新富町駅(廃駅)
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新富町(廃駅) | しんとみちょう | | 東京都 |
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1904年 | 1971年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
位置は推測。主に、都電の9系統と36系統が停車した電停。都電のこの辺りの区間は、1971年に廃止。今の新富町駅の地下鉄は東西に伸びているが、都電はこの道路を南北に走っていた。
9系統は、渋谷駅前から東に青山一丁目(後に北青山一丁目)~三宅坂~赤坂見附~日比谷公園~築地と進み、そこから北上し、築地川を渡ってここへ来た。そして、ここからまた北上し、茅場町・水天宮前・浜町中ノ橋まで走った。更に、一部電車は新大橋・森下町まで延長運転された。しかし、都電の末期になると、9系統のルート上の一部線路(溜池線・霞町線)が撤去になり、それを受け、1967年12月に、9系統は新佃島行きに経路変更された。また、36系統は築地からここまで北上し、森下町までは(当初の)9系統と同じルートで、その後住吉町二丁目・錦糸町駅前へと伸びていた。
※築地川というのは、当時ここからすぐ南で、築地を取り囲むように伸びていた水路。実際には川というよりも、埋め立て地の隙間に残された海、運河という感じだった(水は海水)。今は殆どが埋め立てられ、川の跡地は地下鉄新富町駅や高速道路、築地川公園、あかつき公園などになっている。築地橋や入船橋など、付近の交差点名や公園名などに橋の名前も多く残る。付近の橋は三島由紀夫の「橋づくし」という作品に登場する。入船橋周辺には、築地川跡に道路を通そうとしてまだ未成のトンネルが残っていたりする(正確には、元々一般道として作ろうとしたものの頓挫したため、首都高に繋げる計画に変更されたという)。
※周辺には築地川の他にも、三十間堀川(さんじっけんほりかわ)や汐留川・外濠川・京橋川など、他にも多くの水路があったが、その大半が埋め立てられている。そこに架かる橋は、蓬莱橋のように完全に撤去されてしまったものもあれば、今も欄干や親柱など一部が残るもの、更には入船橋のように橋そのものが残っているものもある。1947年頃の航空写真には、埋め立てられる前の築地川や他の水路群が写っている。また、周辺の川の名前や分布が分かりやすく描かれた図もある。 ▼関連写真