新がつく駅地図手帖

新田老駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新田老しんたろう田老岩手県
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廃止
2020年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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三陸鉄道リアス線普通鉄道

▼備考 

2020年5月18日に、三陸鉄道リアス線の田老~摂待(せったい)駅間に開業した新しい駅。北東の方にある真崎海岸から、当駅には「真崎の紺青」(まさきのこんじょう)の愛称も付けられた。三陸鉄道で41番目の駅だという。一方、従来からある田老駅(新抜き駅)も存続する。 当駅開業の2020年は、三陸鉄道開業の1984年から36周年にあたるため、「36」と「さんりく」の読みをかけて、当駅開業を祝うと同時に36周年を祝う声も聞かれた。 従来の田老駅はここから南に500mほど離れた場所にあり、鉄道における田老地区の唯一の玄関口だったが、市街地からやや遠かった。そこで、宮古市の3.11からの復興事業の1つとして、従来の田老駅よりも田老市街地に近いこの場所に、新駅が作られた。同時に、別の場所にあった田老総合事務所(宮古市役所のうち、田老地区を担当する役所)の新庁舎もここへ移転し、1つの建物で直結することになった。建物の1・2階が田老総合事務所や銀行等、3階が当駅の待合室とホームになっている。エレベーターも完備。市街地の中心地に駅・役所が集積したことで非常に便利になり、復興や地域活性化の後押しになると期待される。高台移転で生まれた新しい宅地や、国道沿いの道の駅たろうへのアクセスも、当駅の方が田老駅よりも便利。ホームの目の前には、田老第一小学校もある。 田老地区は昔から津波への意識が高く、3.11前から、「万里の長城」の異名を持つ程の巨大な防潮堤が築かれていたことで有名だったが、3.11のあまりに激しい津波が防潮堤を乗り越えてしまったため、大きな被害を受けた(防潮堤には浸水をある程度遅らせる効果はあったが、防潮堤の存在が逆に多くの住民を油断させ避難を遅らせたとの声も多い)。その後、より高い防潮堤が築かれたり、防災から減災へと意識変革があったり、復興や観光への取り組みが多く行われている。その活動には、三陸鉄道が連携したものもある。 三陸鉄道リアス線は、大船渡市の盛駅から三陸海岸沿いを北上し、はるばる釜石・大槌・陸中山田・宮古・田老・普代などを経由して久慈駅まで伸びる路線。その歴史は1970年代に国鉄が建設した盛線・宮古線・久慈線などに始まるが、これらは赤字が見込まれる特定地方交通線に認定されたため、建設途中の部分を残しつつ、国鉄路線としては廃止・凍結となった。それを受け、1984年に第三セクター三陸鉄道が建設と運行を引き継ぎ、盛~釜石間が南リアス線、宮古~久慈間が北リアス線となった。一方、途中の釜石~宮古間は国鉄(後にJR東日本)の山田線という別路線だった。山田線は三陸海岸沿いのみならず、内陸の盛岡駅からはるばる宮古駅までの山越え区間も含み、全体としては盛岡~宮古~釜石間が山田線だった。 暫くその形で運行が続いたが、3.11で駅舎や高架・線路が流されるなどして、三陸海岸沿いの鉄道が一斉に不通となる。三陸鉄道は元々津波を見越して津波に強いトンネルメインで建設したのが幸いし、2012~2014年にかけていち早く復旧したが、山田線の海沿い区間(釜石~宮古間)は復旧が遅れた。 その後、やっと復旧した山田線海沿い区間は、2019年3月に、JRから三陸鉄道へと移管された。この時、南リアス線・山田線海沿い区間・北リアス線は全て1つの路線として統合され、「リアス線」として生まれ変わった。その全長は163.0 kmにも及び、それまで最長だった121.9kmの青い森鉄道線を抜いて日本最長の第三セクター鉄道路線となった。 一方、JR山田線の山越え区間(盛岡~宮古間)は引き続き山田線として残ったが、陸中山田を通らない山田線となり、路線名と一致しない状態となった。 今、三陸鉄道への鉄道アクセスとして、盛岡~宮古間の山田線に加え、花巻~釜石間の釜石線、一ノ関~気仙沼~盛間の大船渡線/BRT、八戸~久慈間の八戸線などがある。

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