新がつく駅地図手帖

新千葉駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新千葉しんちば千葉千葉県
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廃止
1923年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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京成電鉄千葉線(KS)普通鉄道
京成電鉄[直通]千原線(KS)普通鉄道
新京成電鉄[直通]新京成線(SL)普通鉄道

▼備考 

駅番号KS58の、京成千葉線の駅。他に、京成千原線と新京成線の電車もやって来る。隣の駅(京成千葉駅)が近いからか、利用者が少なめでひっそりとしている。すぐ前の小学校はこのサイト制作者の母校で、当駅を使って電車通学する人もいた(どうでもいい)。周辺の線路北側には「新千葉」という地名もあり、当駅名が地名化したと思われる。実はこの地名の付く範囲は思ったより広く、現在のJR千葉駅の住所も「千葉市中央区新千葉一丁目」となっている。また、北西の方には「新千葉郵便局」という郵便局もある。 京成千葉線は、京成津田沼駅で本線から分岐し、千葉中央駅(東に2つ隣)まで伸びる路線。千葉中央以南の京成千原線との相互直通運転や、京成津田沼駅以北の新京成線の片乗り入れも行われているため、やって来る列車によっては、当駅からちはら台駅や新津田沼駅の方へも行ける。更に、一部列車は京成津田沼駅以降の京成本線(上野方面)へも直通する(京成八幡駅新三河島駅などの方へ行く)。 ちなみに、「千葉」の付く駅名は当駅を含めて11もある。但し、モノレール千葉駅を別駅としてカウントし、12としている資料もある。 また、京成千原線は、千葉線を終点千葉中央駅から更に伸ばしたような路線で、主にニュータウンのおゆみ野・ちはら台まで伸びている。元々は千葉急行電鉄という第三セクターが建設・運営していた路線だったが、バブル中の建設費高騰・バブル崩壊による客数伸び悩みなどが災いし、経営が行き詰まり倒産。今は京成が引き継ぎ、千原線となっている。元々経営が苦しかったこともあり、運賃が高止まりしている。そのせいで今も思ったほど利用者が増えていない。ただ、おゆみ野などは開発が成功し、沿線には沢山の人が住んでいるため、ポテンシャルは相当あり、沿線民も「本当は千原線を利用したいが高いからしょうがなくJRを使っている」という人が多い。おゆみ野のJRの玄関口、鎌取駅は連日大混雑で、少しでも千原線に客が流れれば誰もが得するのに、と皆が思っている。しかし、京成としては先に客が一定数に達しないと値下げしないとのこと。いやいや、先に値下げすれば後から増えるのに、と思う。かつては終点ちはら台駅から更に南の辰巳台を通り、小湊鉄道の海士有木駅まで延伸する計画もあったが、凍結状態。千原線は現在単線だが、線路用地も駅設備も複線化できるよう豪華に建設され、千原線の現状は本当に「宝の持ち腐れ」と言わざるを得ない。 (サイト制作者は故郷がおゆみ野なのでつい熱が入る)

▼関連写真 

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新千葉駅舎。宅地の中ににさりげなくある小規模な駅だが、改札横に駅員室もちゃんとある有人駅。2階には、駅員寝泊まり用の部屋がありそうな雰囲気もある。【撮影日:2016/09/17】 「新千葉」という駅名から、そこそこな都会の中の立派な駅を想像して、実際のこの姿を見てギャップに驚く人が多いらしい(特に千葉以外からの訪問者)。言われてみれば名前負けしている気もするが、同様の規模の「新」が付く駅は他にも無数にあるため、個人的には特に驚く点は無い。たまたま「千葉」という都市が政令指定都市にまで上り詰め、そこそこビッグに聞こえるようになったせいかもしれない。千葉駅も当駅も、政令指定都市になるよりも遥か昔からある。もしも当駅が無ければ、京葉線の千葉みなと駅が「新千葉駅」を名乗った世界線もあり得たかもしれない。というのも、京葉線は総武本線の臨海部版のような側面があり、「新幕張」「新稲毛」のような仮称が生まれた過去もあるため。ギャップを感じる人は恐らく、「新千葉駅」と聞いて千葉みなと駅くらいの規模を連想していると思われる。実際には当駅が古くから存在するため、千葉みなと駅には「新町駅」という別の仮称が付けられた。

