新金岡駅
最終更新: 2022/04/01
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新金岡 | しんかなおか | 金岡(旧称) | 大阪府 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1987年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号M29の、大阪メトロ御堂筋線の駅。長らく我孫子駅止まりだった御堂筋線が1987年にようやく中百舌鳥駅(なかもずえき)まで延伸し、当駅は開業した。
※我孫子駅は当駅から北へ2つ隣、中百舌鳥駅は当駅南隣。我孫子駅・中百舌鳥駅の正式駅名はあくまで共に漢字表記で、南海電鉄・泉北高速鉄道の中百舌鳥駅も漢字で案内されるが、地下鉄駅の案内時のみ、平仮名表記の「あびこ駅」「なかもず駅」が使われる。
周辺は「しんかな」の略称でも呼ばれ、1992年には当駅近くに「しんかなCITY」というモールも開業した。これは後に閉店し、今は「フレスポしんかな」となっている。当駅周辺には新金岡団地(後述)が広がっていて、この団地はしんかな地区誕生のきっかけにもなった。しかし、2022年現在は建て替え時期が来ており、跡地の一部では民間による再開発も計画されているため、あと何年この団地が見られるかは分からない。当駅は元々新金岡団地の玄関口として開業したが、2006年に堺市が政令指定都市へ移行して北区が誕生すると、当駅周辺は北区の中心としての側面も持つようになった。堺市北区役所もここから近い。
新抜き駅の「金岡駅」は、現在の阪和線「堺市駅」の1965年以前の旧称で、ここから西北西の方にある。但し、厳密には当駅が出来る前から周辺には「新金岡町」という地名が付いていた(後述)ため、当駅名は「金岡駅」に「新」を付けたと言うよりも、元からあった地名をただそのまま名乗っただけとも解釈できる。しかし、それぞれの地名と駅名には後述の経緯から1対1の関係があると見なせるため、新抜き駅としている。
全てのきっかけは、1955年に発足した日本住宅公団(現・UR都市機構)が、同年中に団地第1号として金岡団地を建設した事に始まる。終戦から数年経つと急激に好景気・人口増加が訪れ、元々空襲で多くの住宅を失っていた日本は、深刻な住宅不足に陥った。そのため、戦前にかつてあった同潤会・その後身の住宅営団を参考にして、日本住宅公団が設立された。金岡団地は日本初の団地として、阪和線の金岡駅(現・堺市駅)~三国ヶ丘駅間辺りの東の方に建設されたが、建設地の北隣には、前年(1954年)に建設されたばかりの府営金岡住宅というのも隣接していた。これらは当時最先端の住宅として若者の憧れとなり、成功した。
※これらは、今昔マップ(敬称略)に収録の1967~1970年頃の地図で見られる。南側のスターハウスが幾つか並んでいる方が公団金岡団地、北側の給水塔(高塔)の地図記号が描かれている方が前年に出来た府営金岡住宅。両方とも既に解体・建て替え済みだが、金岡団地は早いうちに解体され、「サンヴァリエ金岡」として生まれ変わっている。一方、府営金岡住宅の解体は遅かったため、解体前の様子を2010年のストリートビューで見られる。
その後、金岡団地が成功した事から、今度はより東側により大規模な新たな団地が計画され、1963~1966年にかけて「新金岡団地」が造成された。新金岡団地は、「金岡ニュータウン」という別名でも呼ばれた。新金岡団地には「新金岡町」という地名が付けられ、こちらは金岡団地とは比にならない程の大勢の人々が住んだ。どうやら、新金岡団地への入居時、「将来付近へ地下鉄が通るよ」と予告されていたらしい。しかしこの時点ではまだ新金岡団地には鉄道が到達しておらず、当駅も無かったため、新金岡団地は陸の孤島状態だった。
その後も延伸は遅れ、待てど暮らせど新金岡団地には地下鉄はやって来なかった。新金岡団地の住民は長らく地下鉄無しの状態で日々を暮らし、不便を強いられたため、住民からは地下鉄延伸を切望する声が噴出した。それを受け、1987年になってようやく、あびこ駅で止まっていた御堂筋線がなかもず駅まで延伸され、新金岡団地に当駅が誕生、鉄道が到達した。
※地図を見ると分かるが、堺市では一部地域を除き、昔から伝統的に「丁目」の代わりに「丁」を使っている。新金岡町も例に漏れず、「新金岡町一丁」などとなっている。
※御堂筋線には他に、新大阪駅もある。 ▼関連写真