新和歌浦駅(南海電気鉄道・廃駅)
最終更新: 2022/03/12
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新和歌浦(廃駅) | しんわかうら | 和歌浦(廃駅) | 和歌山県 |
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1913年 | 1971年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
1971年までは、和歌山にも路面電車が走っていた。ここは和歌山軌道線のうち、北東の方で和歌浦口停留所から分岐する和歌浦支線の終点だった。今昔マップ(敬称略)に収録の1947年の地図や1966~1967年の地図には、停留所名こそ書かれていないものの、当停留所の記号が描かれている。今も近くには、同名のバス停がある。
周辺の住所としての地名は「しんわかうら」「わかうら」などと読むが、景勝地としては古くから「わかのうら」と呼ばれる。景勝地としての和歌浦は「和歌の浦」とも書き、ここから南側へ広がる湾一帯の風景が万葉集の和歌に詠まれる程風光明媚だった事から、その名が付いたという。特に、ここから南東の方で細長く伸びる砂嘴の周辺、具体的には片男波(かたおなみ)や玉津島神社周辺が、狭義の和歌浦と言われる。和歌山城という城の名前や県名・市名にもなっている「和歌山」という地名は、一説によるとこの和歌浦が由来の1つとされる。
※但し、現在は湾の向こうに和歌山マリーナシティが建設されたため、景勝地らしい風景と一緒に、マリーナシティの高層ビル群も彼方に見える。
また、「新和歌浦」という名前は、停留所名というよりも地名(観光地名)としての側面が強い。和歌浦の歴史は古代に遡るが、新和歌浦の歴史は意外にも新しく、20世紀に始まった。元々は上記の通り、ここよりも東の方の片男波・玉津島付近が和歌浦の中心だったが、1917年になって設立された新和歌浦土地という会社が、まだ未開発だったより西側一帯の海岸沿いに新しい旅館を建てるなどしてそこを新たに開発し、これが「新和歌浦」という新しい観光地となった。和歌浦の範囲が言わば西側へと拡張されたような形となり、これは戦後も大いに賑わった。戦後には、ここから西南西の方に同名を名乗るロープウェイの新和歌浦駅も出来たが、それもこの新和歌浦が観光地として繁栄していた頃に建設されたロープウェイだった。
※当停留所のあった場所から見てすぐ北東の方には、紀州東照宮がある。徳川御三家のうち、紀州徳川家の始まりとなった徳川頼宣が創建した神社で、「関西の日光」とも言われる。
※和歌山軌道線には他に、北ノ新地停留所などもあった。また、新抜き駅の和歌浦停留所も、同じく和歌山軌道線内にあった。 ▼関連写真