新がつく駅地図手帖

新柴又駅


最終更新: 2023/07/09

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新柴又しんしばまた柴又東京都
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廃止
1991年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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北総鉄道北総線(HS)普通鉄道
京成電鉄[直通]押上線(KS)普通鉄道
京浜急行電鉄[直通]本線(KK)普通鉄道
東京都交通局[直通]都営地下鉄浅草線(A)地下鉄

▼備考 

駅番号HS01の、北総線の駅。北総線(京成高砂駅を除く)で唯一、東京都にある。柴又駅(新抜き駅)は京成金町線の駅で、すぐ北西の方にある。近くの江戸川には、「矢切の渡し」という今となっては珍しい渡し船が通ってて、観光で乗る人もいる。柴又には、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)や、寅さん記念館などもある。 北総線は、京成高砂駅と印旛日本医大駅をはるばる東西に結ぶ路線。現在は印旛日本医大以東、成田湯川・成田空港方面へと線路が更に東へ伸びているが、これは成田スカイアクセス線のみの線路であり、北総線の区間はあくまで印旛日本医大止まりとされる。成田スカイアクセス線の運行範囲は北総線と重複するが、成田スカイアクセス線の電車(アクセス特急スカイライナー)は北総線区間では速達列車としての側面を持ち、前者は一部の駅を、後者は基本的に(新鎌ヶ谷駅以外の)全駅を通過する。当駅は両者とも通過。 ※但し、某ウイルスのせいかスカイライナーの停車駅は当初よりも増えており、2020年には青砥駅、2022年11月以降は北総線内の新鎌ヶ谷駅にも一部停車するようになった。 一方、北総線の西端の京成高砂駅以西では、京成線・都営浅草線方面への相互直通運転も行われている為、京成線経由で都営浅草線・京急線の車両もここまで直通して来る(ここから新橋駅にも行ける)。 北総線は長い期間をかけて徐々に建設が進み、運営元や路線名も複雑に変遷した。まず1979年に北総線第1期として北初富~小室駅間が開通したが、この時点ではまだ都心へと線路が繋がっていなかった為、暫定的に北初富駅を境に新京成線の松戸方面と相互直通運転をする事で、都心へのアクセス経路を確保した。また、現在の北総鉄道(株)は当時、「北総開発鉄道」(株)という社名だった。 その後1984年になると、線路が小室から更に東へ伸び、千葉ニュータウン中央駅(※以下、千葉NT中央と略記)まで開通したが、これは「住宅・都市整備公団」(通称「住都公団」)という組織が運営する「千葉ニュータウン線」という別路線として開通した。つまり、北初富~小室間が「北総線」、小室~千葉NT中央間が「千葉ニュータウン線」と路線名が分かれたが、実際には実質1つの路線のように運行された。 ※住都公団は、かつて全国各地に住宅団地を建設した「日本住宅公団」と、千葉ニュータウンの開発に携わっていた「宅地開発公団」という2つの組織の後身として1981年に設立されたもので、現在のUR都市機構にあたる。住都公団はその後も、1999年以降は「都市基盤整備公団」(通称「都市公団」)、2004年以降は「独立行政法人都市再生機構」(通称「UR都市機構」)へと改組を重ねた。 1988年になると、それまで小室駅を境に2つに分かれていた路線名が統合され、はるばる北初富~小室~千葉NT中央駅間が「北総・公団線」となった。この時、小室以東では住都公団が運行から退いて線路・駅・車両などの設備の保有のみを担当し、運行は北総開発鉄道が保有者(住都公団)から設備を借りて担当するようになった。 1991年になると、遂に京成高砂~当駅~新鎌ヶ谷駅間が北総・公団線の第2期として開通し、遂に都心方面へと線路が直接繋がった。この時、北総・公団線ははるばる京成高砂~小室~千葉NT中央間となった。一方、翌年(1992年)には北初富経由の新京成線直通が廃止され、都心方面への運行は京成高砂方面のみとなった。 1995年には東側への延伸も始まり、千葉NT中央~印西牧の原間が開通。2000年には印西牧の原~印旛日本医大間も開通し、ようやく全通。その間、住都公団は都市公団へと改組された。 その後暫くの間、路線名は「北総・公団線」のままで、小室以東の設備保有も引き続き都市公団のままだったが、都市公団が2004年に鉄道から撤退してUR都市機構が誕生すると、その保有が「千葉ニュータウン鉄道」(株)へと移った。この時、全体の路線名も「北総・公団線」から「北総線」へと改称され、同時に北総開発鉄道(株)も現在の「北総鉄道」(株)へと改称された。「北総鉄道北総線」という形態はこの時生まれ、今に至る。 ※北総線のこうした複雑な経緯の裏側には、北千葉線の計画も絡む。 ところで、北総線は運賃が高い事で有名だが、それは路線建設時の借金が多いのと、千葉ニュータウンの開発が鈍った為だという。都心と千葉ニュータウンを繋ぐ路線として作られたが、建設時期がちょうどバブル崩壊と重なってしまい、こうなった。その上、用地買収時の地主のぼったくりを規制できなかった影響もあるらしい。あまりの高さから、北総線に思いっきり競合する安い代替バス路線が地元民によって設定されていたりもする。 ただ、この高い運賃収入に支えられてか黒字経営が続き、2022年度には借金が無くなる見込みが出た為、遂に2022年10月1日に運賃が値下げされた。沿線の印西市などはこれを長年の悲願としてきた為、歓迎された(特に、通学定期の値下げ幅が大きい)。また、千葉ニュータウンも遅れと計画縮小こそあれどゆっくりと開発が進み続けた為、将来が暗い訳ではない。むしろ、地盤の良さからGoogleがデータセンターを建てたり、綺麗な街並みや公園・大規模モールが整備されたりと、発展しつつもある。千葉NT中央駅に停まるアクセス特急の最高速度は120km/hの為、都心へのアクセスも良い。 ※値下げの翌日には、北総線に白井まきのというキャラも誕生した。由来は白井駅と印西牧の原駅だが、「白井」は「しい」と読む。立地市名も白井市(しろいし)で、県外民からは「しらい」と誤読されやすい。

