新がつく駅地図手帖

新雨竜駅(廃駅)


最終更新: 2023/07/02

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新雨竜(廃駅)しんうりゅう雨竜(廃駅)北海道
開業*開業年クリックで、
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1930年1971年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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留萠鉄道炭砿線×普通鉄道
留萠鉄道浅野雨竜炭鉱積出線×貨物
留萠鉄道炭砿線×貨物

▼備考 

かつてここにあった、留萠鉄道の駅。当駅は1930年に「浅野炭山駅」(あさのたんざんえき)として開業したが、後の1952年にこの駅名に改称。留萠鉄道は全線単線非電化だったが、当駅は交換可能駅だった。 留萠鉄道(るもいてつどう)は、周辺地域の炭鉱の為に開業した鉄道。周辺には留萠炭田という広大な炭田が広がっており、石炭が豊富だった為、1930年頃から幾つかの炭鉱が設置され、採掘が始まった。その中でも、留萠鉄道は昭和炭鉱・太刀別炭鉱・浅野雨竜炭鉱(浅野炭鉱、雨竜炭鉱とも)などを担当。留萠鉄道には、採掘された石炭を鉱山から積み出す為の山間部の「炭砿線」と、留萠港で船へ積み替える為の「海岸線」という複数の路線があったが、当駅はその炭砿線にあった。いずれも国鉄の留萠本線と線路が繋がっており、留萠本線と連携した。留萠鉄道は貨物営業が主だったが、特に炭砿線は、炭鉱に伴って沿線に形成された街の為に、数台の気動車で鉱員などの旅客も運んだ。留萠本線へと直通し、深川駅まで走るものもあった。 炭砿線のルートとしては、ここから南南西の方にあった留萠本線の恵比島駅から北へ分岐し、幌新太刀別川という川に沿って北上する路線だった。途中には当駅の他、幌新駅などもあった。北端の終着駅が昭和駅で、そこが昭和炭鉱を担当。昭和炭鉱は留萠炭田の中でも特に大きな炭鉱で、明治鉱業が操業していた。一方、当駅は浅野雨竜炭鉱を担当した。 浅野雨竜炭鉱はその名前から分かる通り、主に浅野財閥が操業を担当した。当駅の初期の駅名もこれに由来する。なんなら、今でも周辺一帯の地名は「北海道雨竜郡沼田町浅野」となっている。ただ、1952年以降の晩年の浅野雨竜炭鉱は別の会社の操業へと変わり、その年に当駅名も変わっている。しかし、時代が進んで1960年代になると日本全国で炭鉱が斜陽化していき、浅野雨竜炭鉱も1968年に閉山してしまった。1969年には残る昭和炭鉱・太刀別炭鉱も閉山し、主要な炭鉱を失った留萠鉄道はこの年(1969年)に運行休止へと追い込まれた。そしてそのまま復旧する事無く、1971年に廃線。 休止後は留萠鉄道を走っていた旅客用の気動車が茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道湊線)へ譲渡されるなどした(一部は更に平成筑豊鉄道へ再譲渡)。留萠鉄道の気動車の中には、湘南顔のものや、国鉄気動車の設計を参考にしたもの、また、雪深い周辺の気候に合わせて吹雪中でも視野を確保できるヘソライトと呼ばれるライトを装備した特殊なものもあった(ヘソライトは車両の顔の上ではなく真正面のど真ん中にドーンと付いていた)。 留萠鉄道の廃止後、幌新太刀別川に1991年に造られた沼田ダムによってダム湖のホロピリ湖が出来、当駅跡は水位によってはホロピリ湖に沈んでしまうようになった。ただ、今でも当駅北北東の線路脇にあった浅野雨竜炭鉱の選炭所・積込ホッパー施設の廃墟などが残っている(これは上図の航空写真でも確認できる)。1970年代の航空写真にはダムが出来る前の留萠鉄道廃止数年後の様子も写っており、線路跡を南北に追う事もできる。その写真で当駅周辺を見ると平らな土地が広がっており、幾らか道路跡も見て取れる。かつて周辺一帯にも街が出来ていた名残で、そこには沼田町立浅野小学校/中学校などもあった。 国土地理院のサイトにはまだ周囲に街があった頃の写真、村影弥太郎の集落紀行(敬称略)にはその街の当時の地図が載っている。それらを見ると、選炭所から東の採掘場へと直線的に構造物(エンドレス軌道というものらしい)が伸びている様子や、南南西の線路沿いに浅野小中学校があった様子なども分かる。 ※留萠鉄道跡の沿線には、当駅北北東の選炭所・積込ホッパー跡の他、旧・留萠鉄道の本社跡の建物昭和炭鉱の鉱員住宅の廃墟、昭和炭鉱の隧道マーケットの跡など、幾つかの廃墟が残っている(隧道マーケットは、隧道(=トンネル)内に店が並ぶという稀有な形式の商業施設だった)。 ※広大な留萠炭田には他にも「天塩炭砿鉄道」(てしおたんこうてつどう)という別の炭鉱鉄道があったが、それは山を挟んで北西の方を走っていた。 ※当時の「留萌」は俗字で「留」と書き、この表記は1997年まで続いた。また、上記でちらほら見られる「」(もしくは旧字体で「」)という漢字は、「鉱」と同じ意味で使われた。 ※新抜き駅の「雨竜駅」は、札沼線の先行廃止区間にあたる石狩沼田~新十津川駅間にあった駅。雨竜町にあった。雨竜駅の方が1931年開業と当駅より1年遅いが、当駅の改称の方が更に遅かった為当駅の方が「新」を付けたと思われる。

▼関連写真 

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