新がつく駅地図手帖

新湯檜曽信号場(旧称)


最終更新: 2022/04/01

▼この信号場について 

駅名読み新抜き駅
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新湯檜曽(旧称・信号場)しんゆびそ湯檜曽群馬県
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廃止
1963年- - - - 年

▼この信号場を走る路線 

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JR東日本上越線普通鉄道

▼備考 

1967年までは上越線のこの辺りは単線で、すぐそこのループ線のみだった。単線時代の湯檜曽駅はここよりも北にあったが、1963年に今の位置にこの信号場が出来て、1967年の複線化と同時に今の位置が湯檜曽駅になった(1967年に、「新湯檜曽信号場」が「湯檜曽駅」に改称・格上げされた)。つまり、「新湯檜曽信号場」としての営業は3~4年間だけだった。今は、信号場ではなく駅。 ちなみに、今の湯檜曽駅や隣の土合駅(どあいえき)は、下り線が地下ホームになっている(土合駅の地下ホームはやたら深いことで知られる)。複線化の時に新たに掘られたのが下り線の「新清水トンネル」で、これらのホームはこのトンネルの中にある(1967年開通)。一方、上り線では今でも従来からの線路が使われ、トンネルは「清水トンネル」が使われる(1931年開通)。川端康成の「雪国」の有名な一節「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」は、この清水トンネルを指す。昔は深く長いトンネルを掘る技術が足りなかったためループ線を作ったりカーブを増やして標高を稼ぎ、極力トンネルを短くしようとしていたが、後の時代に作られた下り線は、トンネル技術の進歩を物語っている。 ※明治時代などといった鉄道の歴史の最初期では、清水トンネルのような長いトンネルを掘って越後山脈を直接越える技術はまだ無かった。そのため、関東から新潟方面へ向かうルートとして、当初は越後山脈の険しい部分を大きく迂回する長野経由の線路が作られた。これが信越本線であり、当初の信越本線には「関東から濃を経由して後へ向かう」という重要な役目もあった。しかし、昭和にもなると土木技術が上がり、信濃を経由せず直接越後へ向かえる上越線が登場したことから、信越本線は当初の役目を取って代わられている。更に、今となっては更なる上位互換の新幹線(上越新幹線/北陸新幹線)が登場している。 ※湯檜曽駅の開業は1931年だが、新湯檜曽信号場の開業は1963年。また、トンネルの名前は清水峠に由来し、上越新幹線のトンネルの方は「大清水トンネル」(だいしみずとんねる)という。大清水トンネルの掘削時に湧き出た水が、飲んでみると美味しかったため、今も湧き続けているその水はFrom AQUAとして商品化されている。

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