矢田新駅(旧称・廃駅)
最終更新: 2021/04/20
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
矢田新(旧称・廃駅) | やたしん | | 石川県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1898年 | 1984年 |
▼この駅を走っていた路線
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| 日本国有鉄道(国鉄) | 七尾線貨物支線× | 貨物 |
▼備考
明治時代に七尾港(ななおこう)の重要性が上がると、七尾港の扱う物資輸送などのために七尾鉄道という私鉄が設立され、1898年に津幡仮停車場~当駅間が開通した。七尾港が目的地だったため、当駅は七尾港に作られた貨物用の終着駅だった。七尾鉄道は、現在の七尾線の前身。当初は津幡駅の線路と繋げられなかったため、その手前の津幡仮停車場から発着していたが、1900年には遂に津幡駅まで線路が繋がった。
1907年になると七尾鉄道が国有化され、1909年には「七尾線」の路線名が付けられた。1917年には、当駅は「七尾港駅」(ななおみなとえき)に改称された。国有化に前後する1904~1929年の間には、当駅は貨物だけでなく旅客も扱い、七尾港へやって来る旅客船の客も乗せていた。主に奥能登(能登半島の北部)の人々が、まず船でここまで来て、ここで七尾線に乗り換え、金沢方面へ向かった。
当初、津幡から北上して来た線路は素直に真っ直ぐ当駅目掛けて伸びていて、その途中に七尾駅があった。しかし、そのままの線形ではより北へ線路を伸ばす事ができないため、1925年に七尾~和倉駅(現・和倉温泉駅)間が延伸開業した時に、七尾駅も現在地へ移転した。同時に、当駅から移転後の七尾駅への新しい線路も敷かれ、それまでの真っ直ぐな旧線も含めると、線路の分岐部はデルタ線のような形になった。この時、当駅は七尾線の本線(和倉方面)から外れ、支線の終点となった。一方、和倉方面へ伸びた七尾線の本線はその後も延伸を重ね、最終的には1935年に輪島駅まで開通した。
※七尾線の和倉温泉以北はその後、のと鉄道に移管されている。
その後当駅は、国鉄の七尾線貨物支線の終点にある貨物駅として長らく続いたが、時代と共に重要性が落ちていき、1984年に廃止された。当駅跡には今、「七尾鉄道発祥の地」と書かれた記念碑が建っている。SLの車輪もモニュメントとして残されている。また、当駅への廃線跡は大部分が道路に転用されたが、七尾駅側の線路の一部は今も七尾駅の設備として使われ、残っている。そして、廃線の遺構は他にも所々に残る。1970年代の航空写真には、現役時代の晩年の当駅が写っている。
※明治時代初期、周辺には「矢田新村」(やたしんむら)という名前の村があった。その後1889年に「矢田郷村」(やたごうむら)になり、当駅開業時は既に矢田郷村だったが、「矢田新」の地名は周辺に残っていたためか、当駅名としてこの地名が使われたと思われる。矢田郷村は、1939年には七尾市の一部となっている。また、今も周辺は「矢田新町」という地名になっている。大阪府にも「矢田駅」(やたえき)という駅があり、他にも(「やだ」と読むなどの違いはあれど)「矢田駅」と書く駅は歴史上複数ある上、福井新駅などの事例もある事から、駅名の字面を見るといかにも新抜き駅がありそうな気がする。しかし、いずれの「矢田駅」も当駅より後の時代に出来ている上に、当駅との直接の関係が見出せない。その上、前述の当駅名の由来から、「矢田新」で1つの地名と思われるため、新抜き駅は存在しないとした。但し、「矢田新」の「新」は駅名としては接尾辞ではない(=外せない)ものの、地名としては接尾辞だと思われる。というのも、矢田新町の南の方には「新」を外した「矢田町」という地名がある上、ここから東の方には「大田新町」と「大田町」のペアも見られる。これらは、北陸地方によく見られる「○○新」という接尾辞式の地名だと思われる。 ▼関連写真