新がつく駅地図手帖

新茂原貨物駅(廃駅)


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新茂原貨物(廃駅)しんもばらかもつ千葉県
開業*開業年クリックで、
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廃止*廃止年クリックで、
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1986年1996年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR貨物外房線(貨物側線)×貨物
三井東圧化学三井東圧化学茂原工場専用線×貨物

▼備考 

1986年に開業した貨物駅。かつて当駅で、三井東圧化学専用線(三井東圧化学茂原工場専用線)と外房線が接続した。しかし、1996年に新茂原駅が貨物取扱いを廃止し、同時に三井東圧化学専用線も廃線になったため、当駅も廃止された。新茂原駅と本納駅の間にわずか10年間だけ存在した、短命な駅だった。当駅以北の線路と事務所ホームなどは2021年現在、閉鎖されつつも現存している(上図の航空写真でも確認できる)。 当時はここから南南東方向の工場まで、三井東圧化学専用線が続いていた。この専用線は当初、新茂原~茂原駅間から分岐して西へ向かい、その工場まで伸びていたが、当駅の開業後は、既存のその専用線に加えて、当駅方面の専用線も新規に開通していた。これら専用線は、書類上は新茂原駅が起点とされた。また、茂原駅へ直に南下する専用線も別個にあり、少なくとも3本は専用線があった事になる。いずれの廃線跡も、今は自転車専用道や空き地等になっている。当駅跡や周辺の廃線跡等については、線路巡礼2が詳しい(敬称略)。 ※「三井東圧化学」というのは当時の社名で、現・三井化学。当時は工場名も「三井東圧化学茂原工場」だったが、今は「三井化学市原工場茂原センター」となっている。 ※当駅が稼働していた頃、外房線で北の方にある大網駅にも貨物線があった。大網駅は現在、外房線から北東へ東金線が分岐する形になっているが、昔の旧・大網駅は東金線側にあり、線路の配置も違った。当時の外房線は「房総東線」と呼ばれたが、千葉方面からやって来た房総東線は旧・大網駅でスイッチバックしてから新茂原方面へ南下しなければならない形だった。これを改善すべく、1972年に大網駅が現在地へ移転し、線路の形も今の配置に敷き直された(同様の理由で、千葉駅も現在地へ移転されている)。その後も旧・大網駅から新茂原方面へ南下する旧線は貨物線として残され、大網駅周辺にはデルタ線が出来たが、当駅が廃止されて以降その貨物線も使われなくなり、廃止されている。今となっては、外房線を使った貨物輸送は僅か千葉~蘇我駅間(~京葉臨海鉄道方面)でしか行われていない。 ※ところで、2016年の夏頃に、何故か東京メトロ銀座線の古い車両がここに運び込まれ、その解体がここで行われたという(sotoboline209の鉄道ブログなどで目撃・報告されている。敬称略)。 ※「新茂原貨物駅」という呼び名が巷には定着しているが、厳密にはこの名前が正式な駅名だったのかどうかは不明。つまり解釈の仕方によっては、当駅は新茂原駅の一部だった可能性もあり、その貨物機能を持つ部分が「新茂原貨物駅」という通称で呼ばれるようになった、との解釈もできる。しかし、これをはっきりさせる資料が見つからないため、このサイトでは当駅を新茂原駅とは独立した別駅として載せている。このサイトでは、広く浸透した通称を持ち、なおかつ事実上ほぼ別駅として振る舞うような駅を、別駅として掲載する場合がある(新線新宿駅と当駅がそれに該当)。別駅扱いの主な理由は、1つの駅のページの情報量が肥大化して分かり辛くなるのを防ぐため。

▼関連写真 

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新茂原貨物駅の事務所跡(右)と、機関車の車庫か何かだったと思われる建物(左)。撮影は総武快速の外房線直通、上総一ノ宮行きからで、当駅を西側から見た様子になる。事務所の建物は手前の架線柱でやや隠れてしまったが、窓の一部がベニヤ板で塞がれていたり、雑草に覆われたりしていて、廃墟のような状態になっている。この建物は、当駅を独立した駅と見なせば駅舎にあたると思われる。【撮影日:2021/10/24】 ※どうやら2015年の時点では、この事務所の外階段部分の壁に、「貨物輸送はJR貨物へ 引越はJRコンテナで」と書かれたJR貨物の宣伝看板が残っていたらしい。しかし、2021年撮影のこの写真ではその場所に看板が見当たらないため、この数年の間に撤去されたか、外れてしまった事になる。

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新茂原貨物駅の貨物積み下ろしホームだったと思われる建物。当駅の敷地は外房線の線路に沿って南北に長いが、事務所跡は北の方、ホーム跡は南の方にある。写真右端(ホームの南隣)には更にもう1つ小屋のような建物があり、この小屋が当駅跡で最南端にある建物。但し、三井東圧化学専用線の廃線跡は、更に南へと伸びている。【撮影日:2021/10/24】

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