▼この信号場について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新港(信号場) | しんみなと | 千葉県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
2000年 | - - - - 年 |
▼この信号場を走る路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
JR東日本 | ■京葉線(JE) | 普通鉄道 | |
JR貨物 | 京葉線 | 貨物 |
▼備考
▼関連写真
橋から新港信号場を見下ろす(東京方向)。「新港」は付近の地名で、近くの清掃工場の名前も「新港クリーン・エネルギーセンター」(小学時代に工場見学に行った)。写真の撮影者目掛けてやって来たのは、京葉線の蘇我行きのE233系5000番台で、下り線を走っている。【撮影日:2016/09/17】 写真左が海側で、右が内陸側。左(海側)から順に、上り線・待避線・下り線と3本の線路が並ぶ。よく見ると、内陸側には運河がある。運河と木々を挟んで更に内陸側には、千葉幸町団地(ちばさいわいちょうだんち)というマンモス団地が広がっている。団地の建物は、この写真の右端に写っている。一方、写真左側(海側)の駐車場や白い検診車の沢山停まっているスペース、奥の巨大な倉庫(洋服の○山)の建つ敷地などが、千葉貨物ターミナル駅のかつての敷地。
反対側(蘇我・千葉みなと方向)。ここは新港信号場の南端で、上下線が離れている。写真下部では、離れた上下線の間を通る待避線が、下り線へと合流している。付近の道路の形状から、かつての千葉貨物ターミナル駅の南端の名残も感じられる。写真で、線路の右側の建物が気持ち斜め方向に建っているが、これもその名残。非常に分かりにくいが、斜めに建つ建物の奥には千葉港変電所の建物も写っており、これも斜めに建っている。変電所の建物は千葉貨物ターミナル駅の現役当時からあり、そのすぐ西には食品北線の廃線跡の敷地も残る。食品北線の分岐部は、この辺りにあった。【撮影日:2016/09/17】 また、この写真付近の線路は地上を走っているが、その更に奥の千葉みなと駅側や、反対側の稲毛海岸駅側は両方とも高架になっており、線路はわざわざここで一旦地上へ下りている事になる。これは、かつてこの付近に千葉貨物ターミナル駅の入口があった名残。千葉貨物ターミナル駅の広大な構内は地上に広がっていたため、京葉線本体から構内へと入るための分岐部も地上だった。YouTubeには、まさにこの分岐部から千葉貨物ターミナル駅へと入線する当時の貨物列車の貴重な動画がある。動画内では、蘇我方面から北上して来た貨物列車が進行方向左側へ曲がり、左奥の千葉貨物ターミナル駅構内へと入線するシーンが写っている(この写真の方向で言うと、写真奥側からやって来た貨物列車が写真手前右側へと曲がり、右後ろ方向の構内へと入る)。動画内で入線後に貨物列車がくぐる陸橋こそが、当サイトのこの写真の撮影者が登った橋。つまり、撮影者が立っているこの橋は、千葉貨物ターミナル駅の現役当時から架かっている。 ※ちなみに、動画では陸橋をくぐる直前で、当時の京葉線の下り旅客列車とすれ違っている。その車体は青く、形式も古い。これはスカイブルーの103系で、当時を知る人には懐かしいだろう。当時の京葉線のイメージカラー(ラインカラー)は今のようなワインレッド(赤系)ではなく、スカイブルー(青系)だったという。編成も短く、当時はたったの6両編成だった。 ※千葉貨物ターミナル駅の入口はこの南側のみで、北側には無かった。北側の入口になるはずだった構造物が、上記備考で触れた立体交差構造にあたる。また当時、現在の当信号場の待避線が、京葉線本体の上り線だった。つまり、旧・上り線を当信号場の待避線として転用した。一方、より海側を走る現・上り線の線路は、かつて千葉貨物ターミナル駅の構内だった場所にある。
撮影地点の橋。写真を見る限り、付近の海側一帯は工場地帯。これは「千葉食品コンビナート」と呼ばれる工業団地で、食品関連の工場が多い。上記の食品北線・食品南線という貨物線名も、それを示している。サイロも多く見かける上、写真正面奥の工場も製糖工場。この工業団地の中には山崎製パンの工場もあり、風に乗って内陸の住宅地にまでパンのにおいが飛んでくる事も多く、とてもイイニオイ。この日もそうだった。かつては、この工場群の貨物が千葉貨物ターミナル駅へと集結していた。【撮影日:2016/09/17】 また、千葉食品コンビナートは主にこの写真の手前左側を中心に広がるが、工場地帯はここだけでなく、右側及び奥側(海側)にも広がる。例えば、前述の清掃工場や、木材・セメント・石油関連の工場もある。こうした、千葉食品コンビナート以外の工場の貨物も運ぶために上記の新港線が計画されたと思われるが、新港線は未成線に終わっている。新港線のために確保されたと思われるカーブした敷地は、現在も業務スーパー新港店の裏の奇妙な敷地境界として残る。 ところで、海側の工場地帯のうち、埋立地が南へ尖って突き出した部分に石油関連の工場があるが、これは成田空港へ飛行機の燃料を運ぶための重要な拠点となっている。というのも、タンカーでそこへ届けられた石油がそこで貯蔵された後、そこから地下のパイプラインを通ってはるばる成田空港まで送られている。成田空港(当初は新東京国際空港)は、その建設に反対する地元民との激しい闘争(いわゆる成田闘争、三里塚闘争とも)が有名だが、一連の闘争の中で、反対派によってこのパイプラインを狙った攻撃も行われた事があるという(1979年)。それを受けてか、そこには異様な形の信号所(千葉港信号所)が建てられたり、多くの警備員が派遣されたりした。成田闘争は1978年の空港開港前後のみならず、2023年現在でも未だに燻っており、現在も警戒されている。ただ、千葉港信号所は2012年に海を挟んだ別の場所(千葉中央ふ頭側)へ移転し、異様な形の建物は廃墟になった後に解体された。
旧千葉貨物ターミナル駅の敷地内再開発物件の中で、おそらく一番巨大なのが、写真のミハマニューポートリゾート。千葉貨物ターミナル駅廃止・新港信号場開設の翌年、2001年に開業したショッピング施設。スーパーやその他大型店舗・ファミレスなどが並び、撮影者も休日稀に行く。写真奥には、さっきの洋服の青○の倉庫が見える。その倉庫とこのミハマニューポートリゾートの間には、スーパーのベルクスも挟まっている(※ベルクスは、ミハマニューポートリゾートには含まれない)。一方、反対側(写真の向きから見て背中側)には勝又自動車学校もあり、その手前までが旧敷地だった。【撮影日:2016/09/17】 追記: ミハマニューポートリゾートが2021年12月を最後に閉店する事が突然発表された。発表は前月の11月で、寝耳に水とはまさにこれ。諸行無常すぎるってか地元民だけどそんなの聞いてないよー