新宿追分駅(廃駅)
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新宿追分(廃駅) | しんじゅくおいわけ | | 東京都 |
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1955年 | 1968年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
位置は推測。都営トロリーバス102系統の停留所だった。ここは当初「四谷三光町」(よつやさんこうちょう)停留所を名乗っていたが、最終的にはこの停留所名に改称されたという。102系統は付近の道路(明治通り)を南北に走っていて、南隣が新宿四丁目停留所、北隣が新田裏停留所だった。
都市部のトロリーバスは登場当初、線路(軌道)を敷く必要が無い分建設費が安く済んだ為、次世代の交通として期待された。しかし、架線すら敷設不要なバスが大型化した事でバスとの競合に負け、経営が傾いた為短命なまま廃止されていった。昔のバスは小型だったため輸送力の面で上に立てたが、その優位性も無くなった。おまけに渋滞にも巻き込まれるという路面電車の短所もそのまま持っていた為、渋滞とは無縁の地下鉄の登場と共に、結局は路面電車と同時期に姿を消すものが多かった。戦後、道路整備が進むにつれ、道路のある場所ならどこへでも行けるバスは支持を集めていった。バスほど安上がりでなく、輸送力もバスで事足り、架線のある場所しか走れず、地下鉄ほど渋滞には強くないという中途半端さが仇になった。これは、都営トロリーバスも例外ではなかった。
102系統は、池袋駅前~当停留所~渋谷駅前周辺~中目黒~五反田駅前~品川駅前の区間を走っていた。しかし、まず1967年に南側の渋谷駅前~品川駅前間が廃止され、102系統は縮んだ。翌年には、102系統の残り・103・104系統までもが一斉に廃止され、同年中には最後まで残っていた101系統も廃止され、東京からトロリーバスは姿を消した。
※ここには、都電の四谷三光町電停もあり、都電とトロリーバスが共存していた。
※かつては京王の新宿追分駅も近くにあったが、これらは同時に存在していない。京王の新宿追分駅は1945年まであったが、当停留所はその後の1955年に開業している。
※都営トロリーバスには他に、田端新町一丁目停留所などもあった。 ▼関連写真