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新千葉駅の駅名標。駅番号KS58が併記。隣は「千葉駅」と案内されているが、正確には「京成千葉駅」。1987年以前は今の京成千葉駅が「国鉄千葉駅前駅」(後述)と言い、千葉中央駅が「京成千葉駅」だった。その年に両駅とも現駅名に改称されたが、前の駅名に慣れた人には紛らわしかったという。 同時に、葛飾駅が京成西船駅、センター競馬場前駅が船橋競馬場駅に改称。また、市川真間駅もそうだが、京成線は駅名変更が多い(私鉄はみんなそうかもしれない)。昔は当駅隣の西登戸駅(にしのぶとえき)は千葉海岸駅、みどり台駅は浜海岸駅(後に黒砂駅)で、付近は海岸近くだったことも分かる。※後の埋め立てで、海岸線が遠のいた。埋め立て前の航空写真を見ると、その様子が分かる。その後埋め立てが段階的に進む様子を見るのも面白い。【撮影日:2016/09/17】

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当駅を発車する、普通津田沼行き。この車両は、京成3500形と言う(「形」の読みは「けい」ではなく「がた」)。調べると、3500形には古いまま更新されていない未更新車と更新済みのものが混在しているが、写真は更新済みの方。撮影当時、未更新車はまだ生きていたが、2021年現在は引退済み。(バックの校舎は撮影者の母校の小学校で、耐震工事されてからは見かけが当時と結構変わってる。小学時代は授業中にしょっちゅうここの電車がガタンゴトンいうのを聞いていた)【撮影日:2016/09/17】 ※鉄道会社によって、車両形式番号(形式称号)に「」(けい)を付けるか「」(がた)を付けるかはまちまち。例えば、京急や京成・小田急は「形」を使い、西武や東急・JR・名鉄・阪急などは「系」を使う。ただ、全国的に見ると「系」を使う会社の方が多い印象。解説記事によると、各社の習慣によるもので、特に会社間で統一する決まりは無いという。また、複数の呼び方を使い分ける会社もある。例えば、東武では大まかな形式に「系」を使い、そのマイナーアップデートのような車両には「型」を使う(10000系に対する10030型など。「10030系」は、その通称)。JR東日本では、複数連結させたものを「系」、1両1両を「形」と呼ぶらしい。 ※そもそも鉄道車両には、管理のため1両1両全てに重複無く番号が振られている(これを「車両番号」、略して「車番」「車号」とも言う)。例えば、この3500形の写真に写っている先頭車には、「3529」の番号が見える。「系」「形」という言い回しは、この1両1両に付けられた番号が元となる。同じ仕様・設計の車両を量産する時、番号のうち特定の位(大抵の場合、大きな位)を一致させたりするが、例えば3500形の場合は千・百の位を一致させて「35XX」という番号が付けられている。その時の一致した番号を使って、「系」や「形」の呼称が生まれる。鉄道各社は、番号の各位(桁)に意味を持たせている。 そして、鉄道では複数の車両を連結して運転する事が多いが、連結で連なったその1セットを「編成」と呼ぶ。例えばこの写真の3500形は、写真に写っている手前側(京成千葉方面)から数えて「3529・3530・3531・3532」の4つの車両が連結された4両編成だった。これで1つの「編成」を成すが、1両1両ごとの番号とは別に、各編成にも番号が付けられる(編成番号)。編成番号の付け方も鉄道会社や時代によってまちまちだが、この3500形の場合は、最も京成上野寄りの車両の番号から取って、「3532」が編成番号となっていた。この編成の事を指して「3532編成」と言うが、鉄道愛好家の間では慣例的に、「編成」を意味する英語の「Formation」から頭文字を取って、「3532F」のような言い方をする場合も多い。 ※今の京成千葉線には6両編成しか来ないが、昔は4両編成も走っていた。4両編成は2018年に廃止されたが、その時この写真の3532Fも廃車されてしまったという。この写真に写っている3532Fは今やスクラップされてしまい、もう見る事はできない。この写真の3529号車が真っ二つにされて廃車陸送される写真も見つかったが、胸が痛む光景。今はきっと天国から見守ってくれている。 ※追記: 一度は廃止された4両編成だが、元々苦しかった直通先の千原線の客が某ウイルスのせいで更に減ったため、2022年11月のダイヤ改正で、千原線の列車(ちはら台行き)の3500形のみ、再び4両編成となった。つまり、4両編成が復活。しかも、該当列車はまさかのワンマン化。誰か千原線を救ってくれ

