新がつく駅地図手帖

新十津川駅(廃駅)


最終更新: 2022/08/26

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
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新十津川(廃駅)しんとつかわ北海道
開業*開業年クリックで、
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1931年2020年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR北海道札沼線(学園都市線)×普通鉄道

▼備考 

2020年までは、札沼線の北東端の終着駅だった駅。 札沼線(さっしょうせん)には、「学園都市線」の愛称がある。同じ路線には、新川駅新琴似駅もある。しかし、その2駅辺りは札幌近郊扱いで電化済みだが、北海道医療大学駅~当駅間は非電化で、列車の本数も少ない。この駅に至っては、2016年のダイヤ改正後、なんと1日に1本しか来なくなった(始発が最終で、しかも9時台)。 「新十津川」は町名でもある。昔、奈良県の十津川村の人々がここに入植して来たのが町名の由来だという。1972年までは、札沼線がここから石狩沼田駅まで続いていた(幌と石狩田を結ぶ路線だった)ので途中駅だったが、そこまでの区間が廃線し、今は終着駅。 ※石狩沼田駅は、留萌本線の駅。 ※札沼線の非電化区間は輸送密度がJR北海道内最低(2015年現在)で、2020年5月の廃線が決定してしまった。その時は当駅も廃止され、札沼線の長さは半分以下に縮む。また、電化区間にはラインカラーと路線記号が指定されているが、ここには無い。 当駅含むこの末端非電化区間は廃止が決まっているだけあって、新しい設備が導入されずに古いシステムが使われ続けている。例えば、閉塞(列車の衝突を防ぐための信号システムの一種)は電気設備などで自動化されたものが普通だが、ここでは昔のアナログな方式である「スタフ閉塞」が採用されていて、時代が止まっている(他にJRでこの方式なのは越美北線・名松線(めいしょうせん)だけらしい)。列車交換(すれ違い)時、スタフという輪っかみたいな器具を手で受け渡しする光景が見られる。 ※似たものにタブレット閉塞があるが、スタフ閉塞は主に線路の末端区間など対向車の存在しない場所で区間内唯一の列車が往復する場合に使われるのに対し、タブレット閉塞は対向車の存在する区間でうまく機能するように出来ている。ただ、「指定された区間内に入れるのは、その器具を持っている列車のみ」という点は共通している。いずれも昔のアナログな方式で、現在は多くが電子化された電気信号システムに取って代わられている。 追記: 例のウイルスの流行により、急遽、2020年5月6日の予定だった最終運行日を4月17日へと前倒しし、廃止予定日の5月7日までずっと運行を休止する事が発表された。事実上、廃止自体が前倒しされたようなもの。これまでのように予め最終運行日が分かっていると、廃線を惜しんで最終列車に乗りに来る客が一斉に増えるため、それによる集団感染を防ぐためでもあった。耳の早い旅行者が告知後すぐに北海道へ向かっても最終運行に間に合わないようにするためか、告知は最終運行の直前に行われた。その後、5月7日に実際に廃線となり、これまでとは違う異質な廃止となった。

▼関連写真 

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新十津川駅舎。トタン屋根の小さな駅舎で、(多分ストーブ用の)煙突がある。ただ、今はストーブは点けないという。2020年5月に無くなると知って惜しく思い、人生初の北海道旅行に出た。3月の終わりでも、雪掻きで雪が高く積まれている。駅舎入口には、「新十津川町観光案内所」と書かれた看板が立っている。【撮影日:2019/03/22】

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駅前の様子。駅前には、寺子屋という飲食店?(カフェ?休み処)があった。駅前通りがまっすぐ伸びる。右手には、空知中央病院というやや大きな病院が建っている。ここは新十津川町の玄関口で、近くには町役場もある。この先に大きな川(石狩川)があって、川の向こうは滝川という別の街。付近の鉄道は、滝川を通る函館本線がメインのため、この駅は殆ど使われず、バスで滝川駅まで向かう人が殆ど。そのため、駅前でも静か。 1日1本の列車でここへやって来た観光客も、ここで降りると同じ駅から帰れないため、乗って来た列車の折り返しで戻っていくのが殆どだった。自分はこの町を放浪してから滝川まで行くつもりだったが、時間が押してたのでやむなく一緒に折り返すことにした。【撮影日:2019/03/22】

