稲荷新道駅(旧称)
最終更新: 2022/09/08
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
稲荷新道(旧称) | いなりしんみち | | 京都府 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1910年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号KH34の、京阪本線の駅。当駅は現在、京阪本線における伏見稲荷大社の最寄り駅だが、鴨川運河・稲荷橋(後述)を挟んだ向かいにあるJR奈良線の稲荷駅の方が、伏見稲荷大社に近い。当駅の駅舎は伏見稲荷大社の千本鳥居をイメージしたデザインになっている。また、かつては京都市電稲荷線の稲荷電停も近くにあった(後述)。
当駅は、京阪本線開通と同時に1910年4月にこの駅名で開業したが、僅か8ヶ月後の同年12月に、国鉄(現・JR)の駅と同名の「稲荷駅」(いなりえき)へと改称された。しかし、1939年に「稲荷神社前駅」(いなりじんじゃまええき)へと再改称され、戦後の1948年には「伏見稲荷駅」(ふしみいなりえき)へと再々改称。つまり、当駅は3度にわたって改称された。
開業後僅か8ヶ月で行われた最初の改称には、新たな道路の存在と、それによって京阪本線における伏見の稲荷神社(=現・伏見稲荷大社)へのアクセス駅の変化が関わっている。
そもそも京阪本線すら無かった大昔、伏見の稲荷神社へアクセスできる鉄道駅は、国鉄東海道本線の旧線(後のJR奈良線)の駅として先に開業した「稲荷駅」のみだった。そして、稲荷神社へのアクセス方法は昔から、南北に伸びる本町通(伏見街道)という道路を経由してのアクセスが主流だった。その為、国鉄の稲荷駅も本町通に近接して設置された。付近一帯には1892~1894年にかけて、南北へ流れる鴨川運河(琵琶湖疏水の一部)が掘られていたが、旧来の神社アクセスは、この運河の東側で完結していた。
しかし、運河の東側からしか神社にアクセスできないのは不便として、1895年には稲荷新道という新しい参詣道が整備された。これは、運河の西の方(竹田街道側、鴨川・勧進橋の近く)から稲荷神社へとアクセスする為の東西方向の道で、この道が運河を渡る部分には稲荷橋も架けられた。それによって、西側からも運河を跨いで神社へアクセスできるようになった。
※稲荷新道は現在もあり、西の方で竹田街道(国道24号)から東へ稲荷新道が分岐する地点には、稲荷新道の碑が建っている(かつてこの碑は稲荷橋のたもとにあったが後に撤去され、行方不明期を挟んだ後、2002年の再発見を経て2004年にそこに設置された)。また、分岐する交差点名も「稲荷新道」交差点となっている。
時代が進んで1904年になると、京都電気鉄道伏見線支線という路面電車(後述の京都市電稲荷線の前身)も西から開通し、鉄道における稲荷神社アクセス方法が増えた。この支線も稲荷新道同様に西側から神社へアクセスするもので、鴨川運河の真上(稲荷橋のすぐ南脇)に、終着の稲荷電停を開設した。
そして更に時代が進んで1910年4月になると、遂に京阪本線が開通した。当初、京阪電車は稲荷神社へのアクセス駅を当駅ではなく南隣の駅としていた為、南隣の駅が「稲荷駅」を名乗り、当駅は上記の道路に因んで「稲荷新道駅」を名乗った。しかし、稲荷新道が開通していたお陰で、実際には南隣の駅よりも当駅の方が圧倒的に神社へのアクセスに便利だった為、京阪本線利用の参拝客は南隣の稲荷駅そっちのけで当駅の方を使うようになった。その為、開業後たった8ヶ月で、実態に合わせて当駅を新たな「稲荷駅」とし、同時に南隣の駅は「深草駅」へと改称された。こうして、当駅が名実共に稲荷神社への玄関口機能を獲得。
※その後、当駅は1939年の2度目の改称で「稲荷神社前駅」となった。また、深草駅は、2019年に「龍谷大前深草駅」へと再改称されている。
一方、戦後に行われた3度目の駅名改称には、神社側の改称が関わっている。神社名としては今でこそ「伏見稲荷大社」が正式だが、かつては正式な神社名が単に「稲荷神社」だった。開業直後の京阪や国鉄が単に「稲荷駅」という駅名を名乗ったのも、伏見稲荷大社の公式サイトのドメインが単に「inari.jp」なのも、その頃の名残と思われる。明治時代以降、日本中の神社は「近代社格制度」(いわゆる「旧社格」)という制度によって格付けされていて、伏見の稲荷神社は「官幣大社」という最上級の格とされた。その為、「官幣大社稲荷神社」とも呼ばれ、全国に無数にある他の稲荷神社との制度上の区別ができていた。しかし、この旧社格制度が戦後の1946年に廃止され、「官幣大社」という格も無くなった。これによって、伏見の稲荷神社は全国の他の稲荷神社と制度上の区別ができなくなってしまったので、正式な神社名を「伏見稲荷大社」へと変更。国鉄の稲荷駅はこの神社名改称をスルーしたが、京阪の当駅は神社名改称を反映し、2年後(1948年)に「伏見稲荷駅」となった。
※京阪本線は高架ではなく地上に開通した為、先に開通していた路面電車の伏見線支線と平面交差する事になった。この平面交差は当駅のすぐ南の方にあり、伏見線支線が京都市電化されて京都市電稲荷線となった後も、長らく残った。平面交差部分では、京阪本線は徐行せざるを得ず速達上の問題があった上、稲荷線と京阪本線の車両が衝突する悲惨な事故も度々起こった(1931年、1934年、1965年)。1970年に京都市電稲荷線が廃止された事でこの平面交差は解消したが、先に開通した稲荷線の方が無くなるというのは、ある意味皮肉ではある。付近の稲荷線の廃線跡は現在、稲荷児童公園や砂川会館・稲荷公園となっている。稲荷電停の橋自体は現存し、その上には説明版もある(稲荷橋と一体化している)。
※今昔マップ(敬称略)で、当駅がこの駅名、南隣の駅が稲荷駅を名乗っていた頃の地図を見る事ができる。右書きの平仮名で、「ちみんしりない」「りない」とある。つまり、京阪本線の開通直後8ヶ月間の地図と思われる。また、当時の国鉄(現・JR)の稲荷駅は東海道本線の駅だった事も分かる。 ▼関連写真