新がつく駅地図手帖

新芝浦駅


最終更新: 2023/07/08

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新芝浦しんしばうら芝浦(廃駅)神奈川県
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廃止
1932年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR東日本鶴見線(海芝浦支線)(JI)普通鉄道
JR貨物鶴見線(海芝浦支線)貨物
東芝東芝京浜事業所専用線貨物

▼備考 

1932年に、鶴見臨港鉄道の支線の終着駅として開業。ここの線路は元々芝浦製作所(後述)の工場専用線だったが、それを鶴見臨港鉄道が買収・旅客化した事で、開業した。1940年には、更に海芝浦駅(南隣)まで延伸された。しかし、戦時中の1943年になると両駅とも国有化され、国鉄鶴見線の駅となった。今は、JR鶴見線の駅となっている。 海芝浦駅は工場の敷地内にあるので、一般人は駅舎の外に出られないが、ホームには降りられる(海芝公園というちょっとした広場にも行ける)。当駅も工場に隣接するが、外には出られる。工場の貨物もここで扱われる。この2つの駅では、すぐ横が海なのと一般人がほぼいないのとで、不思議な雰囲気の風景が楽しめる。 鶴見線は主に、鶴見~国道~鶴見小野~弁天橋~浅野~安善~武蔵白石~(旅客駅の)浜川崎~(貨物駅の)浜川崎~昭和~扇町駅間を結ぶ本線と、そこからいくつも分岐する支線で構成されている。主な支線として、浅野~当駅~海芝浦方面の海芝浦支線と、(安善~)武蔵白石~大川方面の大川支線がある。但し、大川支線は当初、安善通駅(現・安善駅)分岐として建設された名残か、武蔵白石駅には旅客ホームが無いため、安善駅で乗り換える必要がある。また、昔は支線が更に多く、安善~浜安善方面の石油支線や、浅野~鶴見川口方面の鶴見川口支線、その他多くの貨物側線が分岐していた。石油支線という支線名は、支線の終端だった浜安善駅が当初「石油駅」を名乗ったため。 鶴見臨港鉄道(正確には旧字体で鶴見臨港鐵道)は、現在の鶴見線を建設した私鉄。浅野財閥を創設した浅野総一郎や、その他、大川平三郎や白石元治郎、岩原謙三など何人かの実業家によって、1924年に設立された。初代社長は浅野総一郎で、彼は鶴見臨港鉄道の創設者でもあった。設立当時、周辺の埋立地は出来立てほやほやで「これから工場地帯を造るぞ」というような状況だったため、その工場地帯へのアクセス線を建設する会社として誕生。2年後の1926年には実際に線路の建設が始まり、まず本線の一部である浜川崎(貨物駅)~弁天橋駅間と、大川支線が開通。同年のうちに、石油支線も開通した。但し、当初は貨物専用線だった。 沿線は新しい埋立地だったため当初は地名が無く、駅名は設立に関わった人名などから取られた。例えば、浅野駅は浅野総一郎から、安善通駅(現・安善駅)は安田財閥の次郎から。大川駅や武蔵白石駅も、上記の人名から来ている。 その後、1928年には本線東側の浜川崎~扇町間が開通、1929年には本線上に渡田駅が開業、1930年には本線西側の弁天橋~鶴見仮停車場駅間も開通し、トントン拍子に線路が伸びた。鶴見臨港鉄道は当初浜川崎駅を中心に貨物を扱っていたが、ものの数年で沿線の埋立工場地帯は激しく発展し、貨物が増えて浜川崎駅だけでは足りなくなったため、後に省線鶴見駅(現・JR鶴見駅)への延伸も目指した。しかし、いきなり鶴見駅まで線路を伸ばす事はできず、まずは鶴見駅の手前に鶴見仮停車場という仮駅を作った。この時電化も完了し、旅客営業も始まった。 更にこの年(1930年)、元々海岸電気軌道という別会社が運営していた近隣の路面電車を買収し、これを元からある鶴見臨港鉄道の「本線」と区別して、鶴見臨港鉄道の「軌道線」とした。本線と軌道線は、渡田駅で乗り換えできるようにした。1931年には武蔵白石駅も開業し、鶴見仮停車場もより鶴見駅に近づいた。 1932年には、芝浦製作所の工場専用線を買収してこれも鶴見臨港鉄道の支線とし、その終端として当駅が開業した。ここで言う「工場」が現在の当駅の脇にある工場の事で、今は東芝の京浜事業所と言う。当駅開業当時の「芝浦製作所」という社名が、当駅名の由来となった。当時既に東京に「芝浦駅」があったので、重複防止のため「新」が付いた。後に芝浦製作所と東京電気が合併して「浦電気」になり、その後の社名変更で今の社名(東芝)になった。また、当初は浅野~当駅間に末広停留場というのもあった。 1934年になると、念願の鶴見駅乗り入れが実現し、仮駅は役目を終えた。1935年には鶴見川口支線、1940年には新芝浦~海芝浦間の線路も開通し、遂に今の路線網が全て揃った。 しかし1943年、戦時買収によって鶴見臨港鉄道の路線網が全て国に買収(国有化)され、「鶴見線」となった。この時、安善通駅を安善駅に、石油駅を浜安善駅とする改称もあった。その後も鶴見臨港鉄道の会社自体は存続し、今も不動産業などを行っているが、路線はJRのまま返還されていない。また、2019年4月には鶴見臨港鉄道が別会社と合併し、「東亜リアルエステート」に社名変更している。 ちなみに、鶴見線の国道駅には、鶴見臨港鉄道時代(1930年)の駅舎がそのまま残り、戦前の昭和レトロを感じられる。鶴見線の鶴見〜国道間には本山駅跡もあり、全体的に古く年季の入った雰囲気の路線となっている。 また、弁天橋駅すぐ南西の運河には、DASH海岸がある。 ※JR東日本は、2016年8月から駅番号の導入を始め、当駅にはJI51の番号が付いた。

▼関連写真 

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新芝浦駅舎。簡易な小屋のような建物。 ※事情を知らず駅前の風景も撮ろうとしたが、この駅舎の真正面には東芝の工場の入口と警備員室があり、企業秘密などの保護のため、撮影はNGと言われた。そのため、振り返った写真を撮ることはできない。写真左上に屋根のようなものが写っているが、これは入口の門から突き出して伸びているもので、駅舎から門まで、雨でも傘を差さずに行けるようになっていた。【撮影日:2018/04/10】

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新芝浦駅舎の中。壁や窓の雰囲気が、レトロな木造駅舎を思わせる。ここも、簡易Suica改札機。朝晩の工場職員以外に利用者がほぼいないため、都会なのに秘境駅のよう。奥には駅員室のようなもの(ドア等)が見えるが、窓口だったと思われる場所はベニヤ板で塞がれているようだった。Wikipediaによると、1971年までは有人駅だった。また、昔はここにKIOSKもあったようで、もしかしたらその跡の可能性もある【撮影日:2018/04/10】

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反対向き、駅舎からホーム方向を見る。【撮影日:2018/04/10】

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新芝浦駅ホーム。相対式になっている。駅舎だけでなく、ホームの屋根も木造レトロな造りになっている。【撮影日:2018/04/10】

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工場側(内陸側)のホームから海側を撮ったもの。駅舎も工場側に建ち、この写真の右奥が駅舎。向かいのホームは、運河のすぐ近くにある。朝8時頃にやって来たため、朝日が運河に反射して、人が殆どいないのもあって幻想的になっていた【撮影日:2018/04/10】

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新芝浦駅に、鶴見線海芝浦支線の電車が到着したところ。この車両は、205系1100番台という。205系には色んな顔の亜種が沢山いるが、ここのは仙石線の205系と顔がほぼ同じで、色違いに思える。ところで、海側のこのホームの屋根は、木造ではなく鉄骨造りのようだ。カーブがおしゃれで、どちらにしろレトロな雰囲気がある。よく見ると、この鉄骨は廃レールを転用したもの。所々に平底レールの断面の雰囲気を感じさせる。【撮影日:2018/04/10】

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誰もいなかった駅に、一時的に膨大な量の客が押し寄せる。おそらく全員が付近の工場の職員で、その大半は東芝の職員かもしれない。当駅は造りが簡易で、跨線橋もないため、海側のホームから駅出入口まではこのように構内踏切を渡る。電車の中はすし詰め状態で、度を越した激しい満員電車だったが、当駅に着いてドアが開いた瞬間、ドアから一斉に客が溢れ出し、長蛇の列をなして一斉に駅を出て工場へ向かって行く。ただ、この列が全て駅を出きった頃には、また静寂が訪れた。静寂と混雑の落差が激しい。これは毎朝見られる光景だろうが、異様で新鮮に思えた。 列の入っていく右奥の建物が、駅舎。ここから見ると、三角屋根なことが分かる。【撮影日:2018/04/10】

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海芝浦側(南側)から撮った、当駅の全景。駅舎とホームの位置関係がよく見える。左側一帯は、撮影NGな工場群。【撮影日:2018/04/10】

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海側のホームの駅名標。駅番号「JI51」や、「」などが書いてある。浅野方(北側)には、ホームの屋根が無い。というか、海側のホームの屋根は小さく、短い。【撮影日:2018/04/10】 ところで、この海側のホーム上に建っている写真左奥の架線柱は、上部が茶色く錆びていて相当年季が入っている。この架線柱に付けられた銘鈑を見ると、なんと、鶴見臨港鉄道が国有化される3か月前の、1943年(昭和18年)4月に建てられたものだという。国道駅もそうだが、鶴見線には私鉄時代の年代物がしれっと紛れ込んでいるから凄い。

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一方、工場側の駅名標。【撮影日:2018/04/10】

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新芝浦駅舎に貼られていた時刻表(※2018年4月時点のもの)。工場通勤のある朝晩だけに重点を置いて、日中は殆ど列車が無い。工業地帯のために特化した路線ではよくあるパターン(例えば他に和田岬線、名鉄築港線など)【撮影日:2018/04/10】

