新がつく駅地図手帖

新森小路駅(旧称)


最終更新: 2022/08/28

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新森小路(旧称)しんもりしょうじ森小路(旧称)大阪府
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廃止
1931年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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京阪電気鉄道京阪本線(京阪線)(KH)普通鉄道
京阪電気鉄道[直通]中之島線(京阪線)(KH)普通鉄道

▼備考 

駅番号KH07の、京阪本線の駅。1931年にこの駅名で開業したが、後の1942年に「新」が抜かれた。新抜き駅は、今の千林駅(北隣の駅)の旧称。つまり、かつては北隣の駅が(初代)「森小路駅」(旧線時代は「森小路停留所」)を名乗り、当駅は「新森小路駅」を名乗った。紛らわしいその経緯は、下記の通り。 京阪本線が付近を最初に通った1910年当時は、今よりも西側の旧線を走っていたという(当時の地図をドラッグすると、今の線路との位置のズレを確認できる)。そして、当時の旧線上にはまだ当駅は無く、北隣の森小路停留所のみがあった。 しかし、この旧線は部分的に併用軌道(路面電車スタイルで道路上を走る)区間があり、輸送力に問題があったため、これが1931年10月に現在の位置の線路へ移設・専用軌道化された。この時、現在地に当駅が誕生したが、既存の森小路停留所(北隣)も新線上の(初代)「森小路駅」として移設されたため、当駅は「新」を付けての開業だった。移設・新線開通直前の地図を見ると、現在の線路がまだ建設中で、旧線上には当駅は無く、北の方に移設前の「もりせうぢ」停留所(=現在の千林駅)が描かれている。※但し、北隣の森小路駅は、移設の2ヶ月後(1931年12月)に「森小路千林駅」へと改称されたため、新が付く駅名と新抜き駅名が共に存在した期間はこの2ヶ月間だけだった。 その後、1942年には2駅とも同時に現在の駅名へと改称され、今に至る。つまりこの時、北隣の駅は「森小路千林駅」から「千林駅」へ、当駅は「新森小路駅」から(2代目)「森小路駅」へと改称された。 まとめると、1910~1931年10月までの間は、旧線上に北隣の(初代)「森小路停留所」のみがあった。1931年10月~12月の間は、新線上の北隣が(初代)「森小路駅」で、当駅が「新森小路駅」だった。1931年12月~1942年の間は、北隣が「千林森小路駅」、当駅が「新森小路駅」だった。1942年以降は、北隣が「千林駅」、当駅が(2代目)「森小路駅」となっている。北隣の駅(=初代森小路停留所=初代森小路駅=千林森小路駅=千林駅)は移設を挟んで旧線時代からあるが、当駅(=新森小路駅=2代目森小路駅)は新線開通後にしか存在していない。 当駅のこの旧称は、付近の地名にも影響を及ぼした。まだ当駅がこの名前だった1933年、当駅の東側一帯の地名として、当駅名が由来の「新森小路北」「新森小路中」「新森小路南」という地名が誕生した。これらは当駅から「新」が抜かれた後の戦後も長らく存続したが、1971年に実施された住居表示によって、「新森」という別の地名へ改称されている。この新地名は、「新森小路」の略。当駅から東南東の方には、新森小路小学校という小学校もある。また、今はその近くに地下鉄の新森古市駅もある。当駅から「新」が抜かれて久しいものの、その名残として付近の地名や学校名・地下鉄の駅名にそれが残っていると考えると、不思議。 ちなみに、千林駅以北の区間は駅間が非常に短い事で知られる。千林~滝井駅間と滝井~土居駅間は共に約400mしかなく、特に滝井~土居駅間はホームの近い方の端同士の最短距離はたったの159mだという。ホームの端から、隣駅のホームが見える。 ※京阪本線には他に、門真市駅もある。

▼関連写真 

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