新がつく駅地図手帖

二俣新町駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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二俣新町ふたまたしんまち千葉県
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廃止
1988年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR東日本京葉線(JE)普通鉄道

▼備考 

駅番号JE10の、京葉線の駅。京葉線は、東京駅と蘇我駅を結ぶ路線(東と千を結ぶ)。元は貨物線として1975年に開業したが、1986年以降、旅客化されていった。京葉線の多くの駅には武蔵野線直通列車がやって来るが、当駅に武蔵野線は来ない。純粋な京葉線の、しかも各駅停車だけが停まる。これは付近のデルタ線による。 このデルタ線は、当駅含む京葉線本線と、西側(市川塩浜側)の高谷支線(こうやしせん)、東側(南船橋側)の二俣支線から成り、この2支線が当駅北西で合流後、西船橋駅まで伸び、武蔵野線と繋がっている。そこを経由して武蔵野線が直通して来るが、線路のルート上、当駅には来ない。これらの支線は京葉線の支線だが、専ら武蔵野線直通に使われ、事実上は武蔵野線の線路と言ってもいい状態。 ※高谷支線の「高谷」(こうや)はやや難読で漢字変換も難しいが、2018年に外環道が延伸して誕生した高谷JCT(こうやジャンクション)によって、読み方の知名度が若干上がったと思われる。高谷JCTは京葉線デルタ線の西南西の方にあり、地図上で仲良く並んでいるようにも見える。いずれも「東西移動を担う主要幹線から環状線が北へ分岐する」という似た機能を持っており(片方は首都高速湾岸線・東関東自動車道から外環道が、もう片方は京葉線から武蔵野線が)、道路・鉄道のそれぞれにおける似た存在と言える。 当駅には元々武蔵野線が来ないだけでなく、周りが工場地帯なのもあって、そこの従業員くらいしか利用者がいないことから、京葉線の駅の中で最も利用者が少ない(2017年現在)。ただ、周りに何もないわけではなく、やや遠いが駅南側には三番瀬の公園があるという。駅の真北には二俣団地という住宅団地もあったが、二俣小学校を残して2017年に取り壊され、跡地に物流センターが建った。駅周辺の数少ない居住エリアが更に減り、付近は一層、工場地帯の色が強まった。 東京方面で隣は市川塩浜駅、2つ先は新浦安駅。また、蘇我方面で隣は南船橋駅、2つ先は新習志野駅。ちなみに、南船橋駅付近にはIKEA船橋という巨大な家具店やららぽーとTOKYO-BAYがある。かつてIKEAの敷地にはSSAWS(ザウス)という巨大な屋内スキー場が建っており、当時世界最大・史上最大の伝説級の建造物だったが、営業は1993~2002年までと10年も持たずして廃業してしまい、その跡地にIKEAとマンションが建った。

▼関連写真 

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駅舎。周りは閑散としていた。【撮影日:2016/08/21】

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駅前には、やたら長い日よけ(雨よけ?)があった。【撮影日:2016/08/21】

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当駅改札口。こちらも閑散としていた。周りには工場しか無いイメージだったが、「ふなばし三番瀬海浜公園」という公園の最寄り駅だという(ここから南にある)。写真では切れてはいるが、写真右端にこの公園への案内が書いてあった。※三番瀬(さんばんぜ)は、その公園の南に広がる、東京湾の中でも巨大な干潟。初めは埋め立てられる計画があったが、保全運動の甲斐あって、埋め立ては免れた。【撮影日:2016/08/21】

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当駅ホームと駅名標。本当に人が少ない。【撮影日:2016/08/21】 追記: 長らく駅番号(駅ナンバリング)を導入してこなかったJR東日本も、2016年8月から順次導入を始めたそうで、この駅名標もいつかは駅番号付きのものに付け替えられるかもしれない(撮影日以来行っていないので、もう替わったかどうか不明)。

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この駅のすぐ脇(東)には、武蔵野線へ分岐する二俣支線の高架があり、デルタ線を形成している。そのコンクリート構造物は複雑だった(写真はホームの東端から)。京葉線は元々貨物線として造られたため、デルタ線だったりこういう特異な構造物だったりが散見される。この複雑な構造物は、後に京葉線を複々線化しやすいように考慮してデルタ線を作ったために生まれた。複々線化する時、海側の線路増設は構造上簡単だが、内陸側に増設する時にこれを考慮せずにデルタ線を作ってしまうと、内陸側の増設線路が二俣支線をくぐれなくなるため、予め内陸側にくぐるスペースを設け、こんな要塞のようないかつい構造物となった。その事は、この構造物を真上から見た形にも表れている。写真左奥にも、線路増設のための床が写っている。こうした複々線化の準備工事は、ここのみならず、新習志野・海浜幕張・蘇我方面の高架など他にも広く見られる。京葉線開業後にも実際に複々線化計画が持ち上がり、そのための用地も多く確保されていたが、後に頓挫し、用地の一部は別の施設に転用されてしまった。しかし、今でも浦安市などが「りんかい線との直通のために京葉線の複々線化は必要」としているなど、複々線化の話は完全に消えた訳ではない。【撮影日:2016/08/21】

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当駅ホームから。南船橋からやって来て、デルタ線(二俣支線)を通って西船橋へ向かう武蔵野線が見えた。【撮影日:2016/08/21】

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