新居浜駅
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新居浜 | にいはま | | 愛媛県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1921年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼かつてこの駅を走っていた路線
▼備考
駅番号Y29の予讃線の駅で、貨物の取扱いもある。1967年までは、別子鉱山鉄道の国鉄連絡線も当駅へやって来ていた。今も、当駅から南西へ分岐・カーブする廃線跡が見て取れる。
当駅は、今は鉄道における新居浜市の玄関口でもあるが、新居浜の本来の市街地はここからうんと北西の方へ離れた海沿い一帯にあり、当駅周辺は田んぼの広がる田舎だった。海沿いにあった本来の市街地は、江戸時代以来、別子銅山で採れた銅の運搬中継地として栄えてきたという。そこには口屋(くちや)という別子銅山関連の施設があり、そこを中心に市街地が発展した。別子鉱山鉄道は国鉄の当駅よりもその本来の市街地により近い場所を走っていたため重要性が高く、一時期は旅客も扱った。一方、市街地から外れた辺鄙な場所にあった当駅の重要性は相対的に低かった。しかし、別子鉱山鉄道が廃止された今、当駅は新居浜市にとって重要な場所となったため、最近は当駅周辺でもあかがねミュージアムなどといった新しい施設や市街地の開発が進められている。※「あかがね」は、銅の別名。
予讃線(よさんせん)は、香川県の高松駅から愛媛県の宇和島駅までをはるばる結ぶ、JR四国でも特に大きな路線(伊予と讃岐を結ぶ)。讃岐鉄道(さぬきてつどう)という私鉄が高松~丸亀~琴平間に線路を敷いたのがその始まりだったが、後に讃岐鉄道が山陽鉄道という巨大私鉄(現・山陽本線の前身)に買収され、更にその山陽鉄道が1906年に国有化された事で、国鉄の路線となった。1909年の線路名称制定で、「讃岐線」(さぬきせん)の路線名が付いた。しかし、その後何年もかけて西へ西へと延伸していく(1921年には当駅へも到達)につれ、讃岐だけでなく伊予へも線路が伸びたため、1923年には「讃予線」(さんよせん)に改称。1927年には松山駅まで線路が到達した。その後、1930年に「予讃線」、1933年に「予讃本線」へと改称を重ねた。
その後時代が進んで1986年になると、新谷駅・内子線経由の新線が開通した。1988年には、「予讃本線」から「本」が抜かれて再び「予讃線」を名乗るようになった。かつては国鉄が主要路線に「本」を付け、その「支線」的路線群との間に区別を設けていたが、1987年に国鉄が解体されてJR四国が誕生すると、四国だけでは路線数が少ない事からこの区別にはあまり意味が無いと判断され、「○○本線」という命名方法は廃止された。 ▼関連写真