新がつく駅地図手帖

新蛸島駅(非公式)


最終更新: 2021/04/20

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
新蛸島(非公式)しんたこじま蛸島(廃駅)石川県
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
2009年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
のと鉄道能登線(保存部分)普通鉄道

▼備考 

これは正式な駅ではなく、廃線跡に動態保存された車両を走らす区間の末端地点に設置された乗り場。すぐ東に蛸島駅跡が今も残るが、ここ以東が道路で分断されたので、保存車両を走らす区間をここ以西にした経緯がある。元々は、2005年に廃線した、のと鉄道能登線の区間(初めは国鉄能登線だったが、後にJR能登線、のと鉄道能登線、という変遷を辿った)。新蛸島駅やのと鉄道については、のと鉄道廃線跡めぐり(閉鎖済みサイト、敬称略)や能登線廃線後の各駅の今(敬称略)などが詳しい。 ※残念ながら今は、動態保存されていたはずの車両もこの駅も放置されているという。のと鉄道の廃線跡には他にも、藤波駅跡近くの跨線橋の下に残された車両などがある。また、2019年現在、どうやら新蛸島駅ホームのすぐ道路側(東側)にはアート作品が設置されているらしい(※動画内では他にも、蛸島駅やその他のと鉄道について詳しく紹介されている)。 能登半島の鉄道線は元々、国鉄の七尾線能登線で構成されていた。七尾線は、津幡駅(つばたえき)で北陸本線(現・IRいしかわ鉄道)から分岐し、本津幡・羽咋(はくい)・七尾・和倉温泉・穴水(あなみず)と北上していき、輪島駅へとはるばる伸びていた。そして、途中の穴水駅から東へ分岐し、蛸島駅まで伸びていたのが能登線だった。 しかし、国鉄末期には能登半島の過疎化とモータリゼーションを受けて赤字が出るようになったため、JR西日本化されてすぐの1988年にはまず能登線が三セク転換され、のと鉄道能登線となった。数年後の1991年には、七尾線の(七尾~)和倉温泉以北も三セク転換され、のと鉄道七尾線となった。比較的客の多かった津幡~七尾(~和倉温泉)間はJR西日本の七尾線として残り、電化される事になったが、和倉温泉以北は全てのと鉄道の範囲になり、JR西日本はそこを手放した。ただ、中間の七尾~和倉温泉間については、電化こそされたものの、線路などの設備をJR西日本が持ち続け、のと鉄道がそれを借りて運行する形になった。 のと鉄道に引き継がれた七尾線の穴水以南はなんとか持ちこたえたものの、穴水以北(穴水~輪島間)は10年と持たずに2001年に廃止された。数年後の2005年には蛸島方面の能登線も全線廃止され、穴水以降の線路が全滅してしまった。赤字こそ深刻だったものの、通学する高校生などが長距離乗っていたため、穴水以北の学生が渋滞の酷いバス通学を余儀なくされる問題も起こり、「本当に廃止して良かったのか」との声も出た。穴水以降の線路が全滅してしまった今、のと鉄道の範囲はわずか(七尾~)和倉温泉~穴水駅間のみとなり、今に至る。 ※ちなみに、ここから南西の恋路駅跡付近では、能登線の廃線跡が復活し、のトロというトロッコが走っている。また、その北には見附島(軍艦島)もある。 ※鉄道むすめには、和倉ななおというキャラがいる。 ※金沢~津幡間は北陸新幹線金沢延伸でIRいしかわ鉄道化されたが、それによって七尾線の津幡~七尾~和倉温泉間のJR区間が他のJR線から孤立する事になったため、途中下車しない限り、金沢~津幡駅間で18きっぷが使えるという特例が設けられている。 ※北陸鉄道にも昔「能登線」という同名の路線があったが、別路線。北陸鉄道能登線は、羽咋駅から北へ分岐して、能登高浜駅、志賀町駅(しかまちえき)を通り、三明駅(さんみょうえき)まで伸びていたが、こちらも廃止されている。その廃線跡は大半が自転車道になっている。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー