新がつく駅地図手帖

新冠駅(廃駅)


最終更新: 2023/06/30

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新冠(廃駅)にいかっぷ北海道
開業*開業年クリックで、
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1926年2021年

▼この駅を走っていた路線 

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JR北海道日高本線普通鉄道

▼備考 

かつてここにあった、日高本線の廃止区間の駅。「新冠」は町名でもあり、競走馬などで有名。元は日高拓殖鉄道の「高江駅」(たかええき)として1926年に開業したが、1948年にこの駅名へ改称。日高拓殖鉄道は日高本線の前身私鉄だったが、当駅開業の僅か翌年(1927年)に国有化され、以降は国鉄の日高線(1943年以降は日高「本」線)となった。1970年代の航空写真を見れば分かる通り、昔はより東側の場所に当駅があったが、1999年に新駅舎が建った際に、上図の場所へ移転している。この時、駅舎は「出会いと憩いのセンター」という町営の施設としての機能も兼ねるようになった。東隣は静内駅(しずないえき)で、日高本線の主要駅の1つだった。静内は、日高地方でも大きな街で、新ひだか町の中心。 日高本線は苫小牧駅と鵡川駅(むかわえき)を結ぶ路線だが、かつては海沿いをはるばる走って当駅を通り、様似駅(さまにえき)までを結んでいた。元々は更に先の襟裳(えりも)を通って、帯広からの広尾線と繋がる計画だった。全線がほぼ海沿いで車窓も風光明媚と言われた。車窓から日高昆布を干す光景や競走馬が見られる事でも知られた。 国鉄時代には、札幌から急行「えりも」などの速達列車もやって来るなど栄えていたが、その後、海沿いゆえの塩害による車両の老朽化や、利用者の少なさによる赤字に悩まされるようになっていった。赤字対策のため、普通の車両よりも軽量で開発費を抑えたキハ130形というのを走らせた事もあったが、その車両が思った以上に塩害や雪などに弱く長持ちしなかったため、かえって赤字を悪化させた。キハ130形引退後は、それまで主流だったキハ40系が再び走る事となり、新車が旧車に置き換えられるという皮肉な事態となった。 事態が急激に悪化したのは、2015年1月に起きた厚賀(あつが)~大狩部(おおかりべ)駅間の高波被害。これにより、日高本線の鵡川~様似駅間(当駅も含む)が不通となった。元々苦しい状態だった所に追い打ちをかけるような被害だったため、この不通は長引いた。更に、2016年の台風で被害が拡大した上に、2018年の北海道胆振東部地震も受けた。当駅~静内駅間にも被害が出た上、橋が流されるなど被害はますます深刻化した。追い打ちの上に更に追い打ちをくらったため、復旧費用がどんどんかさみ、ただでさえ経営が厳しいJR北海道は、自力で復旧できなくなった。2020年になっても不通は続き、運行は代行バスが担い続けた。気付けば不通区間に5年以上も列車が走っておらず、流石にここまで長引くと、費用負担していた地元の自治体も耐えきれなくなった。そのため、長らく休止扱いだった不通区間の廃線が検討された。 そして、不通区間の「休止」扱いを2021年3月31日までとし、翌日の4月1日からは正式に「廃止」される事が決まった。そして、実際にその日がやって来て、廃止された。休止区間の休止駅として一応は存続していた当駅も、この時廃駅となった。それまでの「代行バス」としてのバス運行も終了し、今後は一般の路線バスとしてJR北海道バスなどが走る事になる。ただ、当駅の駅舎の建物は駅舎としての機能は失ったものの、引き続き町の「出会いと憩いのセンター」として利用される。 ※路線名に「本線」と付くのは、かつては途中で富内線(とみうちせん)など別の路線も分岐していたため。1943年に富内線が開業する(正確には私鉄が国有化されて富内線となる)までは単に「日高線」と言ったが、その年に「本」が付けられた。その上、様似まで堂々の146.5kmを誇る長大路線でもあった。しかし、今となっては留萌本線同様、「本線」というのは名ばかりの弱小路線となったほか、2021年の部分廃止後は路線長が大幅に8割近く縮んでたったの30.5kmとなり、それまで最短だった留萌本線を下回った事で、JRの「○○本線」を名乗る路線の中で日本最短となった。 ※追記: 2023年には留萌本線が更に縮んだ事で、日本最短記録は再び留萌本線となっている。最短記録の更新合戦とはなんとも虚しい。

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