新港東口駅(廃駅)
最終更新: 2025/11/12
▼この駅について
| 駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
| 新港東口(廃駅) | しんこうひがしぐち | | 富山県 |
| 開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
| 1966年 | 1980年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
昔の射水線は、この西側にある現・万葉線の線路(越ノ潟駅・東新湊駅方面)と繋がっていたが、富山新港の建設により、1966年に線路が分断された。分断前は、1932年以来の「堀切駅」というのが近隣の別の場所にあったが、分断後はその駅をこの場所へ移転・再開業させ、当駅として生まれ変わらせたという。分断前の1960年代の航空写真(当駅開業前の様子)を見ると、付近には東西に細長い砂州が広がり、それに沿って街道(越中浜往来)や線路が通っていた事が分かる。砂州はこの場所のすぐ西で途切れてはいたが、ちょっとした橋で越えられる程度のものだった。この砂州によって、南側一帯には放生津潟(ほうじょうづがた)という巨大な潟湖が形成されていたが、富山新港はこれを開削する事で造られた。
その後も射水線は当駅~新富山駅間で営業を続けたが、分断により射水線の利用者が激減し、1980年に廃線に追い込まれてしまった。津島軽便堂写真館やDADAのちうごく旅遊日記・駅を撮った古い写真(ページ中ほど)には、営業当時の射水線や、新港東口駅の貴重な写真が載っている(敬称略)。
ちなみに、射水線の分断後にここから対岸の越ノ潟駅まで移動する術が無くなるのを防ぐ為、当駅開業と同時に、鉄道連絡船として富山県営渡船(通称、越ノ潟フェリー)も就航した。その船着場は堀岡発着場と言うが、当駅と越ノ潟駅を結ぶ鉄道連絡船として路線データに入れた。この船着場は今でもしばしば「新港東口」と呼ばれる。こうして、射水線からこのフェリーに乗り換えることで、引き続き分断前と同じ移動ができるようにしたが、フェリー乗り換えの面倒さもあって射水線の利用者が減ったという。
※その後うんと時代が進み、2012年に新湊大橋が開通すると、対岸への交通の担い手はこの橋に取って代わるためこのフェリーも一旦は廃止案が出たが、橋の側にも色々問題が出たためフェリーは今でも運行が続けられている(新湊大橋があまりに高くて怖いとか、飛び降り自殺者が出たとか、風が強くて建設時に死亡事故が出たとかだと思われる)。
※今昔マップ(敬称略)に収録の1968~1969年の地図によると、当駅名の読みが「しんこうひがしぐち」ではなく「しんみなとひがしぐち」と書いてある。但し、現在ほぼ同じ場所にある同名のバス停名はNAVITIMEによると「しんこうひがしぐち」と読む上、Wikipediaでも当駅名は「しんこうひがしぐち」だと紹介されている。資料によって読みにブレがあるため真相は不明だが、地図側に誤りがある可能性を考え、当サイトのデータでは「こう」の方を採用している。というのも、地図側が、東新湊駅の旧称である「新湊東口駅」(しんみなとひがしぐちえき)と混同した可能性があるため。これらは、全くの別駅。 ▼関連写真