新がつく駅地図手帖

新小泉駅(廃駅)


最終更新: 2020/07/25

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新小泉(廃駅)しんこいずみ小泉群馬県
開業*開業年クリックで、
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1955年1975年

▼この駅を走っていた路線 

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東武鉄道仙石河岸線×貨物

▼備考 

1955年~1975年の間にあった、東武鉄道仙石河岸線(せんごくがしせん)の貨物駅。 仙石河岸線は、西小泉駅から東武小泉線を延長するような形で伸びていた貨物専用路線。1976年に廃線したが、当駅はその前年に廃駅になっている。仙石河岸線は当駅を経由した後、ここから南西の仙石河岸駅まで伸びていた。仙石河岸駅は利根川のすぐ手前辺りにあり、主に利根川の砂利を採取するのに使われた。ポポロ通信舎では、当駅の写真を見る事ができる(敬称略。その写真が最初にネット上に公開されたのは上毛新聞ニュースと思われるが、今はその記事もWebアーカイブもデータが紛失している)。 仙石河岸線の線路跡や当駅跡は今、「いずみ緑道」という遊歩道になっている。また、仙石河岸駅跡には、いずみ総合公園の野球場・サッカー場が出来ている。すぐ北東の方には大泉町役場もあり、役場とこの遊歩道は道路を1本挟んだだけでとても近い場所にある(大泉町については後述)。役場前には、中央公園という別の公園もある。 仙石河岸線については、歩鉄の達人Chungking Expressが詳しい(敬称略、後者は閉鎖済みサイト)。 ところで、1970年代の航空写真を見ると、仙石河岸線を更に南へ延長したように、利根川に橋脚が並んでいるのが見える。そして、対岸にも線路跡のようなものが南へ続いている。これは、東武熊谷線の未成線区間。東武熊谷線はかつて、熊谷~上熊谷駅間で秩父鉄道を走り、そこから北上し、妻沼駅(めぬまえき)まで伸びていた、東武の非電化路線。これを妻沼より更に北へ伸ばして利根川を渡り、北岸の仙石河岸線・小泉線と繋げる計画があり、建設工事も進んでいたが、元々軍用路線として計画された熊谷線の重要性は終戦後に下がり、採算も取れない事から、妻沼~(利根川橋梁)~仙石河岸間の未成区間の工事は橋脚の完成をもって凍結。開通済み区間だった熊谷~妻沼間も、結局は赤字など同じ理由で1983年に廃線。もし熊谷線が全通していれば、熊谷駅と西小泉駅がはるばる鉄道で南北に繋がる事になったが、叶う事は無かった。利根川の橋脚も今は大半が撤去済みだが、北岸(当駅寄り)の橋脚のみ、今も残されている。営業当時の熊谷線は熊谷~妻沼間のみで、東武の他の路線網と繋がっていない孤立路線だったため、東上線系統にも東武本線にも属していなかった。 ※新抜き駅の「小泉駅」は、太多線にある岐阜県の駅。一方、当駅周辺には「小泉駅」という駅は無く、代わりにかつての小泉町の中心として「小泉町駅」(こいずみまちえき)がある。遠く離れた岐阜県の駅と当駅の間には直接の関係は無いが、当駅が開業した時には既にその小泉駅と小泉町駅の両方があったためか、当駅は重複を防ぐために「新」を付けた可能性がある。但し、当駅が開業した当時、北東の小泉町駅周辺は小泉町だった一方、当駅一帯は大川村(おおがわむら)という別の市町村にあった。これらは当駅開業のほんの1年半後(1957年)に合併し、現在は「大泉町」(おおいずみまち)となっている。この新町名は、川村と小町から1文字ずつ取った合成地名となっている。

▼関連写真 

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