新がつく駅地図手帖

新夕張駅


最終更新: 2023/07/05

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
新夕張しんゆうばり夕張(廃駅)北海道
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
1892年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
JR北海道石勝線(K)普通鉄道

▼かつてこの駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
JR北海道石勝線夕張支線(Y)×普通鉄道
日本国有鉄道(国鉄)夕張線登川支線×普通鉄道

▼備考 

駅番号K20。石勝線が出来る前は、ここは「紅葉山駅」(もみじやまえき)と言い、夕張線と登川支線(のぼりかわしせん)の駅だった。1892年の開業以来の駅名だったが、1981年の石勝線開通と共に改称された(今も古い駅名標が残るという)。 2019年3月31日までは、当駅を出ると北側で石勝線の線路が二手に分かれていた。北へ分岐するその支線は「石勝線夕張支線」と呼ばれていた。夕張支線はここから北上し、夕張駅まで伸びていた。沼ノ沢清水沢、鹿ノ谷などの途中駅があった。沿線はかつて炭鉱で栄え、夕張駅周辺には夕張鉄道も乗り入れていた。しかし鉱山の閉山後、今は過疎化が著しい。沼ノ沢駅など、駅前に廃墟が並ぶ駅もあり、痛ましい光景が広がっているようだ。沿線の衰退で夕張支線の利用者も減り、あまりに客がいないことから、惜しまれつつも2019年4月1日に廃線。その後の代行バスは夕張鉄道が運営し、夕張支線時代の2倍の本数が設けられた。 夕張支線廃止決定後、沿線で様々なもてなしが行われ、ありがとう夕張支線というサイトも出来た(閉鎖済み)。廃線後でも、何とか沿線の衰退を食い止めることができたらいいが… ちなみに、石勝線の当駅~新得駅間の旅客列車には特急・急行しか無いので、この区間に限り、青春18きっぷで特急の普通車自由席に乗れるという特例がある。 ※1981年までは追分~当駅~夕張間が夕張線で、当駅から登川支線が分岐する形だった。その年に、夕張線を基にして石勝線が作られた。夕張支線はかつての夕張線の一部なので、今でも「夕張線」と通称されるという。夕張線は元々、北海道炭礦汽船(略して北炭、当時は北海道炭礦鉄道)という会社が夕張で炭鉱を始め、その為に敷いた鉄道だった。後に国有化され夕張線となった。北海道炭礦汽船は鉱山や鉄道の他にも発電所など色んな施設を作った大企業だったが、夕張の鉱山閉山後は縮小し、今は小さな会社としてひっそり存続している。 社名の「」の字(新字体は「」)は「鉱」と同じ意味だが、石炭は金属ではないことから、かねへんの字を避けてこの字を使うことがあるようだ。 ※登川支線は、ここから真東の楓(かえで)という集落の方へ向かい、楓駅・登川駅と続いていたが、石勝線開通時に廃止された。その後、石勝線も旧・登川支線を辿るようなルートで楓を通っていたため、当初は石勝線上の当駅~占冠駅間にも同名の「楓駅」が新設されていた(旧・楓駅よりも東寄り)が、利用者が減ったため、2004年に「楓信号場」として格下げされている。

▼関連写真 

202-1.jpg

新夕張駅の駅舎。今の駅舎は、1981年の石勝線開通時以来のもの【撮影日:2019/03/21】

202-2.jpg

駅前広場(というか駐車場)の札幌方面を眺める。石勝線開通以前の紅葉山駅時代には、当駅は今より南にあり、この写真の左斜め前辺りの位置にあった。それは、1970年代の航空写真を見ても分かる。また、今は写真正面の山を貫くトンネルが掘られているが、当時は写真左奥へ流れる夕張川に沿うように線路が敷かれていたようだ。【撮影日:2019/03/21】

202-3.jpg

駅前広場の帯広方面を眺める。駐輪場が見える。中央奥の白い建物も当駅の敷地らしく、広い。【撮影日:2019/03/21】

202-4.jpg

駅前広場の市街地側に、紅葉山と書かれた駅名標があったが、なんかポップ体になってる。当時のデザインとは違うが、駅名だけでも記憶に残そうと記念に立てたのかもしれない。本物じゃないかもしれないが、錆び具合はかなりいってるし、もし本物の上にこれを書き足したものだとしたら、勿体ない。【撮影日:2019/03/21】 のりてつウェブ(敬称略)によると、2008年の時点では当時のままの駅名標が確かにあったようだが、当時既にボロボロに錆び、足も折れそうになっててこれ以上もたない感じがしたので、補修したのかもしれない(にしてもポップ体はないでしょ…)。

