▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新橋(旧称・廃駅) | しんばし | 東京都 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1872年 | 1986年 |
▼この駅を走っていた路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
日本国有鉄道(国鉄) | 東海道本線 | 普通鉄道 | |
日本国有鉄道(国鉄) | 東海道本線貨物支線(東京市場線)(築地市場引込線)× | 貨物 | |
日本国有鉄道(国鉄) | 東海道本線貨物支線(東海道貨物線)(大汐線)× | 貨物 | |
日本国有鉄道(国鉄) | 東海道本線貨物支線(芝浦貨物線)× | 貨物 | |
東京都港湾局 | 東京都港湾局専用線(日の出線)× | 貨物 | |
東京都港湾局 | 東京都港湾局専用線(芝浦線)× | 貨物 |
▼備考
▼関連写真
汐留のビルの谷間にひっそりとある、新橋停車場跡(旧新橋停車場)。建っているのは、当時の駅舎を復元した建物。この中は、2003年開館の鉄道歴史展示室となっている。展示室内は撮影禁止だった。ところで、モデルとなった当時の本物の初代駅舎は開業当初から建っていて、旅客駅としての機能を失った1914年以降もその建物は残っていたが、1923年の関東大震災の時に焼失したことで失われた。この時、すぐ西にあった現・新橋駅のレンガ駅舎も被災したが、そっちは補修されつつ戦後まで使われた。関東大震災前には、使われなくなった当駅舎を鉄道の博物館にする構想もあったというが、実現しない間に震災で頓挫した。【撮影日:2013/03/17】
復元駅舎を、反対側から。こっちは、ホームになっている(これも復元したもの)。当時のレールも一部再現されているが、ここにあるレールはある意味で本物(後述)。また、当時は枕木をバラストで覆い隠していたという。【撮影日:2013/03/17】 今主流の平底レール(へいていれーる、断面の下側の方が大きく平らなレール)とは違い、断面が上下共に同じ形をした双頭レール(そうとう〃)というものが使われていたらしい。平底レールの断面は「⊥」に近い「工」、双頭レールは「I」のような形。双頭レールのその形は、長年使って上部がすり減った時にひっくり返して、下側をまた使うためだったという。しかし、その形から安定性に欠けていたため早々に使われなくなり、明治など鉄道黎明期にしか使われなかった。そのため、現存するものは今では貴重で、後述の寄贈品以外に、国内にはもはや原形を保ったものがほぼ残っていないらしい。というのも、柵や建材に転用されたものや、文鎮型に切られたものくらいしか見当たらなくなっている。 ここにある復元レールも双頭レールだが、この復元展示は完全なレプリカではなく、レール部分は本物となっている。これは元々当駅で使われたものではないため、その意味では本当の本物ではない。しかし、当時の同じ時代(1873年)にイギリスで作られて日本へ輸入された同型の本物がたまたま新潟の工場内に保管されており、それをここへ寄贈してもらった事で、この復元展示が実現した。つまり、ここに展示されているレールは双頭レールとしては本物であり、非常に貴重なものとなっている。
日本初の鉄道の起点だったレールと、その標識についての案内看板。但し、よく見ると現在のような「0キロポスト」ではなく、「0哩標識」(ゼロマイルひょうしき)となっていて、ヤード・ポンド法が使われていた事が分かる。明治時代にイギリスなどからの輸入に頼って鉄道を導入した日本には、当然ながら輸入品と一緒にヤード・ポンド法も上陸して来た事になり、当初は日本の鉄道もヤード・ポンド法を使っていたという。しかし、鉄道省は世界のメートル法への統一の風潮を受け、1930年にメートル法へ移行(PDF)したという。現在見られる「営業キロ」も、メートル法に則ったもの。【撮影日:2013/03/17】 ※その他周辺の展示については、おやじのつぶやきが詳しい(敬称略)。