新半田駅(廃駅)
最終更新: 2023/07/03
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新半田(廃駅) | しんはんだ | 半田 | 愛知県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1975年 | 2006年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
1975年に開業した、衣浦臨海鉄道の貨物駅。当駅は1990年代頃から使われなくなって2006年に廃止されたが、当駅の所属した半田線(後述)自体は今も現役。また、当駅跡すぐ南にある踏切の名前は、今も「新半田踏切」を名乗っている。
衣浦臨海鉄道(きぬうらりんかいてつどう)は、貨物列車を運行している会社。高度経済成長期に衣浦湾を埋め立てて工場地帯が建設されると、その貨物を担うための貨物鉄道会社として1971年に衣浦臨海鉄道が設立された。衣浦湾には境川などの川が注いでいるが、この埋め立てによって湾がかなり細長くなったため、今の衣浦湾はほぼ境川の下流部のような状態とも言える。この湾は、衣浦港として機能している。
※工場地帯の建設・整備によって生まれた第三セクターの貨物鉄道会社という点で、京葉臨海鉄道や神奈川臨海鉄道・鹿島臨海鉄道・水島臨海鉄道などと同様の事例に分類できる。これらを総称して、「臨海鉄道」とも呼ぶ。
衣浦臨海鉄道は主に「半田線」と「碧南線」の2路線を持っており、当駅は半田線側にあった。半田線は衣浦湾の西側、碧南線は湾を挟んで対岸の東側へと伸びており、それぞれは離れている。ただ、共にJR武豊線(たけとよせん、後述)の駅から分岐しており、線路も武豊線と繋がっている。半田線は武豊線の東成岩駅(ひがしならわえき)から、碧南線は同じく武豊線の東浦駅から線路を伸ばしている。
衣浦臨海鉄道の各路線では、今では極めて珍しいタブレット閉塞が現役で採用されている。タブレットと呼ばれる器具を手で受け渡し(授受)するという原始的な方式で、電気式の信号機が導入される前の時代のもの。かつて国鉄でも多く見られた、列車を停めずに走行させたまま授受する「通過授受」さながらの光景を、2022年現在でも見る事ができる。
かつては当駅から何本か、周辺工場への専用線も分岐していた。主に、当駅から北へ分岐して日本肥糧半田工場へと伸びる専用線と、当駅の南西の方(神戸川対岸)で更に南へ分岐して川崎製鉄知多製造所(現・JFEスチール知多製造所)へと伸びる専用線があった。日本肥糧専用線は元々武豊線の半田駅(新抜き駅、後述)側から分岐していたが、衣浦臨海鉄道誕生後は当駅分岐の線路へと転用され、線路の半田駅側は分断された。また、川崎製鉄専用線も東成岩駅から分岐していたものを転用したものだった。しかし、日本肥糧専用線が1985年、川崎製鉄専用線も1996年に廃止され、当駅へやって来る貨物は激減。こうして、当駅は廃止された。
※営業当時の当駅は、今昔マップ(敬称略)に収録の1976~1980年の地図でも確認できる。この地図には、前述の各専用線も描かれている。
※新抜き駅の半田駅は武豊線の駅で、ここから北の方にある(近くには名鉄河和線の知多半田駅もある)。武豊駅及び武豊線は1886年の開業と相当古く、明治時代に現・東海道本線を建設するための資材運搬線として愛知県でもいち早く開業したという歴史がある。※線路建設用資材を港から運搬する路線は、総武鉄道や塩釜線など他にも事例がある。
※衣浦湾を挟んで向かい側(碧南線のある側)には名鉄三河線も走っており、そこには碧南中央駅などもある。 ▼関連写真