新がつく駅地図手帖

新関駅


最終更新: 2021/10/21

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
新関しんせき新潟県
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
1954年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
JR東日本磐越西線(森と水とロマンの鉄道)普通鉄道

▼備考 

磐越西線の駅。西隣には、東新津駅もある。付近の磐越西線の線路は1910年には既に開通していた(当初は信越線の支線、後に岩越線)ものの、ここには長らく駅は無かった。しかし、この付近は長距離にわたって単線で、列車交換(すれ違い)ができる駅が無かったため、列車交換できるように2番線まである駅として当駅が後から新設されたという。実際、東新津駅も含めた両隣駅は共に棒線駅で、すれ違いができない。 当駅が開業した1954年当時、周辺は中蒲原郡(なかかんばらぐん)の「新関村」という村だったため、それが駅名になった。岐阜県にはかつて、「関駅」に対する「新関駅」という同名の駅があったが、当駅名はあくまで村名が由来であって、関駅とは関係が無いため、新抜き駅は存在しないとした(後述するが、当駅名に付く「関」は「大関」の「関」であって、「関駅」の「関」ではない)。新関村は、明治時代に10以上もの多くの小さな村が合併して誕生したが、合併に加わった村のうち、下村(しもしんむら)、安部村(あべしんむら)、市村(いちしんむら)、郷屋村(しんごやむら)、大村(おおせきむら)から1文字ずつ取って「新関村」と命名されたため、合成地名だった。しかし、当駅開業からたった3年後の1957年には更に市町村合併があり、旧・新関村の範囲は新津市と五泉市に分断されてそれぞれに取り込まれた。この時、ちょうど当駅付近を両市の境界線が通るようになった。更に2005年には、新津市が新潟市に合併されて新潟市秋葉区(あきはく)の一部となったため、今は新潟市と五泉市の境界となっている。明治時代以前の各村名は今も字(あざ)という狭い範囲を表す地名として残っていて、当駅の今の住所は「新潟市秋葉区大関」となっている。 磐越西線は、新津駅と郡山駅を結ぶ路線。途中には、喜多方駅や会津若松駅もある(会津若松駅は、スイッチバック駅になっている)。このうち、東側の(喜多方~)会津若松~郡山間は交通の需要が多く、電化済みで本数も多い。しかし、喜多方以西(新潟県寄り、新津~当駅~五泉~津川~野沢~喜多方間)は山深い県境で、田舎のローカル鉄道の様相を見せる非電化区間。非電化区間含めた会津若松以西には、「森と水とロマンの鉄道」という愛称が付けられている。この西側区間は主に阿賀野川を辿りながら山を越え、県境を跨ぐ。 ※阿賀野川は、福島県に入ると「阿賀川」に名を変える。 ※磐越西線の電化区間のうち、西端の喜多方~会津若松間とそれ以外とを直通する電車は殆ど無く、郡山方面からやって来た電車の大半は、会津若松で止まる。磐越西線の電化/非電化の境目は喜多方駅だが、事実上は喜多方駅ではなく会津若松駅の方を境に運転系統がほぼ分断されている。むしろ、気動車が喜多方~会津若松間を直通して会津若松まで架線の下を走る事の方が多い。そのため、喜多方~会津若松間の電化設備はあまり活かされていない。そんな所に、某ウイルスでJR東日本もかなりコストカットが必要になってきたため、2022年3月から喜多方~会津若松間の電化設備(架線など)を撤去して非電化化する計画が突如発表された。一度電化された区間を非電化へと戻すという退化のような話で、これにより電車が会津若松駅を跨いで直通する事ができなくなるため、地元では反発意見も出た。架線撤去には時間がかかるが、走る車両の完全気動車化は実際に完了し、JR史上初の事例となった(私鉄では先例がある)。しかし、最近の気動車やハイブリッド車・蓄電池車の発展は目覚ましく、そういった新しい技術をうまく使えば直通は引き続き実現できる上、この区間の廃線はまずあり得ないため、そこまで悲観視する事態ではない。むしろこれでJR東日本の経営安定にプラスになると思われる。 ※上記に続き、同年9月には長崎本線の一部も非電化化された。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー