新がつく駅地図手帖

新宿御苑仮駅(廃駅)


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新宿御苑仮(廃駅)しんじゅくぎょえんかり東京都
開業*開業年クリックで、
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1927年1927年

▼この駅を走っていた路線 

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鉄道省中央本線普通鉄道

▼備考 

大正天皇崩御の際に、霊柩車の出発駅としてたった2日間だけ設置された駅。「新宿御苑仮停車場」という名の仮駅として、鉄道省が設けた。千駄ケ谷駅ホームの真北にあり、新宿御苑に面していた。当時ここの中央本線は複々線化工事中で、敷かれたばかりでまだ未使用だった中央快速線上り線路が当駅として使われた。一方、霊柩車の到着駅として東浅川仮停車場も設けられた。 当駅は3ヵ月の突貫工事で建設され、1927年2月7日に開業。その日に新宿御苑で大喪の礼(天皇の崩御の際に行われる葬儀)が行われ、葬儀後の深夜、実際に当駅から大正天皇の霊柩車が東浅川仮停車場へ向けて出発した(0:15発とされたが実際には7分遅れで出発したらしい)。翌日の2月8日には、到着した東浅川仮停車場から西北西の方に建設された多摩御陵(たまごりょう)内の、「多摩陵」(たまのみささぎ)に大正天皇は埋葬された。更に翌日の2月9日には、役目を終えた当駅は廃止された。 明治天皇までの陵は殆どが近畿地方に築かれたが、東京に築かれた天皇陵としては、この時の大正天皇陵(多摩陵)が初だという。後の時代には、貞明皇后(大正天皇の皇后)や昭和天皇、香淳皇后(昭和天皇の皇后)も多摩御陵内の陵に埋葬されている。 現在多摩御陵は正式には「武蔵陵墓地」(むさしりょうぼち)と呼ぶが、今でも通称で「多摩御陵」と呼ばれる。多摩御陵は民間人の参拝が解禁されてから多くの参拝客の訪れる観光地となり、京王御陵線などの交通網も整備された。 当駅の駅舎はあまりに立派だったため、駅廃止後は高尾駅北口の駅舎として移築され、現存する(但し、移築時に規模を小さくしたり装飾を省くなど部分的にデザインが変更されている)。一方、東浅川仮停車場はその後も皇室専用駅として1960年まで存続し、浅川駅(現・高尾駅)~西八王子駅間の「東浅川駅」として知られた。民間人は使えなかったが、昭和天皇の多摩御陵参拝時などに、原宿駅宮廷ホームから東浅川駅まで列車が出る事もあった。東浅川駅舎は廃止後も1990年まで現存していたが、過激派による爆破事件で焼失してしまったという。東浅川駅跡地は今駐車場になっているが、将来、高尾駅北口にある当駅舎がその場所へ再移築される計画がある(高尾駅橋上駅舎化事業によるが、今の所延期中)。東浅川駅跡地から多摩御陵までは、ケヤキ並木の立派な道路も伸びている。 ※昔は、今で言う「駅」「信号場」「操車場」など列車の停まる場所を全て「停車場」と呼んでいたが、1936年に鉄道省によって今の呼び方が定められたという。新橋停車場もその一例。

▼関連写真 

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