新問駅(鉄道省・廃駅)
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新問(廃駅) | にいとい | | 南樺太(サハリン) |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1930年 | 1946年 |
▼この駅を走っていた路線
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| 鉄道省 | 樺太東線× | 普通鉄道 |
▼備考
この駅は、樺太鉄道の「南新問駅」として1930年に開業した(当時、南樺太は日本だった)。1941年に国有化され、1943年には鉄道省樺太東線の「新問駅」に改称。同時に、近くにあった同名の駅は廃止。
樺太東線には新栄浜駅や新場駅もあり、主要駅として豊原駅や大泊駅・大泊港駅などもあった。しかし、1945年にソ連国鉄化され、ここは「ノーヴォエ駅」になった(1945年8月、ソ連軍が南樺太に侵攻し、後にここは日本ではなくなる。当時の南樺太には日本式の地名が多くあったが、豊原はユジノサハリンスク、大泊はコルサコフなど、全てロシア式の地名に改称された)。ここは1946年には日本の駅として書類上は廃駅扱いとなったが、今でもロシア鉄道のノーヴォエ駅(Новое)として現役。
ちなみに、大泊港駅からは稚内駅への鉄道連絡船(稚泊連絡船)も出ていた(1945年に廃止)。稚内側には今も、その港と鉄道ホームの跡(北防波堤ドーム)が残る。 ▼関連写真