新がつく駅地図手帖

湊新地駅(旧称)


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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湊新地(旧称)みなとしんち長崎県
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廃止
1913年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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島原鉄道島原鉄道線(北目線)普通鉄道
島原鉄道島原鉄道線(南目線)普通鉄道

▼備考 

当駅は2015年に、老朽化した駅舎が新しく建て替えられた。ここは、長崎県最東端の駅。南隣は島原港駅で、島原鉄道線の終点。島原鉄道線は、諫早駅と島原港駅を結ぶ。 当駅は島原鉄道の南端の終点として、1913年にこの駅名で開業。その後、1918年に「島原湊駅」に改称。1922年になると、口之津鉄道(くちのつてつどう)という別会社が当駅から更に南へ線路を伸ばし、ここは2路線の境目になる。1943年には島原鉄道が口之津鉄道を吸収合併し、ここは島原鉄道線の途中駅になる。そして、島原鉄道線のうち、当駅を境に北側が北目線(きためせん)、南側(旧口之津鉄道部分)が南目線(みなんめせん)と呼ばれるようになった。1960年には、当駅は「南島原駅」に再改称。当駅は元終点なこともあり、今でも当駅で折り返す列車が多いため、駅の隣には車両基地や留置線がある。 再改称後は長らくその駅名だったが、2019年10月には更に「島原船津駅」(しまばらふなつえき)へと改称。この時島原鉄道は当駅以外にも大量の駅を一斉改称しており、当駅の両隣の駅もことごとく改称している。当駅北隣は「島鉄本社前駅」から「霊丘公園体育館駅」(れいきゅうこうえんたいいくかんえき)へ、南隣は「島原外港駅」から「島原港駅」へ改称。起点の諫早駅には「雲仙・島原口」の副駅名も追加。それ以外にも多くの駅名が変わったり、副駅名が追加されたりしていて、全体の変更は12駅にも及んだ(駅名変更9駅、副駅名追加4駅、神代駅はその両方を受けた)。 島原鉄道線のうち、南目線は当駅から南下し、島原外港駅(現・島原港駅)を通り過ぎた後更に南へ伸びていた。その線路は布津新田駅などを通った後、はるばる南西に20km以上離れた口之津駅、加津佐駅まで続いていた。南目線は口之津鉄道だった頃から乗客が少なく、災害での運休にも苦しめられ、経営に苦戦していた。それでも経営の苦労が功を奏し、黒字化したり復旧を果たしたりしたという。しかし、1991年の雲仙普賢岳噴火の火砕流で南目線は無残にも寸断され、その後数年もの間運休してしまった。それでも新しい高架橋を架けて1997年に奇跡的な復旧を果たしたが、長期運休の間に離れていった乗客が戻って来ず、復旧からわずか10年ほどの2008年、南目線は大半が廃止されてしまった。今の南目線は当駅~島原港間の1駅分を残すのみ。 ※南目線については、島原鉄道100年物語が詳しい(敬称略、閉鎖サイト)。

▼関連写真 

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