▼関連写真 

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当駅を発車する、普通印旛日本医大行き。この車両は都営浅草線のもので、5300形という。撮影時、浅草線で最も主力の車両。顔に、東京都のシンボルマーク(どう見ても緑のイチョウだがイチョウではない「T」のマーク)が描いてある。この車両はVVVF音が大きく響くため、「交通局の白い悪魔」と呼ばれて親しまれているという。【撮影日:2017/03/09】 ※浅草線では、2018年6月に新型車両5500形が登場した。5300形は1991年以来長らく走ってきたが、老朽化などもあり、引退が迫る。将来の5500形への世代交代が進んでおり、2021年9月にはとうとう5500形の導入が完了。5300形は遂に5320編成の1編成のみとなってしまったが、5500形の車両機器の工事か何かの理由で、2022年10月現在も辛うじて走っている。 ※追記:2023年2月を最後に5320編成も引退し、遂に5300形は姿を消してしまった。

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新柴又駅のホーム。いずれも京成高砂方面、南西を向く。相対式ホームの高架駅。印旛日本医大寄り(上写真)には、屋根がない。【撮影日:2017/03/09】

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高砂方面を眺める。右奥に線路が伸びている。高架のすぐ上をまたぐ送電線が低いからか、電磁気的干渉を防ぐために線路に覆いがしてあるのが見える。その向こうには都営高砂団地、更に向こうには東京スカイツリーのシルエットも見える。この送電線は小松川線と言い、北葛飾変電所と小松川変電所を結ぶ154kV送電線。奥の方には、亀戸線という別の送電線や、左奥には美化鉄柱も写っている。管理人は送電線と団地とタワーと線路と夕焼けが好きなので、しばらく眺めていた…【撮影日:2017/03/09】

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新柴又駅の駅名標。駅番号HS01・ローマ字に加え、中国語・韓国語も併記。【撮影日:2017/03/09】

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新柴又は高架駅で、眺めがいい。向かいのホーム、南東側を眺める。写真中央には、市川や本八幡のタワーマンション群が見える。【撮影日:2017/03/09】

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北側(柴又・金町側)から見た、新柴又駅舎。手前には、駅前ロータリーや、花壇のある歩道などが広がる。3階建で、1階には24時間営業のスーパー「エネルギースーパー たじま」が入っていた。2階が改札口や駅員室など、3階がホーム。 実はこのロータリー、高校時代の夏に千葉から自転車で来た事があり、懐かしい再訪になった。ジュースを買った駅前のコンビニはまだあった(写真には写してない…)。【撮影日:2017/03/09】 ※追記: やはり時代なもので、24時間営業はいつの間にか終わって9~22時営業になり、その後この店舗は2023年に突如「ラコマート」へと店名が変わっている。元は別の企業が運営していたらしいが、今の運営企業が2013年にたじまを買収し、その後も買収前の店名がブランド名として残っていたパターンだったらしい(ダイエーとかがイオン化してもイオン化前の店舗名が残っていたのと同じパターン?)。しかし、買収から10年経った2023年になって、遂にこの店舗はたじまの名を失う事になった。