202-5.jpg

駅の入口から、駅舎内を見る。自動改札は無いようだが、みどりの窓口がある。 石勝線はJR北海道の中でも主要な路線で、そこそこ本数があるが、基本、特急だけ。どちらかと言うとこの日は、夕張支線の廃止間近なだけあって、普段は見られない「臨時普通 17:00発 夕張行」なるものが表示されていた。実際、今回人生初の北海道旅行を決断したのも、実はこれが決め手だった。駅舎内がこんなに賑わってるのも、夕張支線のお名残乗車によるもので、自分もその1人【撮影日:2019/03/21】

202-6.jpg

当駅の時刻表。ピンク色で書かれているのが石勝線本体(1・2番線)で、「スーパーとかち」や「スーパーおおぞら」などの特急が連なる。ピークの時間帯には1時間に1本くらい。一方、黒い字が夕張支線(3・4番線)で、平日は1日に8本ほどあるようだった。【撮影日:2019/03/21】 ※特急名に付く「スーパー」は、新型車両による運行だということを明示するために付いていた。同じ特急名でも、古い車両が担当する時と新しい車両が担当する時とでは所要時間に大きな差が生まれてしまっていたため、新旧車両が混在する時代に「スーパー」の付く特急名が使われた。例えば、国鉄時代に造られたような古い車両はうまくスピードが出ず時間がかかった一方、JR化後に造られた新しい車両は大幅に時間が短縮されたため、ダイヤ上区別せざるを得なかった。しかし、2020年となっては全て現代型の車両に置き換わり、車両の性能差による所要時間の差が殆ど見られなくなったため、「スーパー」を付けて区別する意味も殆ど無くなった。そのため、特急名に「スーパー」を付ける方式は2020年3月に廃止され、現在は単に「とかち」とか「おおぞら」と呼ばれる。

202-7.jpg

駅入口から入ってすぐ左手にある待合室。首都圏と比べると列車の本数は少なく、かつ寒い地方のため、ホームではなく駅舎内に待合室が設けてある。ここで待つ人はホームにいないので、乗り逃さないように、列車が接近するとブザーが鳴ったり自動アナウンスが流れたりする。このパターンは日本中によくある。【撮影日:2019/03/21】

202-8.jpg

新夕張駅入口を、ホームへの通路から眺める。右手がさっきの窓口と待合室【撮影日:2019/03/21】

202-9.jpg

駅入り口からホームへ移動するための通路。写真奥が、さっきの入口。ホームは高い盛り土の上にあり、その中に地下トンネルのようにこの通路が伸びている。この構造は、本郷台駅の通路と似ている。ホームは2面4線で、1・2番線の島への階段が見える。3・4番線は、写真だと背後にある【撮影日:2019/03/21】

202-10.jpg

新夕張駅の1・2番線ホームへ上がったところ。札幌方面を眺める。番線の数字が国鉄風味あってレトロ。右隣には、夕張支線の3・4番線ホームも見える。【撮影日:2019/03/21】

202-11.jpg

新夕張駅の駅名標。駅番号K20が書かれている。隣駅として「ぬまのさわ」とあるが、これは今となっては廃止された夕張支線のもので、今は駅名標から消されているだろう… JR北海道は黄緑色っぽいイメージカラー(コーポレートカラー)で、JR東日本の見慣れた深緑とはまた違う味がある。遠くへ来たと感じさせる。一方、これが逆に道民にとっては「帰って来た北海道の懐かしい感じ」になるのだろう。実際、旅行から帰って暫くしてから写真を見返すと、今度は道民の感覚が分かった。【撮影日:2019/03/21】

202-12.jpg

新夕張駅の1・2番線ホームから、帯広方面を眺める。左奥には、夕張支線の3・4番線ホームも見える。 札幌から当駅に着いて降り立った時の写真で、1番線(右)に停まっている特急スーパーおおぞら7号(釧路行)に乗って来た。北海道&東日本パス+北海道線特急オプション券のペアを使用。【撮影日:2019/03/21】

202-13.jpg

当駅に到着する特急スーパーおおぞらの車両、キハ283系。青っぽい顔をしているが、2015年以降の別な塗装デザインの車両も混在するらしい。スーパーおおぞらは札幌~釧路間を走る特急で、前面には特急名と、釧路湿原のタンチョウヅルをイメージしたマークが表示されている。【撮影日:2019/03/21】 キハ283系はエンジンで走るディーゼルカーで、停車中もアイドリングの音が聞こえたりする。JR北海道の特急は、非電化区間の多く残る北海道中を長距離駆け抜けるため、電化済区間(千歳線等)でもディーゼルカーが使われる。ディーゼルカーと聞くと、非電化ローカル線をのんびり走るイメージが沸くが、これは特急用に開発された高性能なディーゼルカーで、100km/h超えは当たり前。かつてはTX新快速レベルの130km/hも出していたが、極寒地でエンジンをこき使ったためか、2012年辺りに事故や故障が相次いだため、今は110km/hに抑えて走る(それでも充分速い)。 また、車体に「FURICO」と書いてあるが、カーブでも安定して高速走行できるように振り子装置(カーブに合わせて車体を傾け、遠心力を打ち消す装置)を搭載しているのも特徴の一つ。振り子装置にも種類があり、これは「制御付き自然振り子式」というものらしい。元々原始的な装置として単なる「自然振り子式」というものが発明されていたが、それは摩擦などが原因で理想の傾きからズレが生じ、酔ったような気持ち悪い乗り心地を起こしていたため、制御機械で傾きを補正できるように改良したもの。現代では他に、「空気ばね式」など全く別の仕組みで動く振り子装置も実用化されている。 行きはこれで来たが、帰り(札幌宿泊へ)もこれに乗って帰った。 追記: 1997年から長らく特急おおぞらを担当してきたこのキハ283系も遂に世代交代の時期を迎え、2022年3月に定期運用を引退してしまった。おおぞらの車両は、後継のキハ261系に統一されるという。乗った事ある車両が過去の存在となっていくのは寂しいが、長らくお疲れ様でした、とも思う ちなみに、単に「電車」と言うと電力で走る車両の事を指すが、鉄道に疎い世間の一般人の間では、エンジンで走る気動車もひっくるめて、主な鉄道車両全般を「電車」と呼ぶ慣習がどうも根付いている。しかし、北海道は非電化区間が未だに多く残り、日本最後の国鉄のSL運行も北海道だった程に電化が遅れた事から、道民の間では「JRの電車」という概念が根付いておらず、道外で言うこの「電車」にあたる言葉として「汽車」が根付いているという。つまり、道民のうち鉄道に疎い一般人は、JR北海道の電化済区間の電車もひっくるめて「汽車」と呼ぶ事が多い。一方、路面電車は道内・道外共に早くから電化済のケースが多かったため、北海道で「電車」と言うと札幌市電函館市電などを指し、「汽車」と言うと電化非電化関わらずJR北海道の列車全般を指すといい、使い分けられている。 ※同様の呼称は、日本で唯一電車が全く存在せず、電化率が0%である徳島県にも根付いている。徳島県民の間でも「汽車」という言い回しが使われている。沖縄県には電気で動くゆいレールが存在する。

202-14.jpg

当駅3・4番線に停車中の、夕張支線の夕張行き列車。前面方向幕には「臨時」とある。普段は1両編成だが、この時は廃止間近の混雑を受けて、臨時列車が設けられたほか、日高本線から持って来た車両を連結させ、2両編成になっていた。塗装は違うが、いずれもキハ40系。奥の白・黄緑のが本来の夕張支線の車両で、手前の青っぽいのが日高本線から持って来たもの。その顔には「優駿浪漫」と書いてあるが、調べると、かつて札幌から日高本線の様似まで直通した臨時列車「優駿浪漫号」と同じ色をまとった「優駿浪漫カラー(仕様)」の普通列車車両で、キハ40系の350番台と言うらしい。そういえば、日高本線は大部分が不通のままその分の車両が余っていたため、ここに回されたのかもしれない。この後、これに乗って夕張駅を目指した。【撮影日:2019/03/21】 ※この3・4番線は、専ら夕張支線のために使われていたため、その廃線後はこのホームも閉鎖されているという。また、この時は知らなかったが、この3・4番線ホームの島にはかつて、帯広側に切欠きホームの0番線があったという。この写真でいうと、夕張支線のホームの右奥側。今は線路が撤去され、切欠きホームの形だけが名残として残るようだ。 ※追記: 2021年3月13日には、この優駿浪漫カラーのキハ40系も引退してしまったらしい。

202-15.jpg

夕張支線の車両(キハ40系)から、当駅ホームと駅舎の後ろ姿を撮る。【撮影日:2019/03/21】

202-16.jpg

夕張支線の車両から、新夕張駅前の紅葉山の街並み。【撮影日:2019/03/21】

202-17.jpg

石勝線本体から夕張支線が離れ、夕張川を渡る。一番奥の立派な橋が、新得・帯広方面へ向かう石勝線。その手前に架かる橋は、道路(国道452号)。【撮影日:2019/03/21】

202-18.jpg

夕張支線で隣の駅、沼ノ沢駅の様子。雪深い。左奥の建物は廃墟になっている。駅舎内に店舗を構える「レストランおーやま」の看板が、右奥に見える(裏側なので鏡文字に見える)。この駅は今は廃駅だが、レストランは廃線後も営業中で、夕張支線の代行バスは本数が増えたので、いつか寄れたらいいなと思う(営業時間は変わったりしているようだ…)【撮影日:2019/03/21】

202-19.jpg
202-20.jpg

夕張支線沿線は、3月も終わりなのに雪深く、豪雪地帯のようだ。北海道の山地だから当然ではある。ボロボロの家屋に容赦なくのしかかる雪に、建物の悲鳴を感じた。もう人が住んでいるのかどうかも分からないような家も、かなり多く見られた。このまま列車に揺られ、夕張駅を目指した。【撮影日:2019/03/21】

 20件の関連写真。
写真を追加 / ギャラリー