八幡新田駅
最終更新: 2024/07/06
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
八幡新田 | やわたしんでん | | 愛知県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1931年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号KC04の、名鉄河和線の駅。普通(各駅停車)のみが停まる。
当駅は相対式ホームで、改札内で上下線ホームは繋がっていないので、上下線それぞれに改札口がある。しかも、それぞれが北側(太田川方)と南側(河和方)に分かれており、駅のほぼ四隅、つまり計4箇所に改札口がある。当駅は1950年からずっと無人駅で、2007年までは駅舎どころか改札口すら無かったため、通りすがりの自転車歩行者も入り放題だったという。2007年に駅舎と改札口の設置工事が行われ、それは解消した。改札口設置は、トランパスという磁気カードの導入に対応するためだった。ただ、トランパスは2012年にmanaca(PASMOの名古屋地区版みたいなもの)に取って代わられ、廃止。
当駅は東海市の南端付近にあり、すぐ南側には知多市や東浦町(ひがしうらちょう)との境界が迫る。当駅名はどちらかというと北側(東海市側)ではなく南西側(知多市側)一帯の地名が由来で、すぐ西には知多市立新田保育園、南南西の方には知多市立新田小学校もある。元を辿れば、尾張八幡神社(おわりはちまんじんじゃ)という神社から「八幡」(やわた)という地名が誕生し、それが知多郡八幡町(やわたちょう)となり、後の合併で現在は知多市の一部となっている。この「八幡町」の中にあった「亥新田」という地名が、当駅名の由来になった。
※南東側(東浦町)側には「緒川新田」という別の地名もあり、これも駅名の由来になった可能性があるが、詳細は不明。
名鉄河和線(こうわせん)は、太田川駅で常滑線から分岐し、南下して知多半田駅・知多武豊駅などを経由して、河和駅まで伸びる路線。途中、富貴駅(ふきえき)で知多新線(後述)が分岐する。多くの列車が太田川駅以降の常滑線・その先の名古屋本線などへ直通し、新日鉄前駅の方へも行く。太田川駅付近は、東海市の中心でもある。河和線は沿線の宅地化が進み、名古屋への通勤通学にもよく使われている。
ちなみに、河和線の知多武豊駅の北隣には上ゲ駅という変わった名前の駅がある。某巨大掲示板では、AAなどとしてスレをageる。
河和線の歴史は、知多鉄道という私鉄に始まった。知多半島の河和と名古屋を結ぶべく発足した知多鉄道は、1931年の開通当初から電化・高速運転対応、しかも常滑線へと直通という豪華なもので、以前から知多半島~名古屋間の移動を担っていた武豊線に比べて、大幅な所要時間短縮を実現した。そのため、開通後は沿線地域に発展をもたらし、知多鉄道は繁栄。武豊線側には元々半田駅や武豊駅があったため、知多鉄道側の駅名には「知多」を冠した。知多鉄道はその後も徐々に延伸を重ねた。1932年には一旦、河和の手前の河和口駅まで線路が到達したが、その先の用地買収が難航し、河和駅への延伸・全通は1935年となった。
当時、常滑線は愛知電気鉄道という別の会社が運営していたが、知多鉄道は当初から常滑線へと直通していた事からも分かる通り、愛知電気鉄道と関係の深い会社だった。それどころか、知多鉄道は開通後の鉄道運行を自社では担当せず、愛知電気鉄道へ委託していたため、あたかも愛知電気鉄道の一路線かのように運行された。愛知電気鉄道が1935年に名岐鉄道と合併して名鉄が誕生してからも、引き続き、知多鉄道は自社路線の運行を名鉄に任せた。結局、1943年には知多鉄道は名鉄に吸収合併され、正真正銘名鉄の一部として名鉄知多線となった。戦後の1948年には、現在の路線名である「河和線」に改称され、今に至る。
ところで、知多鉄道時代には河和から更に先の内海(うつみ)まで線路を伸ばす構想も練られたというが、それは頓挫した。また、愛知電気鉄道(常滑線)側にも内海延伸構想はあったが、それも頓挫。しかし、うんと時代が進んだ1974~1980年にかけて、河和線の途中の富貴駅から分岐する知多新線が建設され、結果的に内海駅まで鉄道が到達した。知多新線の列車は一部が河和線へ直通し、河和線と同じ路線記号「KC」が割り当てられている。知多新線は、内海含む南知多の観光需要と沿線の宅地開発などを期待して、駅位置やルート案などの紆余曲折を経てようやく開通。どちらかというと、海沿いの観光よりも内陸部の宅地開発の方を優先したため、内陸部を通る線路になった。しかし、期待していた沿線の宅地開発はうまく進まず、海沿いへ行きたい観光客(海水浴客など)にとっては不便な内陸立地の駅も祟って、知多新線の客は思うように増えていない。線内には、宅地開発が頓挫した事で未成駅となった遺構(小野浦駅)も存在する。知多新線は、宅地化で発展した河和線とは対照的な存在となっている。
※夜のみ、ここから津島線の方へ直通する列車がある。
※当駅の北隣には南加木屋駅(みなみかぎやえき)という駅があるが、2024年3月16日には、高横須賀(たかよこすか)~南加木屋駅間に加木屋中ノ池駅(かぎやなかのいけえき)という新駅も設置された。その計画は2015年には既にあったため、名鉄が2016年に駅番号を導入した時も予め新駅誕生を見越し、高横須賀駅にKC01、南加木屋駅にKC03という風に飛ばした番号が付けられた。そのため、当駅含め、この新駅開業によって駅番号がずれるような心配は無い。ちなみに、1969年以前は同じく高横須賀~南加木屋駅間に加木屋駅という駅もあったが、それは新駅とは場所の異なる廃駅。 ▼関連写真