新栄野駅(廃駅)
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新栄野(廃駅) | しんさかえの | | 北海道 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1946年 | 2006年 |
▼この駅を走っていた路線
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| JR北海道 | ■石北本線(A) | 普通鉄道 |
▼備考
石北本線の瀬戸瀬(せとせ)~遠軽(えんがる)駅間にあった駅。この駅は利用者が皆無だった為、2006年に廃止された。元々は「野上仮乗降場」(のがみかりじょうこうじょう)という仮乗降場として開業したが、1967年に「新栄野仮乗降場」へと改称、1987年のJR発足以降は「駅」に格上げされて「新栄野駅」となった。改称当時、近くに境野駅という駅があって、それと読みが似るのを避ける為に「新」を付けたらしい。
ちなみに、境野駅も2006年に廃止されている。境野駅は、かつて池田駅と北見駅を結んでいた「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」にあった。国鉄時代は池北線と言った。今はその一部(陸別駅等)がりくべつ鉄道として保存されている。
石北本線(せきほくほんせん)は、新旭川駅と網走駅(あばしりえき)を、上川(かみかわ)・遠軽(後述)・北見・美幌(びほろ)経由で結ぶ路線(石狩と北見を結ぶ)。途中、大雪山の近くにそびえる北見峠や、遠軽と北見の間にそびえる常紋峠などを越え、その名の通り、北見地方との交通に重要な役目を果たしてきた。特急「オホーツク」や「大雪」なども走る。北見で生産された玉ねぎを日本中へ送り出す玉ねぎ列車という貨物列車も活躍しているが、これは石北本線あってこそのもの。
しかし時代が進むと、石北本線は沿線の過疎化や、完全に競合する旭川紋別自動車道の開通の影響をもろに受け、経営が苦しくなった。その為、当駅含めた多くの駅の廃止など経費削減が行われてきた。また、路線自体の存廃問題や、鉄道と道路の共存への模索も議論されている。
当駅北東方向には、隣駅の遠軽駅がある。遠軽駅はスイッチバック駅になっているが、1989年以前はその先端から名寄本線が出ていた。この奇妙な線形には、昔の路線名の分け方(後述)が関わる。名寄本線は、遠軽~中湧別(なかゆうべつ)~紋別~渚滑(しょこつ)~興部(おこっぺ)~上興部(かみおこっぺ)~名寄間を結んだ。中湧別~興部間はオホーツク海沿いを走り、中湧別駅からは湧別駅への支線と網走駅への湧網線(ゆうもうせん)が、渚滑駅からは渚滑線が、興部駅からは興浜南線が分岐した。これらは全て廃線。
遠軽周辺にあった生野駅(いくのえき)という秘境駅も、かつての当駅と似た状況(普通列車すら多くが通過し、利用者が少ない)にありつつも2021年まで細々と存続していたが、結局は経営難で、生野駅も含めた4駅が同年3月13日に廃止。※播但線の生野駅とは別駅。
南西方向には「上白滝」「白滝」「旧白滝」「下白滝」の4駅もあり、それなりの名物だったが、これらも利用者がほぼいない理由で、白滝駅を残して2016年に廃止。上白滝駅の廃止で、上川~白滝間が日本一長い駅間距離を更新する(次の駅まで40分近くかかる)など、周辺は過疎化が進む。この上川~白滝間こそが北見峠に相当する山越え区間で、山深い為人が殆ど住んでいない。特急や特別快速・貨物列車を除くと、この区間を走る普通列車は2020年現在たったの1日1往復なので、駅の廃止も仕方ない。
※つちぶた本舗の全駅訪問の旅やトラベルメイク 駅舎写真館には、廃止前の新栄野駅の貴重な写真が載っている(いずれも敬称略)。
※常紋峠を越える常紋トンネルは、その建設時にタコ部屋労働と呼ばれる過酷な労働条件(PDF)で多くの犠牲者を出しながら掘られたといい、その犠牲者はこのトンネルの壁面に人柱として埋められていた(ここまでは事実)。この事から、巷ではこのトンネルがやたらと心霊スポット扱いされる風潮があり、このトンネルを通過中に列車内で心霊現象が起きたなどとする噂がネット中に見られる(噂の信憑性はあまり無い)。
※北見駅は1942年まで、野付牛駅(のっけうしえき)という別名だった。そして、周辺の路線群は当初、今とは全く別の路線の分け方・路線名の命名をしていた。石北本線の前身は複数の路線から成っていて、新旭川~遠軽間は「石北線」(北見峠区間の開通前は石北東線/石北西線)が由来だが、残りは野付牛~遠軽~中湧別~湧別間を結んだ「湧別線」(当初は湧別軽便線)、池田~淕別(後の陸別)~野付牛~網走~斜里(現・知床斜里)~札鶴(さっつる、現・札弦)間を結んだ「網走本線」が由来。1932年に北見峠区間が開通すると、湧別線の遠軽以南は石北線に編入、以北は名寄本線の一部として分離。他にも、網走本線の池田~北見間は池北線、網走~札弦間は釧網線(現・釧網本線)の一部として分離され、別路線となった。遠軽駅のスイッチバックもこの経緯が関係し、元々遠軽駅では、真っ直ぐ南北に伸びる湧別線から南西へと石北東線が分岐する形だった。 ▼関連写真