新がつく駅地図手帖

新大橋駅(廃駅)


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新大橋(廃駅)しんおおはし東京都
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1912年1971年

▼この駅を走っていた路線 

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東京都交通局都電新大橋線(36系統)×路面電車
東京都交通局[直通]都電新大橋線(9系統)×路面電車

▼備考 

主に、都電の36系統が停車した電停。当初ここは「安宅町」(あたけちょう)電停として開業したが、後にこの名前へと改称された。改称以前は、新大橋を挟んで西隣の浜町二丁目電停の方が、同名の「新大橋」電停を名乗っていたという。当初の電停名の由来は、深川安宅町という付近の古い地名が由来と思われる。 36系統は、築地から新富町浜町二丁目~ここ~森下町(すぐ東、今は地下鉄森下駅がある)を経由して錦糸町駅前まで伸びていた。また、9系統は渋谷駅前から築地・新富町茅場町経由で浜町中ノ橋止まりだったが、その一部電車はここ~森下町まで延長運転された。しかし、1967年の9系統のルート変更以降は、9系統はここに来なくなった。その後、都電のこの辺りの区間は1971年に廃止。 すぐ西の隅田川に架かるのが新大橋という橋だが、今の橋は都電廃止後の1977年に出来たもの。都電の走った当時は、明治からある古い鉄橋だった。「新大橋」の名は、同じく隅田川に架かる大橋(=両国橋、後述)に対して新しい橋という意味で、最初に架けられた江戸時代当時は木橋だった。関東大震災で隅田川の多くの橋が落ちる中、新大橋だけは落橋せずに耐えた為、川を渡って大火から逃げる多くの人々の命を救ったという。架け替えられる前のこの新大橋は、今も一部が博物館明治村に保存されている。 ※汽車・電車 1971~路面電車がみつめた50年前のTOKYOには、当時の新大橋を渡る都電の貴重な写真が載っている(敬称略)。 ※「大橋駅」という駅は福岡県にあるが、この電停とは直接関係が無く、しかも「新大橋」はあくまで橋の名前なので、新抜き駅は無い。 ※「大橋」は江戸幕府が付けた正式名だった一方、「両国橋」は通称だったという。両国橋は隅田川を渡るが、この通称はどうやら、太古の隅田川が下総と武蔵(むさしのくに)を隔てていた事から生まれたらしい。そこから「両国」という地名も生まれた。しかし、この通称から、「この両国橋自体がこれらの国を跨いでおり、現在の隅田川が国境だった」との誤解を生んだ。実は両国橋や現在の隅田川が実際に国境だった時代は無く、実際の国境はもっと東の方(現・横十間川付近)にあった。つまり、初めから橋の両岸共に武蔵国だった為、両国橋自体が国境を跨いでいたわけではない。「スカイツリーの高さは武蔵にかけて634mとは言うけど、実際には隅田川が国境だったんだからその場所は武蔵ではなく下総でしょ」というのも実は誤解で、スカイツリーはちゃんと初めから武蔵国だった場所に建っている。誤解の原因として、3本あった隅田川の流路の統一、両国橋は国境ではなかったもののかつて江戸の市街地の境ではあった事、更に「同じ江戸時代の利根川東遷時に国境がより東へ移された」という情報との混同、などが考えられる。まず、江戸以前の隅田川は下流で3本に分かれ、その最東端が上記の実際の国境だった。これらは西から、現・隅田川、現・大横川付近、現・横十間川付近(=国境)、と流れた。しかし、1595年頃に建設された牛島堤(墨堤とも)という堤防によって東側2本の分流が遮断・埋め立てされ、流れが西側1本に統一された。この統一後の流路が現在の隅田川で、これが江戸時代には大川・両国川・浅草川・宮戸川などとも呼ばれた。国境は流路統一後も引き続き東端の流路跡とされ、統一後の流路(現・隅田川)は国境になった事が無い。この統一後の流路に、両国橋が架けられた。つまり、「隅田川が国境だった」というのはある意味正しいが、国境だった東側の流路は無くなり、西側の流路だけが現存している事が忘れられ、誤解が生まれた。そして、両国橋の架かる前の江戸時代初期には、現・隅田川の西岸のみが江戸の市街地で、東岸は同じ武蔵国だったものの未開発の湿地帯だったが、西岸の旧来市街地が明暦の大火に遭ったのがきっかけで、東岸も新たに市街地として開拓する事になり、その為に両国橋が架けられた。東岸の新たな市街地は本所(ほんじょ)や深川となり、後から江戸の市街地へ仲間入りした。一方、利根川東遷による国境の変更は、「現・横十間川付近にあった国境を、現・江戸川へと移した」という出来事。つまり、江戸市街地の東端が東へずれた事と、国境が東へずれた事はそれぞれ別々に起こった出来事で、これらも無関係。 ※武蔵国の範囲は、おおむね現在の埼玉県・東京都・神奈川県北東部(横浜・川崎など)にまたがっていたが、上記の通り、現在の県境とは完全には一致しない。

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