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新柴又駅舎を南側から。こっち側には、ロータリーなどの整備はない。スーパーや駅の入口は、小さいながらもある。駅前には、駐車場や、下町の街が迫る。個太郎塾の旗…中1の時に通ったことがある…(もちろん違う教室)。【撮影日:2017/03/09】

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当駅周辺で一番大きな通り、柴又街道をまたぐ北総線高架や駅直結歩道橋には、でかでかと「北総鉄道 新柴又駅 →」のように書いてある。道路を通っていて、どこに駅があるのか分かりやすい。(高架駅のすぐ横で大きな道路がクロスするパターンでは、よく見る光景。)【撮影日:2017/03/09】 柴又街道は、付近をひたすら真っ直ぐ南北に伸びる。南端の旧江戸川付近から北上し、篠崎・小岩・当駅付近・柴又などを通って、はるばる金町駅の手前付近(金町三丁目交差点、水戸街道とぶつかる所)まで伸びている。街道名の通り、途中で柴又を通る。この写真の方向へ進むと、すぐ柴又。おいでよっ!柴又

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柴又街道沿いの駅入口。高架下にある。その隣には、スーパーの他にもう1つのテナントスペースがあるよう。右上が駅直結歩道橋で、横断歩道まで行かなくても街道を渡って駅に入れる。【撮影日:2017/03/09】

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駅前の柴又街道を北に眺めると、道路の彼方には金町駅前のタワーマンションが見えた(画質が足りないけど写真だとすき家看板の左)。通りのまっすぐ彼方に見える系建物が好き… この景色の中、部活から塾へ向かう日々を送りたい この街道は付近を南北する主要な道路で、小岩の方から金町まで、うんとまっすぐ伸びている。無電柱化が進んでるようだ。約1機の開閉器らしきものを除いて。【撮影日:2017/03/09】

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新柴又駅の改札階。至って普通の、高架下の改札口【撮影日:2017/03/09】

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切符売り場の上にあった路線図兼運賃案内。初乗り運賃が200円と、高額なのが分かる。普通、都市部の鉄道の初乗り運賃は140円くらいで、100円台が多い中の200円。隣の京成高砂駅は、頑張れば歩けない距離でもないけど、200円かかる。 ここから金町へ行くなら、すぐ北に金町線の柴又駅があるから、そこまで歩いて、柴又駅から金町線だけを使って行く方がいい(徒歩が辛い時は、ここから金町駅前までダイレクトに行けるバスもある)。当駅から行くと、この初乗り運賃が災いして、金町線の運賃も合わさって320円もかかってしまう(高砂まで遠回りするのも良くない)。また、1駅区間の利用のみならず、大移動での運賃も高い。例えば成田空港へ行く時、京成本線経由と北総線経由のそれぞれの運賃体系でそのまま計算してしまうと運賃に大きく差が出てしまうので、京成本線側で京成成田~空港第2ビル間の運賃を急激に上げる事でその差を無理やり縮めているほど。利用区間や期間にもよるが、定期代が20万円を超えるのも至って普通という。更に、北総線が割高な原因を考察したサイトもある。【撮影日:2017/03/09】 ※上記備考の追記の通り、この高運賃は2022年10月1日に値下げされた。初乗りも190円となり、遂に100円台となった。まだ普通運賃の値下げ幅は小さく、引き続き他社路線より高めではあるが、通学定期が驚異の64.7%引と、半額どころか6割引を超えるなど、北総鉄道の値下げへの精一杯の努力が感じ取れる。この値下げは歴史的な一歩で、かつては値下げを求める地元民ともろくに交流してこなかった北総鉄道の社長が変わり、現在の社長は地元とも交流を続け、真摯な努力が評価されている。線路を保有する千葉ニュータウン鉄道(株)との上下分離状態も値下げを阻む要素で、これは未だに解決していない(北総鉄道が千葉ニュータウン鉄道保有の線路を借りているため、高額な線路代を払い続けている)が、今後の努力次第では更なる値下げも期待できる。

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切符売り場の近くの掲示板にこんなのが貼ってあったんだけどなんか可愛いな。特に左の子(右は可愛いというよりかっこいい) 新小岩駅の近くに自衛隊の施設があるっぽい。そういえば柴又と同じ葛飾区。※小岩は江戸川区、新小岩は葛飾区。【撮影日:2017/03/09】 2015年前後辺りから、10代絵師界隈の絵柄のものが一般大衆向け掲示物にも増えた気がする。かつては貴重だったため看板少女のさがしかたなんていうブログもあったが、今はかつてほどレアでもない。その世代の絵柄が一番好きなので増えたのは滅茶苦茶嬉しいっすわ(てかこのサイト管理人自身も一応この世代ではある)。その世代が大人になり始めたのか、風潮が変わったのか、文化祭ポスターもその手のものが圧倒的多数になった(元々埼玉がその最先端を行っており、こんなコンテストも開かれているが、その年を境に埼玉以外でも見かけるようになった。気がする)。

