新庚申塚駅
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新庚申塚 | しんこうしんづか | 庚申塚 | 東京都 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1929年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼かつてこの駅を走っていた路線
▼備考
都電荒川線の停留場(電停)。反対のホームは、大きな道路(国道17号、白山通り)を挟んで向かい側にある。都電は路面電車だが、今残る区間の殆どは専用軌道で、この周辺も専用軌道になっている(大きな道路の部分は踏切が無く、路面)。南隣が、新抜き駅の庚申塚停留場。更に南には、巣鴨新田停留場もある。
かつて都電が大きな路線網を誇った頃、ここは都電滝野川線(32系統)の区間だった。また、大きな道路の部分を都電志村線(18系統・41系統)が通っていて、新庚申塚で32系統とクロスしていた。18系統は神田橋~巣鴨車庫前~志村坂上、41系統は巣鴨車庫前~志村坂上~志村橋まで伸びていた。いずれも、志村坂上までは今の都営三田線とほぼ同じルート。当時の都電には他に、新宿駅前電停や新橋電停などもあった。
現・都電荒川線は当初、「王子電気軌道」(王子電軌、王子電車、王電とも)という私鉄が1911年に開通させたが、開通当時ここに停留場は無かった。そもそも、クロスする大きな道路自体も無かった。その後、1929年4月に市電板橋線(後の都電志村線)が開通するとまず、クロスする地点の市電側に庚申塚電停が開業した。この時王子電気軌道側にはまだ停留場は無かったが、既に王子電気軌道側にも南隣に(現)庚申塚停留場があったため、同名の停留場が異なる場所に2つ存在する事になった。
市電板橋線は、この大きな道路の開通と共に、その道路に沿って開通した。大きな道路の正体は中山道の新道建設で、新道に取って代わられた従来の中山道は「旧中山道」として格下げされた。厳密には中山道はここから北西の西巣鴨交差点が起点で、旧中山道の起点もここより西にあり、こっち側は「白山通り」という別名になっているが、この新道建設と一体的に開通した道路だった。
同年5月には、王子電気軌道側にも乗り換え停留場として板橋新道停留場が開業。この停留場名は前述の中山道新道から取ったと思われるが、これこそが現在の都電荒川線の当停留場の直接の始まりとなる。こうして、このクロス地点には市電の庚申塚停留場・王子電気軌道の板橋新道停留場が共存する事になり、同じ場所なのに違う停留場名となった(更に、王子電気軌道で南隣の庚申塚停留場もあり、紛らわしい)。
しかし、流石にここまで停留場名がややこしいと不便なためか、1930年には市電側・王子電気軌道側共に新庚申塚停留場に改称され、これが現在の都電荒川線の当停留場名として今も生きている。
1942年になると、王子電気軌道が東京市電気局(後の東京都交通局)に買収され、王子電気軌道だった部分は市電(後の都電)滝野川線となった。この時、城東電気軌道という別の私鉄も買収で市電化され、最終的には都電砂町線や小松川線などになっている。こうしてここは東京市電、後に都電志村線・滝野川線の乗り換え電停となったが、王子電気軌道時代を知る人は、今でも荒川線をそう呼ぶ事があるらしい。
※都電荒川線には、2017年4月28日に「東京さくらトラム」の愛称が付けられた。2018年11月からは都電にも駅番号(駅ナンバリング)が導入され、ここはSA20になった。 ▼関連写真