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新十津川駅舎の中。左が駅前、右がホーム方向。駅員室だった場所では、グッズ販売などが行われていた。これが、新十津川町観光案内所のよう。数々の掲示たちが、この場を元気づけている。顔をはめるインスタ枠もある。1日1本しか列車が来なくなった今、もはや一般の通勤通学客の利用は殆ど無く、その代わりにその1本の列車が来る20分程の間だけ、観光客でどっと賑わう。そのため、この窓口に並ぶのは切符の購入客ではなく、グッズ目的の客だった。本来とは違う使われ方をする窓口に不思議を覚えた。【撮影日:2019/03/22】 追記:この観光案内所は5月の当駅廃止後も暫く営業していたが、当駅の開業記念日にちなんだ2020年10月10日に、遂に営業終了してしまった。

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ホームへの扉の上の、時刻表や運賃表。「1日1本」と言葉で何度聞くよりも、これを目で見た方が何倍もインパクトがある。10:00、石狩当別行のみ。※上記で9時台と書いたが、1日1本になって以降、その珍しさから逆に当駅の利用者が増えたため、2018年のダイヤ改正で、折り返し発車までの時間を20分遅らせて当駅を散策する時間を充分確保できるように変更されたという。【撮影日:2019/03/22】 石狩当別は札沼線の主要な途中駅。唯一のこの列車に乗っても、札幌まで行けない。昔は直通があっただろうけど、今は乗換が必須。ここまでスッカラカンな時刻表は、(路線バスでは見たことあるが)鉄道では初めて見た。 運賃表も見ると、札幌まで1600円以上かかる。それもそのはず、ここは札幌からかなり遠く、どちらかと言うと旭川の方が距離的には近いくらいの場所。 ※石狩当別駅は、当別町の要望を受けて2022年3月12日に「当別駅」に改称された(PDF)。同時に、石狩太美駅も「太美駅」に改称され、更に太美駅の西隣に「ロイズタウン駅」も誕生。当駅廃止後も、札沼線は構わず変わっていく。

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駅入口の扉の上には、当駅を描いた絵が飾られている【撮影日:2019/03/22】

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駅舎内に、当駅を特集した地元新聞の記事が貼ってあった。プレス空知、ご当地新聞の響きが、遠くへ来たと感じさせる。【撮影日:2019/03/22】

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「国有鉄道線路図」なるものが、駅舎の壁に貼られていた。年代物と思われる。かつて北海道中に張り巡らされた国鉄路線網も、しっかり載っている。札沼線も、石狩沼田まで繋がっている。北海道はかつて炭鉱に支えられた都市や鉄道があまりに多く、戦後の閉山ラッシュや過疎化などの影響をもろに受けてしまったためか、日本の中でも特に廃線が多い地域となってしまった。広尾線天北線、美幸線、興浜北線、興浜南線名寄本線、池北線、湧網線深名線羽幌線標津線士幌線胆振線江差線松前線瀬棚線白糠線、岩内線、手宮線、幌内線、万字線、歌志内線、富内線、根北線、相生線…国鉄路線に限っても、きりが無いほど沢山の廃線がある。今は無き路線が多すぎる。【撮影日:2019/03/22】

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新十津川駅の駅ノート。駅ノートというものに初めて触れた。イラスト版駅ノートもあるらしい。自分も書いたが字が汚すぎるので見せない【撮影日:2019/03/22】

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観光案内所で買ったグッズ。【撮影日:2019/03/22】 真ん中は、到達が難しい当駅に来た証として、希望すれば記念に貰える終着駅到達証明書。通し番号が付いてるのが、実感を湧かせる。自分のはNo. 018486で、18486人目ということらしい。 右は、「わがまちご当地入場券」という記念の券。ただ、この入場券は2019年9月に販売が終了したという。左のホーロー駅名板は、磁石。帰った後部屋に貼った。ホーロー駅名板は、国鉄時代を感じさせるレトロな雰囲気があり、惹かれる。ググるとホーロー駅名板シミュレータというのが見つかる。それくらい、ファンが多いのだろう。※本物はこれ

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新十津川駅の記念スタンプ。【撮影日:2019/03/22】

