新がつく駅地図手帖

新板橋駅(旧称・廃駅)


最終更新: 2021/05/17

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
新板橋(旧称・廃駅)しんいたばし板橋東京都
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止*廃止年クリックで、
同年廃止の駅を検索
1944年1966年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
東京都交通局都電志村線(18系統)×路面電車
東京都交通局都電志村線(41系統)×路面電車

▼備考 

都電志村線の電停(停留場)。1944年の開業直後は「新板橋」電停を名乗ったが、後に「板橋町十丁目」、「板橋十丁目」、「板橋本町」と改称を重ねた。ここへは、都電の18系統と41系統がやって来た。 都電志村線(しむらせん)は、付近の国道17号(中山道、なかせんどう)を南北に走っていた。途中、新庚申塚電停で都電滝野川線と平面交差した。ここから南東の巣鴨の方には巣鴨車庫という市電(後の都電)の車庫があったが、1929年以降、そこから北西へ徐々に線路が伸びていった。1944年7月になると線路がここまで到達し、当電停がその北端の終着として開業。 当電停すぐ南には石神井川(しゃくじいがわ)が流れていたが、中山道が石神井川を渡る橋の名前が「新板橋」だった為、当電停も当初はこの橋の名前を名乗った。一方、この新板橋からほんの150mほど下流側(東側)には、元々「板橋」という橋も架かっていた。この「板橋」は旧中山道に架かり、これこそが周辺の「板橋」という地名の由来となった。 ※江戸時代、この橋のたもとに上宿(かみしゅく)・仲宿(なかしゅく)という2つの宿場町が出来たが、更に南東の平尾宿(ひらおしゅく、現・板橋区板橋付近)と合わせてこれら3つが板橋宿(いたばししゅく)と呼ばれるようになり、それが地名となった。 当電停が開業してほんの約3ヶ月後の1944年10月には線路が再び延長され、当電停は途中駅(途中電停)となった。この延長時に当電停は早くも「板橋町十丁目」電停へと改称された為、新板橋を名乗っていたのは僅かの間だった(その後当電停は更に「板橋十丁目」へと再改称されたが、その時期は不明)。この1944年のうちに、線路は「志村」電停(後の「志村坂上」電停)まで伸びた。志村坂上(しむらさかうえ)電停は、現在の都営三田線(後述)の志村坂上駅とほぼ同じ場所にあったと思われる。 その後戦災もあり、暫く線路はそこで行き止まっていたが、戦後の1955年になると、線路は更に北へ伸び、志村坂上~志村橋(しむらばし)間が延伸開業。この「志村橋」電停が最終的な終着となったが、これは都電史上最北端の電停だった。そして、「志村橋」という電停名も、その近くの新河岸川に架かる「志村橋」という橋が由来だった。 更に、元々志村線には18系統のみが走っていたが、この時、最北の志村橋まで走り抜ける「41系統」もデビューした。これは、都電で一番最後に登場した系統番号でもあったという。 1956年になると、板橋区による地番整理によって当電停付近の住所が変更され、旧電停名の由来だった「板橋区板橋町十丁目」という住所が「板橋区本町」の一部へと再編された為、当電停もそれに合わせて「板橋本町」(いたばしほんちょう)電停へと再々改称された。当電停には、「愛染通」(あいぜんどおり)の副名称も付けられたらしい。 しかし時代が進み、都電が渋滞に巻き込まれるなどして末期になると、ちょうどこの志村線に沿って都営地下鉄6号線(現・都営三田線)が建設される事になった。これは都電志村線に取って代わるもので、1966年に地下鉄工事が着工すると、その上を走っていた都電志村線は廃止された。最北の志村橋電停は、1955~1966年の僅か10年ちょっとの間しか無かった事になる。 ※1936年頃の航空写真では、まだ旧中山道とそこに架かる板橋のみがあり、現中山道(現・国道17号)が建設中で、新板橋も架橋工事中と思われる様子が写っている。新板橋以北は新しい道路がかなり出来つつあるが、以南はまだ用地買収の最中に見える。これが1947年頃になると、新しい道路も新板橋も開通し、志村線も延伸済みの様子が見える。 ※旧中山道に架けられた「板橋」と、現中山道に架けられた「新板橋」は、2つとも橋の名前としては現存するが、今ある板橋は1972年に、新板橋も恐らく同時期に架け替えなり何かしら手が加えられたと思われる為、都電が走った当時の橋ではない。志村線廃止後の1970年代の航空写真とそれ以前の航空写真を比べると、蛇行していた石神井川の流路が河川改修で真っ直ぐになっている。この時、新板橋の幅も広がっている為、増設か架け替えが推測される。 ※橋にも駅同様、「新が付く橋」と「新抜き橋」のペアが多く見られる。当電停と新抜き駅(板橋駅)の間には直接の関係は無いが、それぞれの由来となった2つの橋同士は対になっていると見なせる為、板橋駅を新抜き駅とした。 ※同名を名乗る都営三田線の「板橋本町駅」は、当電停よりもやや北にずれた場所にある。また、同じく都営三田線の「新板橋駅」は、もはやかなり南東へ離れた全く別の場所にある。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー