新がつく駅地図手帖

新小岩信号場駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新小岩信号場しんこいわしんごうじょう東京都
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廃止
1968年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR貨物総武本線(総武快速線)貨物
JR貨物総武本線貨物支線(新金貨物線)貨物
JR貨物総武本線貨物支線(越中島支線)貨物

▼備考 

総武本線の貨物駅。元々新小岩駅でやっていた貨物業務を別駅として切り離し、1968年に「新小岩操駅」(しんこいわそうえき)として開業した。その後一時的に「新小岩操車場」と名前を変えたりもしたがすぐ名を戻し、長らく千葉方面への貨物物流を支えた。しかし、ここでの貨物業務は、1980年代~2000年にかけて別駅(川崎貨物駅新港信号場等)へ移転するなどして縮小。2011年には「新小岩信号場駅」に改称され、今に至る。 越中島支線(越中島貨物線)は貨物専用で、都心にありながら非電化という珍しい路線。この線路はここから亀戸駅近くまで暫く総武本線と並ぶが、亀戸付近で総武本線を高架でオーバーパスした後南下し、北砂・南砂付近を通り、越中島貨物駅(潮見駅のすぐ北)まで伸びる。 越中島貨物駅にはレールセンターがあり、越中島支線は主に鉄道用のレールを運ぶのに使われる。レールをクレーンなどで積み下ろしする際に架線があると安全上不都合なため、敢えて非電化にしていると思われる。越中島貨物駅のクレーンは、その形からイグアナクレーンなどと呼ばれる。越中島貨物駅の北側には、幾つかの住宅やJRバス等の施設を挟んだ向かいに、東京メトロ東西線の深川車両基地もある(昔は越中島貨物駅の敷地はもっと広く、深川車両基地と隣接していた)。 越中島支線は途中で小名木川(おなぎがわ)を渡るが、2000年まではそこに小名木川駅という貨物駅もあった。その駅で小名木川の水運と越中島支線が連携し、貨物を運んでいたが、今は廃止され、小名木川駅跡地にはアリオ北砂が建っている。また、南砂付近にはかつて汽車製造の巨大な工場があり、そこで造られた鉄道車両が越中島支線・小名木川駅経由で搬出されていた。その上、越中島貨物駅の更に先へ伸びていた東京都港湾局専用線の貨物も扱っていたため、昔の越中島支線は貨物の需要が多かった。 新金貨物線(しんきん/しんかねかもつせん)も貨物専用で、ここから北上し、金町駅まで伸びる。新金線とも呼ばれる。この辺りには一般人が南北移動できる鉄道が無いため、新金線を旅客化してほしいとの声もある。過去にイベント旅客列車が新金貨物線を通過した事はあったが、正式な旅客化はまだ実現していない。葛飾区は旅客化計画に熱心で、LRT車両の導入や途中駅新設などの方向で事業化の話も進む。途中で高砂付近を通るため、京成金町線の京成高砂駅と乗り換えできるようにもする。但し、旅客化すると、新金線と国道6号が交差する新宿新道(にいじゅくしんどう)踏切が渋滞を悪化させるとの指摘もある。 ※付近の南北移動を便利にする為に、メトロセブンの計画もある。この周辺では、環七通りと総武本線がクロスする辺り(ここからすぐ北東)に、「東新小岩駅」(仮称)が計画されている。 また、越中島支線にも旅客路線の構想がある。越中島支線沿線も南北移動手段が貧弱なため、この構想がある。亀戸から越中島支線で南下した後、新砂一丁目交差点近くで越中島支線を離れ、そのまま明治通りに沿って南下を続け、新木場駅前まで線路を伸ばす。そこにLRTを走らせ、亀戸駅と新木場駅を繋げる。既に東京都が新砂一丁目交差点付近~新木場駅手前の線路用地を確保していて、明治通りの西隣には細長い空き地が続く。そのため、線路自体は簡単に敷く事ができるが、開業後の採算性に問題ありとして、なかなか実現していない。この空き地は元々、過去の貨物線計画の一部、南砂町線の名残だという。 ※結ぶ駅は豊洲~住吉間と若干違うが、豊住線も越中島支線とおおむね同じ地域の南北移動を補完する。

▼関連写真 

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新小岩信号場駅に停められていた、長い貨車。手前には、レールが沢山並ぶ。奥には、運動場が見える。付近は新しいマンションも多い。※撮影は、総武快速線から【撮影日:2016/08/23】 「新小岩操駅」時代の当駅はもっと巨大で、敷地内には機関区や貨物ホームもあったという。しかし、それらは1980年代~2000年にかけて徐々に廃止されていき、その跡地に再開発でこの運動場やマンションなどが建った。1970年代の航空写真には、まだ巨大だった頃の新小岩操駅が写っている。当時は駅舎ももっと南西の方にあった。その写真を見ると、縮小後の当駅を跨ぐ陸橋(小松橋)は当駅が巨大だった頃から架かっている事も確認でき、今の橋が余分に長くなっているのはその名残だと分かる。また、新金貨物線経由で当時の新小岩操駅へと入線する貨物列車の前面展望を写した貴重な動画もある。

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新小岩信号場駅舎。旅客駅ではないので、普通の駅のようなホームは無い。駅員のものと思われる自転車が、いくつも停まっていた。左奥の「2-10-6」と書かれたマンションは、まだ当駅の敷地が広かった頃から建っているようで、当時はあのマンションが線路に面していたようだ(現駅舎の場所には線路が並んでいた)。【撮影日:2016/08/24】 ※撮影は、横須賀・総武線下り(千葉方面)が、当駅構内へ入る貨物用の総武快速上り線の上を跨ぐ立体交差の高架から。横須賀・総武快速線は、付近では千葉方面のみ高架を走るので、このように駅舎を見下ろす感じになる。

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