新がつく駅地図手帖

新坂町駅(旧称・廃駅)


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新坂町(旧称・廃駅)しんざかまち東京都
開業*開業年クリックで、
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1912年1969年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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東京都交通局都電六本木線(33系統)×路面電車
東京都交通局都電六本木線(9系統)×路面電車

▼備考 

都電六本木線にあった電停で、33系統が停車した。「赤坂新坂町」(あかさかしんざかまち)とも言ったらしい。位置は推測。 当初ここは「乃木坂」(のぎざか)電停として開業したが、後に「乃木神社前」(のぎじんじゃまえ)電停、「新坂町」電停へと改称を重ねたらしい。更に、都電末期の1967年には、ここは「赤坂八丁目」(あかさかはっちょうめ)電停を名乗っていた。 「新坂町」は、1966年以前に付近にあったという古い地名。この地名の由来は、「新坂」という坂にある。この坂は今、ここから北東の方にあるカンボジア王国大使館のすぐ東側にある。 付近の都電は、おおよそ今の都営大江戸線に沿った道路上(外苑東通り)を走っていた。33系統は、四谷三丁目から南下し、信濃町~青山一丁目(後に北青山一丁目)~当電停~六本木~神谷町を通って、浜松町一丁目まで伸びていた。北隣の青山一丁目電停では、7・9・10系統と乗り換えできた。しかし、都電の当電停含む区間は、1969年に廃止。 ※都電末期の1963年以降は、本来は赤坂見附を経由していたためにここを通らなかったはずの9系統が、都電の線路(青山線の北青山一丁目~三宅坂間)の部分廃止によって経路変更され、ここへ来ていた。 ※当電停が「乃木坂」電停を名乗っていた頃、一時期(少なくとも1931~1942年の間)、北隣にも同名の「新坂町」電停があったらしい。北隣のそれは、早くも1944年以前に廃止されているため、記録が乏しい。 ※乃木神社は、すぐ東にある。明治時代の乃木希典(のぎまれすけ、乃木将軍とも)という軍人を祭った神社だという。明治天皇崩御時に自らも殉死した事が国民の感銘を呼び、神社建立へ至った。当電停のあった外苑東通りと乃木神社の間には、旧乃木邸も建っている。乃木神社の正面の鳥居は、都電の通った外苑東通りではなく、それよりも一段低い所を東西に伸びる赤坂通り沿いにある。また、よく聞く「乃木坂」というのは、神社前の赤坂通りを西へ上った後、現在の乃木坂陸橋交差点で南へ折れ、更に一段高い所にある外苑東通りへと登る坂を指す。今は乃木坂陸橋交差点から西へ突き抜け、乃木坂陸橋をくぐってトンネル(乃木坂トンネル)へ入る道があるが、都電が走った当時はその道もトンネルも交差点も無く、現在の交差点の場所で南へカーブする1本の道かつ1本の坂だった。この坂は当初「幽霊坂」と呼ばれたが、彼の殉死時に坂名が乃木坂へと改称され、今に至る。 ※坂町駅という駅は羽越本線・米坂線にあるが、その駅と当電停は全く関係無いどころか、前述の通り、当電停名及びその由来となった地名の意味合いは「新+坂町」ではなく「新坂(という坂)+町」なので、新抜き駅は無い。その上、坂町駅の読みも「ざかまちえき」ではない。 ※都電には他に、新橋電停(廃電停)などもあった。

▼関連写真 

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