新がつく駅地図手帖

東新潟港駅


最終更新: 2021/04/17

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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東新潟港ひがしにいがたこう新潟県
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廃止
1924年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR貨物信越本線貨物支線貨物

▼かつてこの駅を走っていた路線 

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フジタ建材リースフジタ建材リース新潟工場専用線(藤田金屬専用線)×貨物
リンコーコーポレーションリンコーコーポレーション専用線×貨物
新潟鐵工所新潟鐵工所大山工場専用線×貨物
昭和シェル石油昭和シェル石油新潟製油所専用線×貨物
食糧庁新潟食糧事務所食糧庁倉庫専用線(新潟食糧事務所専用線)×貨物

▼備考 

信越本線の貨物駅。当駅は2002年に休止されて以来、貨物列車は来ていない。かつて当駅は、近隣の工場群(後述)や新潟港からの貨物で賑わっていたが、時代が進むにつれて工場が閉鎖されたり、工場貨物の輸送が貨物列車からトラックへと移行したりしてしまったため、当駅の扱う貨物は激減し、休止に追い込まれた。2016年現在も古びた駅舎が現存するが、窓の一部がベニヤ板で塞がれるなどしているため、廃墟のような状態になっている。かつては北の方にある別の建物が当駅舎だったというが、それは後に別の施設として転用されている。線路も残ってはいるが、敷地は雑草で荒れ果て、すぐ南の道路では線路がアスファルトで埋められたりしていて、廃止こそされてないものの廃止状態になっている。 かつて当駅から周辺の工場へ伸びていた貨物専用線は多くあったが、中でも特に、昭和シェル石油新潟製油所専用線と新潟鐵工所大山工場専用線の存在は大きかった。前者は当駅から北東の方へ、後者は南東の方へ伸びていた。しかし、これらは1990年代末期に相次いで廃止され、当駅の扱う貨物は激減した。 昭和シェル石油新潟製油所専用線の行先だった昭和シェル石油新潟製油所は、当駅から北東の方、当駅と新潟空港の間くらいの場所にあった。敷地こそ今も同じ会社のもの(※注、後述)だが、新潟製油所自体は1999年に廃止されている。現役時代の製油所は日本の産業を大いに支えたが、1964年にはこの製油所が地震で大火災を起こした事もあった。製油所跡地には今、新潟雪国型メガソーラー発電所が建っている。 ※注: 昭和シェル石油は、ガソリンスタンドでよく見るあの貝殻マークで知られる会社だったが、2019~2020年にかけて出光興産に完全に吸収合併されてしまい、今は出光興産の一部となっている。あの貝殻マークのブランドも廃止され、apollostationという新ブランドに統一してしまうという。 新潟鐵工所大山工場専用線は、当駅から南東の方にあった(株)新潟鐵工所大山工場へと伸びる専用線だった。大山工場は主に鉄道車両の製造、特にゆりかもめなどの新交通システムの車両を造る事を得意とした工場だったが、会社の業績が低迷していた1998年に閉鎖され、工場は撤退してしまった。その跡地は住宅地として再開発され、今や見る影もない。しかも、その後も新潟鐵工所の会社の業績は好転せず、2001年には遂に経営破綻で解散され、会社自体が無くなってしまった。ただ、車両製造などの事業や技術は、新たに設立された新潟トランシス(株)という新会社が後を継いでいる。 当駅には上記の他にも、北西にある新潟港からの貨物を扱うリンコーコーポレーション専用線、食糧庁倉庫専用線(新潟食糧事務所専用線とも)、フジタ建材リース新潟工場専用線(藤田金屬専用線)というのも伸びていた。しかし、これらも今は全て廃止されている。その結果、かつて各専用線からの貨物が集まる場所だった当駅だけが取り残され、ひっそりと眠っている。1970年代の航空写真には、稼働当時の工場群や専用線群が写っている。 ※食糧庁はかつて日本にあった国の機関の1つで、その地方支分部局(東京の本部に対し、新潟などの地方に設置された出先機関)が「食糧事務所」と呼ばれていた。しかし、食糧庁は2003年に廃止され、農林水産省がその業務を継いだ。 ※フジタ建材リースは藤田金屬自身が設立した会社だったが、今は藤田金屬の一部として吸収合併されている。また、社名の「屬」は「属」の旧字。藤田金屬専用線こそ廃止されたが、敷地自体は今も藤田金屬のものとして使われている。 ※信越本線貨物支線にはかつて、新潟港駅もあった。

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