▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新芝浦 | しんしばうら | 芝浦(廃駅) | 神奈川県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1932年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
JR東日本 | ■鶴見線(海芝浦支線)(JI) | 普通鉄道 | |
JR貨物 | 鶴見線(海芝浦支線) | 貨物 | |
東芝 | 東芝京浜事業所専用線 | 貨物 |
▼備考
▼関連写真
新芝浦駅舎の中。壁や窓の雰囲気が、レトロな木造駅舎を思わせる。ここも、簡易Suica改札機。朝晩の工場職員以外に利用者がほぼいないため、都会なのに秘境駅のよう。奥には駅員室のようなもの(ドア等)が見えるが、窓口だったと思われる場所はベニヤ板で塞がれているようだった。Wikipediaによると、1971年までは有人駅だった。また、昔はここにKIOSKもあったようで、もしかしたらその跡の可能性もある【撮影日:2018/04/10】
誰もいなかった駅に、一時的に膨大な量の客が押し寄せる。おそらく全員が付近の工場の職員で、その大半は東芝の職員かもしれない。当駅は造りが簡易で、跨線橋もないため、海側のホームから駅出入口まではこのように構内踏切を渡る。電車の中はすし詰め状態で、度を越した激しい満員電車だったが、当駅に着いてドアが開いた瞬間、ドアから一斉に客が溢れ出し、長蛇の列をなして一斉に駅を出て工場へ向かって行く。ただ、この列が全て駅を出きった頃には、また静寂が訪れた。静寂と混雑の落差が激しい。これは毎朝見られる光景だろうが、異様で新鮮に思えた。 列の入っていく右奥の建物が、駅舎。ここから見ると、三角屋根なことが分かる。【撮影日:2018/04/10】
海芝浦側(南側)から撮った、当駅の全景。駅舎とホームの位置関係がよく見える。左側一帯は、撮影NGな工場群。【撮影日:2018/04/10】
海側のホームの駅名標。駅番号「JI51」や、「浜」などが書いてある。浅野方(北側)には、ホームの屋根が無い。というか、海側のホームの屋根は小さく、短い。【撮影日:2018/04/10】 ところで、この海側のホーム上に建っている写真左奥の架線柱は、上部が茶色く錆びていて相当年季が入っている。この架線柱に付けられた銘鈑を見ると、なんと、鶴見臨港鉄道が国有化される3か月前の、1943年(昭和18年)4月に建てられたものだという。国道駅もそうだが、鶴見線には私鉄時代の年代物がしれっと紛れ込んでいるから凄い。
新芝浦駅舎に貼られていた時刻表(※2018年4月時点のもの)。工場通勤のある朝晩だけに重点を置いて、日中は殆ど列車が無い。工業地帯のために特化した路線ではよくあるパターン(例えば他に和田岬線、名鉄築港線など)【撮影日:2018/04/10】
海芝浦駅の改札手前。当然、ここも簡易Suica改札機。右奥が駅の出入口なのだが、海芝浦駅自体が既に工場敷地内にあるため、駅を出ることはそのまま工場内に入ることを意味し、民間人は許されていない。そのため、民間人は海芝浦駅を出ることはできない。また、右奥の出入口の先を撮影することも当然できない。出入口の上に「TOSHIBA」とロゴが書いてあるあたり、本当に部外者NGなんだなと思わせる。 風景目的で折角訪れても殆ど立入禁止、撮影禁止な民間人のために、東芝側がご厚意で、海芝公園というちょっとした休憩所のようなスペースを用意してくれている。写真正面の黒い柵が、海芝公園の入口。この時は朝早すぎたため閉鎖されていたが、昼間や夕方にここに来れば、柵が開いているはず。開園時間は9:00~20:30だという。 ※この日は神奈川一周鉄道旅行をする関係でどうしても朝にしか来れなかった。【撮影日:2018/04/10】
振り返って、海芝浦駅に停車中の電車。折り返し鶴見行きとなり、待機していた。新芝浦の時刻表を見れば分かるが、海芝浦行きが来たほんの数分後に折り返しの列車が来ているため、この駅に待機している時間はほんの数分、長くても10数分くらいしかないことが多いらしい。【撮影日:2018/04/10】
海芝浦駅は、おそらく日本一海が近い駅。ホームと海の間はもはや何も無いに等しく、まるで駅が海に浮いているようにも錯覚する。この海は正確には「京浜運河」(けいひんうんが)と言い、かつて江戸(東京)~横浜間に広がっていた邪魔な干潟を掘り、沖合側からの高い波から船を守るケーソン製の長い防波堤を設置する事で、重要な横浜港と東京を船で行き来しやすくしたものだという。その建設及び京浜工業地帯の建設にも上記の浅野総一郎が関わっており、お陰で今の横浜や京浜工業地帯の発展がある。戦後には、その京浜運河の防波堤を取っ掛かりにして更に沖合へと新たな埋立地(扇島・東扇島など)が造られ、今はそこを首都高速湾岸線が通っている。ベイブリッジや鶴見つばさ橋は、共に湾岸線の橋。1947年頃の航空写真を見ると、まだ沖合側の埋立地が殆ど無く、京浜運河の細長い防波堤が伸びているのを確認できる。【撮影日:2018/04/10】