあるぷすしおがさら)という地名が付く。但し、南アルプス市は平成の大合併で2003年に誕生した新しい市で、かつて当駅周辺は中巨摩郡(なかこまぐん)櫛形町(くしがたまち)という町だった。ここから川を挟んですぐ南の比較的近い場所がかつての櫛形町の中心で、今もそこに南アルプス市役所がある。更に、1954年以前は小笠原町(おがさらちょう)という町だった。これが昭和の大合併で1954年に櫛形町となっていた。ところで、かつての町名と現在の地名とで「小笠原」の読みが異なる。当駅名がどちらだったのかは記録に乏しいが、すぐ南隣の駅だった「小笠原駅」の読みが「おがさらえき」だったため、当駅名も「わ」の方だったと思われる。読みの混乱は現在も見られるらしく、南西にある小笠原小学校は「おがさらしょうがっこう」と読むが、付近の「小笠原小入口交差点」の標識には「Ogasawara Elem.School」の表記が見られる。鎌倉時代には既にこの地名はあり、当時この地に住んだ長清(ながきよ)という武将は、ここでこの地名に因んで「小笠原」(おがさわら)を名乗り、小笠原氏(おがさわらし)という一族の始まりの地にもなった。彼は武芸に秀で、現代にも続く小笠原流という流派の始祖ともなった。 ※南アルプス市ふるさと○○博物館のブログには、営業当時の当駅の貴重な写真が載っている(敬称略)。リンク先によると、今でも当駅のホーム跡と思われる石積みが残るという。変電所南西側の道路と小道の間に挟まっている歩道が、周りよりも1段高く盛り上がっている。 ※山梨交通電車線内には他に、長沢新町駅もあった。

▼関連写真 

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