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当駅を発車する、普通ちはら台行き。京成千原線へ乗り入れる。この車両は、(2代目)3000形という。京成線でも新しめの車両。ちなみに、昔は東京~千葉間のアクセスは京成千葉線が優位で、海岸が近くて観光客でも賑わったし、競合する国鉄(今のJR)は非電化だったが、国鉄が電化され、総武快速線が出来、埋め立てで海岸線が遠のき、更に京葉線まで開通したため京成千葉線は不利になっていったという。昔は京成千葉線にも快速があったが、その流れなのか1974年に快速が廃止され、今の京成千葉線には普通列車しか無い。【撮影日:2016/09/17】 ※この2代目3000形からは、車両番号・編成番号の付け方が変わっている。それまでは上記のように、先に車両1両1両に番号を付けていって、その京成上野側の番号を編成番号としていたが、その番号の付け方だと、製造両数が増えた時に番号の枯渇が早くなるという問題が発覚した。これは3700形で特に顕著になり、本来は1両1両に「37XX」の番号を振っていたものの、製造が長期にわたって両数・編成数が増えすぎたため下2桁が枯渇し、「38XX」という百の位が8の車両・編成が現れてしまった。この問題を最小化すべく、2代目3000形からは先に編成番号を編成ごとに振っておいて、各車両1両1両の番号としては編成番号にハイフンで連ねる方式が取られるようになった。例えば、この写真の「3006編成」は、写真手前側(京成千葉方面)から数えて「3006-1・3006-2・3006-3・3006-6・3006-7・3006-8」の6つの車両が連結された6両編成となっている。そうしたお陰で、番号の枯渇が起こりにくくなった。

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さっきのちはら台行きが京成千葉方面へ向かう所。真ん中の大きいビルはセンシティという施設のもので、京成千葉駅直結(乗換先のJR千葉駅も隣接)。新千葉駅が千葉駅に如何に近いかが分かる。別サイトでは、近すぎて当駅は千葉駅に客を奪われてるとも言われていた。しかし、昔はこんなに近くなかった。 1963年以前の国鉄千葉駅(現・JR千葉駅)は今とは違う場所(現・千葉市民会館辺り)にあり、京成線には国鉄との乗換駅なんて無かった。また、初代「京成千葉駅」も、現・千葉市中央公園のある場所にあり、千葉市街地の一等地にあった(千葉空襲直後のためほぼ焼け野原だが、1947年頃の航空写真には一等地にあった頃の京成千葉駅も写っている)。しかし、当時の国鉄の線路配置では、東京~千葉~房総東/西線(現・外/内房線)方面の列車が千葉駅でスイッチバックする必要があって不便だったため、焼け野原に新市街地を造る戦災復興計画と共に、国鉄千葉駅を現在地へ移転して線路配置を変更する事になった。この時、この計画に合わせて京成千葉駅も一緒に強制移転させられたため、京成としては一等地の駅を無理やり奪われた形になる(1963年の国鉄千葉駅移転に先立ち、京成千葉駅は1958年に移転させられた)。京成はその後、国鉄千葉駅との連絡駅としてしぶしぶ「国鉄千葉駅前駅」を作ったが(1967年)、この駅名には、「あくまでここは国鉄が無理やり勝手に作った駅であって、わが社の本来の一等地の千葉駅を奪った因縁の駅であるから、本来『千葉』を名乗っていい駅ではないんだぞ」という京成の抵抗心が込められている、と言われる。結局後の1987年に国鉄千葉駅前駅は京成千葉駅に改称され、時間が解決したようだ。 ※京成千葉駅の強制移転先は、かつて国鉄の本千葉駅があった場所(現在の千葉中央駅付近)が選ばれた。京成千葉駅の移転に反発する京成に対し、国鉄はなんとかして京成に移転を受け入れてもらうべく、わりかし一等地から近めだった自身の本千葉駅の場所を京成に譲る事で、京成側が折れ、移転がようやく決着したという。こうして京成千葉駅は移転先でも無事発展し、これが現在の千葉中央駅となっている。一方、京成へと敷地を譲った国鉄の本千葉駅は、京成に遠慮するかのように南へと離れた(1958年)。現在の本千葉駅が妙に南へ離れた場所にあるのは、そのため。かつて本千葉駅のあった千葉中央駅周辺は現在も「本千葉町」という地名で、明治時代初期の県庁もそこにあったという。かつての本千葉駅はその地名をその場所で名乗っていた事になるが、今の本千葉駅はこの地名の範囲から外れてしまっている。今地元で「本千葉」と言うと当然ながら移転後の本千葉駅周辺を指すが、かつてはこの本千葉町を指していたはずで、その名残とも言える「本千葉公園」や「ローソン本千葉店」などといった物件名が今も残っている。「本千葉ビル」というビルも長らく千葉中央駅に近接して建っていたが、このビルは老朽化で2009年に閉鎖・2012年に解体され、今はマンションが建っている。 ※地元では、センシティはそごうのビルとして知られるピンク色のビル群。ちなみに、京成千葉駅はモノレール千葉駅とも直結している。