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当駅から海芝浦方は1駅しか無いため、さっき海芝浦へ行った列車はわりとすぐ折り返して戻って来た。実は浅野~当駅までは複線だが、末端の当駅~海芝浦間では単線になっていて、鶴見方面(上り)の列車は当駅すぐ南のこの分岐器で工場(駅舎)側の線路へ転線する。正確には、一応この先も線路自体はしばらく複線分あるが、工場側の線路は工場内へ伸びる貨物専用の線路(東芝京浜事業所専用線)となっており、旅客列車は海側の1本しか使えないようになっている。【撮影日:2018/04/10】

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後続の列車で、海芝浦駅まで到着したところ。ここまで来ると完全に単線で、かつ行き止まり形式の駅になっている。【撮影日:2018/04/10】

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海芝浦駅の駅名標。この木の壁の向こうは、完全に海。右下の隙間から、水面が見える。【撮影日:2018/04/10】

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海芝浦駅の改札手前。当然、ここも簡易Suica改札機。右奥が駅の出入口なのだが、海芝浦駅自体が既に工場敷地内にあるため、駅を出ることはそのまま工場内に入ることを意味し、民間人は許されていない。そのため、民間人は海芝浦駅を出ることはできない。また、右奥の出入口の先を撮影することも当然できない。出入口の上に「TOSHIBA」とロゴが書いてあるあたり、本当に部外者NGなんだなと思わせる。 風景目的で折角訪れても殆ど立入禁止、撮影禁止な民間人のために、東芝側がご厚意で、海芝公園というちょっとした休憩所のようなスペースを用意してくれている。写真正面の黒い柵が、海芝公園の入口。この時は朝早すぎたため閉鎖されていたが、昼間や夕方にここに来れば、柵が開いているはず。開園時間は9:00~20:30だという。 ※この日は神奈川一周鉄道旅行をする関係でどうしても朝にしか来れなかった。【撮影日:2018/04/10】

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柵の隙間から覗いた、海芝公園のようす。植木に隠れてしまったが、左が海。見えづらいが、奥の方にはベンチも用意されている。海を眺められる方向にベンチがあり、夕暮れ時(いわゆるマジックアワー)にここに来ると、工場夜景やオレンジ色の空、ライトアップされた横浜ベイブリッジや鶴見つばさ橋(いずれも高速道路の橋)、それらを映し出す海などを見渡すことができ、とても幻想的になる。【撮影日:2018/04/10】

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海芝公園からの景色。左が鶴見つばさ橋、分かりにくいがやや右寄りの真ん中奥に前後方向に重なって見えるのがベイブリッジ。右奥の煙突は、横浜火力発電所のもの。【撮影日:2018/04/10】

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振り返って、海芝浦駅に停車中の電車。折り返し鶴見行きとなり、待機していた。新芝浦の時刻表を見れば分かるが、海芝浦行きが来たほんの数分後に折り返しの列車が来ているため、この駅に待機している時間はほんの数分、長くても10数分くらいしかないことが多いらしい。【撮影日:2018/04/10】

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海芝浦駅は、おそらく日本一海が近い駅。ホームと海の間はもはや何も無いに等しく、まるで駅が海に浮いているようにも錯覚する。この海は正確には「京浜運河」(けいひんうんが)と言い、かつて江戸(東京)~横浜間に広がっていた邪魔な干潟を掘り、沖合側からの高い波から船を守るケーソン製の長い防波堤を設置する事で、重要な横浜港と東京を船で行き来しやすくしたものだという。その建設及び京浜工業地帯の建設にも上記の浅野総一郎が関わっており、お陰で今の横浜や京浜工業地帯の発展がある。戦後には、その京浜運河の防波堤を取っ掛かりにして更に沖合へと新たな埋立地(扇島・東扇島など)が造られ、今はそこを首都高速湾岸線が通っている。ベイブリッジや鶴見つばさ橋は、共に湾岸線の橋。1947年頃の航空写真を見ると、まだ沖合側の埋立地が殆ど無く、京浜運河の細長い防波堤が伸びているのを確認できる。【撮影日:2018/04/10】

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海芝浦駅に停車中の車内から海を眺める。千と千尋を連想させる幻想感があった【撮影日:2018/04/10】

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朝の通勤ラッシュの時間帯だったため、海芝浦方面はぎゅうぎゅう詰めだったが、折り返しは逆にスッカラカンで、車内を撮影しやすかった。そこで、ドア上の鶴見線案内などを撮った。ここに載っている安善~大川間(大川支線)は、海芝浦支線を遥かに超える本数の少なさで、一日に3往復程度しか列車が行かない。そのため、都会なのに到達が致命的に難しい。【撮影日:2018/04/10】

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鶴見線の車両のドアに貼ってあった「ドアに注意」のイラストがショタかわいい。南武支線のドアにも同じイラストが貼ってあった。すごい好き。誰が描いたか知ってる人挙手…ネットに情報皆無。【撮影日:2018/04/10】

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