新がつく駅地図手帖

裏新町駅(廃駅)


最終更新: 2025/01/07

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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裏新町(廃駅)うらしんまち大阪府
開業*開業年クリックで、
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1908年1912年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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大阪市電気鉄道部大阪市営電気鉄道(大阪市電)南北線(1系統)×路面電車
大阪市電気鉄道部大阪市営電気鉄道(大阪市電)南北線(2系統)×路面電車

▼備考 

位置は推測。1908~1912年の間にあった、大阪市電の古い駅。当駅から1つ北隣には、新町通駅(廃駅)もあった。逆に南隣は四つ橋駅で、その四つ橋駅のすぐ近くには、四つ橋と呼ばれる4つの橋も架かっていた。その名は今も交差点名などに残っている。 ※当初の大阪市電は「大阪市電気鉄道部」という所が運営していたが、これは後の1923年に「大阪市電気局」、当駅廃止後の1945年には「大阪市交通局」へと改称されている。 ところで、大阪市電気局はここからすぐ南の四つ橋付近に、電気科学館という施設を開業させている(1937年)。これは当時としては相当先進的な施設で、日本初のプラネタリウムのほか、当時は珍しかった科学的アプローチの展示内容などを揃えていた。当時はこのような施設は他に無く、日本初の科学館とも言われる。1936年頃の航空写真には、開業したての電気科学館がはっきりと写っている。この頃既に当駅は廃止済みだったが、当駅のあった場所からすぐ南南東、四つ橋からはすぐ北西に、半球状のドームを輝かせる建物が写っている。このドームがプラネタリウムの屋根で、天象館と言った。電気科学館は戦中に大阪大空襲の被害を受けたものの、軽い被害で済んだため、戦後も長らく科学館として市民に愛された。しかし、1989年に現在の大阪市立科学館が開業すると、電気科学館の機能を大阪市立科学館が受け継ぐ事になったため、電気科学館は閉館した。

▼関連写真 

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