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駅舎から、ホームに停まる列車(キハ40系)を眺める【撮影日:2019/03/22】

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ホーム側から駅舎の入口を見る。扉の上には大きく「ようこそ新十津川へ」とある。その右のマークは、新十津川町の町章。左には、当駅のホーロー駅名板がある。駅舎内は混雑している【撮影日:2019/03/22】

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ホームから新十津川駅舎を眺める。北側から。【撮影日:2019/03/22】

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南側から。手前のはトイレだろうか。今は小さな駅舎だが、Wikipediaによると、昔の駅舎はこちら側にもっと長かったという。1986年に無人駅化されてから、不要になった部分が取り壊され、駅舎は半分のサイズになったという【撮影日:2019/03/22】

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新十津川駅のホームと、そこに停まる列車(キハ40)。北を向く。まだここが途中駅だった頃は、写真左の林になってるところにも線路があったらしい。1面1線の棒線駅の今からだと、想像しがたい。【撮影日:2019/03/22】

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同じ列車を反対側から(南を向く)。地味に、この写真を撮りに立った場所が、人生最北の地となった。今の所、ここより緯度の高い場所に行ったことがない【撮影日:2019/03/22】

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人生最北の地(ホームの北の端っこ)から、更に北を眺める。昔は、ここから更に北へ線路が伸び、石狩沼田駅まで続いていた。今は、後の周辺の区画整理の影響で、線路の延長線上に建物が建ちはだかる。【撮影日:2019/03/22】

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一方、ホームの南の端っこから札幌方面を眺める。非電化で架線が無い分、視界が開けている【撮影日:2019/03/22】

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当駅に到着する前の、キハ40の車内。札沼線非電化区間はワンマン運転で、バスのような整理券システム。車内アナウンスも自動音声で、地方路線ではおなじみの光景。【撮影日:2019/03/22】

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札沼線非電化区間沿線の車窓。遠くに雪山が見え、手前には真っ白で広大な農地が広がる。自転車で飛ばしたら気持ちよさそう。この車両が走ってる様子を外から眺めたらどんな感じか、この線路が無くなると寂しい、など、道民の生活に思いを馳せる【撮影日:2019/03/22】

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非電化区間内の主要駅、石狩月形駅では、単線路線で列車がすれ違うための列車交換が行われ、本数の少ないこの区間で上下線が並ぶ、珍しい光景が見られる。しかし、この駅も2020年の廃止区間に含まれるので、いつかは駅もろとも無くなってしまう。せめて月形までは残そうという声もあるが、JR北海道の経営を考えると厳しいと言われる。それでもせめて、駅舎やホームなど何か記念に残せたらと思う【撮影日:2019/03/22】

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新十津川方面からやって来た上り列車の運転席から、手に丸い輪っかを持った人が現れ、それを対向車の運転席へ持ち込む姿が見られた。この輪っかがスタフ。これが見られるのは、上記の通り、日本で数ヶ所しか無い【撮影日:2019/03/22】

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石狩月形駅の設備もかなり年季が入っていた。「石狩当別 札幌 方面」「浦臼 新十津川 方面」と書かれたホーム案内板も、その後ろの柱も木製で、歴史を感じる。その左奥には、ラッセル車も見えた。 元々は現・函館本線しかなかった所に、地元悲願の開通で手に入れたのがこの札沼線だったはずだが、それも色褪せ忘れられ、時代が進み、取り残された雰囲気に物悲しさを感じる【撮影日:2019/03/22】

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石狩月形駅で列車の発車を待ってる時に、駅前にバスが来た。今後はバス主流になるんだろう…【撮影日:2019/03/22】

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新十津川から戻り、札幌へ向かう途中、非電化・電化区間の境目の駅に着いた所(北海道医療大学駅)。将来は、ここが終着駅になってしまう。ここで、電車に乗り換えた。左手前が、さっきまで乗っていた気動車のキハ40系。右奥で乗り換え客を待っているのが、電車の721系。この後それに乗り、新琴似駅を目指した。【撮影日:2019/03/22】

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いつか廃止されると分かってて、でもまだ前を見つめているキハ40の横顔に哀愁を感じた。乗り換えで別れるのが寂しくなり撮影【撮影日:2019/03/22】

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