新がつく駅地図手帖

東新湊駅


最終更新: 2025/11/11

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
東新湊ひがししんみなと富山県
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
1930年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
万葉線新湊港線(万葉線)普通鉄道

▼備考 

当駅は1930年に、今よりも300mくらい南西の場所にて「新湊東口駅」(しんみなとひがしぐちえき)として開業。聯隊橋駅(後の新富山駅)側から徐々に西へと線路を伸ばしてきた越中鉄道の、西端の終着駅としての開業だった。今昔マップ(敬称略)にて、当時の場所の当駅を確認できる。越中鉄道は、後に射水線及び現在の万葉線新湊港線となる線路を敷いた、前身会社。 2年後の1932年8月には、駅の位置が今の場所へ移転し、同時に(現在と同じ)「東新湊駅」へと改称された。同年11月には線路が更に西の庄川口駅まで延伸し、当駅は途中駅となった。この時、庄川口方面の隣駅として中新湊駅も開業している。 その後1937年になると、当駅のすぐ南の方に日本高周波重工業富山工場(現・日本高周波鋼業富山製造所)が出来たため、それを受けて1939年に「東新湊高周波前駅」(ひがししんみなとこうしゅうはまええき)、1942年には「高周波前駅」へと改称された。1943年の戦時統合によって越中鉄道が富山地方鉄道(地鉄)に合併されると、当駅は地鉄の射水線の駅となった。1945年の終戦の日には、当駅は再び「東新湊駅」へと改称され、その後は暫く射水線の駅としての営業が続いた。1950年代には、射水線の両端においてそれぞれ高岡軌道線富山軌道線への直通が始まり、高岡・富山両都市の路面電車がはるばる射水線経由で繋がった。 しかし、1966年に富山新港が建設されると、射水線は2つに分断され、当駅側の線路は越ノ潟駅(こしのかたえき)を東端として取り残された。以降、当駅側の線路は地鉄から加越能鉄道へと譲渡され、加越能鉄道の「新湊港線」(しんみなとこうせん)となった。分断によって富山軌道線への直通は無くなったが、高岡軌道線への直通は続いた。更に2002年以降は、運営会社が万葉線へと変わった。 ちなみに、越ノ潟駅は当駅から東に2つ隣。また、その手前(当駅東隣)の海王丸駅近くには海王丸パークがあり、1930年に進水した練習船の帆船、初代海王丸が保存・公開されている。練習船とは、船舶職員の育成に使われる船。 ※駅名が似ていて紛らわしいが、当駅の旧称である「新東口駅」と、かつて存在した「東口駅」は、全くの別駅。新港東口駅は、富山新港によって分断されたもう一方の線路側に設けられた別駅。分断後も加越能鉄道、後に万葉線として現存する当駅側の線路とは異なり、反対側(新港東口駅側)の線路は(分断後も射水線として続いた後)、廃止に追い込まれている。つまり、分断によって当駅側と反対側で明暗が分かれた。当駅側の線路は、かつての分断前の射水線の片割れと言える。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー