新川一丁目駅(廃駅)
最終更新: 2021/05/31
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新川一丁目(廃駅) | しんかわいっちょうめ | | 東京都 |
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1904年 | 1972年 |
▼この駅を走っていた路線
▼備考
位置は推測。当電停は当初「霊岸橋」(れいがんばし)電停を名乗り、後に「新川二丁目」(しんかわにちょうめ)電停となったが、最終的にはこの電停名となった。都電は付近では永代通りに沿って走り、当電停には主に28・38系統が停車した。西隣が茅場町電停だった。「霊岸橋」は茅場町~当電停間に架かる橋の名前で、今もすぐ西北西に架かっている(但し、今の霊岸橋は1985年に架け替えられたもので、都電の走った当時のものではない)。
高田馬場駅前からやって来る15系統は茅場町止まりで、普通はここまで来なかったが、一部列車は当電停・永代通りを通って東へ抜け、洲崎まで行っていた。28系統は、都庁前から丸ノ内一丁目~日本橋~当電停~門前仲町~洲崎~東陽公園前(現・東陽町駅前交差点)を通り、北へ曲がると四ツ目通りを真っ直ぐ北上し、錦糸町駅前まで伸びていた。
38系統は、日本橋を出発すると東陽公園前までは28系統と同じ経路だが、その後四ツ目通りへ曲がらずそのまま東へ進み、都電砂町線という線路へ入って行った。砂町線は元々城東電気軌道(城東電軌)という私鉄が「洲崎線」として建設した線路で、そのルーツから「城東電車」とも呼ばれ、専用軌道区間が多かった。
まず南砂二丁目~第四砂町小学校~南砂三丁目間が専用軌道で、南砂三丁目付近では越中島貨物線(越中島支線)をくぐった。城東電車を跨いだ越中島貨物線の橋には今でも「城東電軌こ線ガード」(おそらく「こ」は「跨」)と書かれた銘板が貼られ、都電の名残を留めている。
当初その周辺には汽車製造(日本の鉄道黎明期から新幹線0系まで、多くの鉄道車両を造ってきた会社)の巨大な工場もあり、造られた車両は越中島貨物線経由で搬出されていた。しかし、ちょうど都電末期頃(1972年)に汽車製造と川崎重工が合併すると、その工場は閉鎖され、跡地に巨大な団地が建てられた。そして今、団地のすぐ脇を通る都電の専用軌道跡は、南砂緑道公園になっている。
その区間を通り過ぎて明治通りに出ると、路面(併用軌道)を北上し、西大島手前で北東へ逸れ、再び専用軌道へ入った。この専用軌道区間は現・ダイエー大島店(2021年現在は建て替え中)の横で向きを変えて再び北上し、竪川(たてかわ)を渡った。これらの廃線跡は今、大島緑道公園や亀戸緑道公園になっている。竪川を渡る橋は都電の専用橋で、自動車は渡れなかった。この橋は砂町線の廃止後も竪川人道橋として残っていたが、2011年に新しい遊歩道の橋に架け替えられてしまった。竪川は現在、錦糸町以東が埋められているため、竪川人道橋のあった場所にはもう水面は無い。また、竪川の真上には、首都高速7号小松川線の高架が通っている。
砂町線の線路はその専用橋から更に北上し、水神森(現・水神森交差点)まで伸びた。38系統は水神森で西へ曲がり、亀戸・錦糸町駅前まで走った。
※臨時29系統は日曜以外の朝夕のみの運転で、ここからうんと東の葛西橋まで伸びていた。臨時じゃない方の29系統も砂町線を経由して葛西橋まで伸びたが、臨時じゃない方は錦糸町・亀戸駅前を経由する北回りのルートだったのに対し、臨時の方は当電停を経由する南回りのルートだった。
※都電には他に、新橋電停(廃電停)などもあった。 ▼関連写真