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当駅に停車中の、新京成線の乗り入れ車両。千葉中央行き(新京成線の乗り入れは、千葉中央駅止まり)。写真は、8800形という。この車両は加速減速の音がとても特徴的で、特に停車時には甲高く響く(風向き次第でこの音が遠くからでも聞こえる)。関東初の本格VVVF導入車だといい、8800形がVVVFを導入したのをきっかけに、他の鉄道にも一気に導入が広まったという。特徴的な音は、これの音。【撮影日:2016/09/17】 ※2021年現在では、機器更新により違う音になった8800形も交じっている。 ところで、新京成線は肌色の車両が多いイメージだったが、2014年からそれを刷新し、写真のようなピンク色になった。4年かけて新京成の全車両がこの色に変わる見込みだが、旧塗装のたぬき臭さや顔から「たぬき」と呼ばれた8000形はどうなるんだろう。

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新千葉~西登戸間を走る、3500形の未更新車両。普通津田沼行き。同じ3500形だが、更新済みのと比べて顔や窓枠など色々違う(元々はこっちの方が3500形登場時のデザインのまま)。また、更新車はシングルアーム式パンタグラフなのに対し、未更新車は昔ながらの菱形パンタグラフ。調べると、未更新車両は更新済み車両に比べて廃車が迫っている。※更新済み車両はこっち【撮影日:2016/09/19】 追記: 未更新車は、この写真の3588編成が唯一一番最後まで残っていたが、2017年2月にさよなら運転が行われ、遂に姿を消してしまった。 ※昭和までは菱形パンタグラフ(横から見ると「<>」なパンタグラフ)が主流だったが、平成以降はシングルアーム式パンタグラフ(横から見ると「」)が主流になっている。後者は菱形よりも部品が少なく済むため低コストで作れる上に、軽いため車体の軽量化にも貢献。部品が少ない分空気抵抗による騒音も少ない。良い事尽くしだが、発明されるのが菱形よりも遅かったため、2021年現在でも導入の過渡期で、古い車両には今も菱形が多く残る。例えば、総武快速線のE217系とE235系の見分けにもパンタグラフの形が使える(E217系が菱形、E235系がシングルアーム)。ただ、京成3500形更新車のように、古い車両であっても機器更新・改造時にパンタグラフをシングルアーム式に取り換える事も多い。パンタグラフの形は他にも色々あり、例えば菱形に似ているが下部の部材がクロスしている「下枠交差型」というのもある。

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西登戸~新千葉間を、当駅へ向けて走るちはら台行き。この車両は3600形といい、3500形の次に登場した。しかし、更新工事を受けて寿命が伸びた3500形更新車と違い、3600形は特に大きな工事も無くほぼ登場時の機器のまま走り続けているため、設備自体はこっちの方が古く、2020年現在、最も引退が近い。当初赤帯(正確にはファイアーオレンジ)で登場した後に、他の車両のように赤・青の2色帯に変更されて長らく走っていたが、引退を控えた今、最後くらい登場時の姿で走らせてあげたいという京成の思いから、この3688編成だけは登場時の赤帯を復活させて走っている(リバイバルカラー)。つい最近まで8両編成で快速以上の運転も担ったが、今は6両編成化され、各駅停車のみを担う。他に、リバイバルカラーの花形として、臨時のイベント列車を担う事も多い(例えば、岩倉高校の校外学習でも走った)。この時既に3600形の多くが引退済みで、残るはこれを含めて2編成しか無いようだった。【撮影日:2020/09/29】 ※今残っているもう一方の編成は3668編成で、そちらには「ターボ君」というあだ名が付いている。運転台のある先頭車だけで組まれた特殊な編成から、3600形の引退の迫る前からレア車として愛されてきた。今は4両編成化されて京成金町線をひっそり走るのみで、千葉へは来ない。穏やかな余生。

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