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新柴又駅を通過する、スカイライナー。この車両はAE形と呼ばれ、スカイライナーの車両としては3代目。スカイアクセス線の完成と共にデビューした。この車両こそが、あの160km/h運転を実現した車両で、京成電鉄の技術の結晶。ただ速いだけでなく、デザインもかっこいい。鉄道車両としての優秀さが認められ、2011年にはブルーリボン賞というのも受賞している。こういう優等列車の類は全部、当駅を通過する。【撮影日:2017/03/09】 ※「AE形」を名乗っていた車両は過去にもう1つあり、初代スカイライナーの車両もその名だった。「Airport Express」の頭文字で、現車両は初代車両の頃の原点に戻るという思いを込めて、同じ名前を付けられたという。初代スカイライナーは一部編成が成田闘争の放火事件に巻き込まれた事もあるが、長らく活躍した。ちなみに、スカイライナーの2代目の車両は、「AE100形」と言った。また、初代スカイライナーの車両は引退時にモーターなど足回りの走行機器類の劣化が少なかったため、引退後、3400形の走行機器に流用された。つまり、3400形は初代スカイライナーの生まれ変わり。 ※AE形は、スカイライナーとしてだけではなく、モーニングライナーや成田山開運号などの有料特急としても使われ、京成の有料特急専用車両としての側面を持つ。先代のAE100形も、スカイライナー引退後は「シティライナー」という別の有料特急を担当していた時期があった。スカイアクセス線開業前のスカイライナーは京成本線を走っていたため、スカイライナーがスカイアクセス線経由に変更された分、減少した京成本線の特急を補うのが、シティライナーの役目だった。

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新柴又駅を通過する、アクセス特急成田空港行き。これもスカイアクセス線の列車で、当駅を通過していった(スカイアクセス線には主に、スカイライナーとアクセス特急の2種の列車が走る)。アクセス特急は、追加料金の要る優等列車であるスカイライナーとは違い、普通運賃のみで乗れる。それでも、線内各駅に停まる北総線列車よりは停車駅が少なく、北総線内では快速のような役割を果たしている。アクセス特急用のこの車両は3050形といい、3000形の仲間ではあるが、スカイアクセス線での特急運転用に設計変更されたもので、他の3000形とは区別されることが多い。京成本線ではなく、スカイアクセス線を走る用に作られた車両。色もっぽい。【撮影日:2017/03/09】 ※この写真では、上で眩しく光っている前照灯(ヘッドライト)とは別に、下側でも黄色いライトが光っている。これは通過標識灯(急行灯)と言い、前照灯とは別物だという。主に線路上や駅にいる係員や保線員などが、文字を読まずとも一目で通過列車なのかどうか(列車種別など)が視認できるようにするための、業務用の目印となるライト。この3000形系列では、尾灯(後ろを示す赤いライト)の直上に黄色い急行灯が付いている。但し、急行灯は法的な設置義務も特に無いため、鉄道会社によっては急行灯を車両に設けない場合も多い。京成では、日中は点けずに主に夕暮れ時や夜・早朝などに点灯する事が多いらしい。 追記: 2019年に、京成では16年ぶりの新型車両の3100形というのがデビューしたが、2020年現在、3050形の一部を置き換えるのに使われている。この新車も3050形と同様、京成本線系統(津田沼・佐倉方面)を走らず、スカイアクセス線系統のみを走る。置き換えを受けた3050形は玉突きのように京成本線用へ転用され、色も京成本線用の赤+青帯に変わっている。一方、従来通りスカイアクセス線に残る3050形もいるが、3100形がオレンジ色基調の帯で登場したため、残る3050形もそれに合わせて、写真のような青からオレンジ帯へ変更されている。ただ、旧型車両の3050形がオレンジをまとっているのも時間の問題で、今後3100形が増えれば、ゆくゆくはどんどん京成本線側へ転属していくだろう。

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いくつかの通過を見送って、やっと来た普通列車。来た時と同じ、都営浅草線の車両だった。この日はこの後、これに乗って新鎌ヶ谷駅を目指した。【撮影日:2017/03/09】 ※そういえば、当駅にはホームドアが設置されていなかったので注意が必要。

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新柴又を発車して、江戸川を渡ろうとするところ。本八幡と市川のマンションを眺める。高校時代、総武本線に乗ることが多かったが、総武本線の通るエリアを離れた場所から見るのは新鮮だった。 本八幡のマンションが西日で強く光って見える。左に見える茶色いビルは、和洋女子大学のもの【撮影日:2017/03/09】

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