新がつく駅地図手帖

新行徳駅(仮称)


最終更新: 2025/04/02

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新行徳(仮称)しんぎょうとく行徳千葉県
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廃止
1988年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR東日本京葉線(JE)普通鉄道
JR東日本京葉線高谷支線(JE)普通鉄道
JR東日本[直通]武蔵野線(JM)普通鉄道

▼備考 

1988年に開業した京葉線の駅で、駅番号はJE09。開業前の建設中は「新行徳駅」の仮称で呼ばれていたが、1988年に実際に開業する時は、正式駅名を「市川塩浜駅」(いちかわしおはまえき)とした。仮称の由来は、ここから北西の内陸部に先に開業していた営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線の行徳駅で、それに「新」を付けたものと思われる。※因みに当時、妙典駅は無かった。 当駅が出来る前の遥か昔、1940年代くらいまでは周辺に行徳塩田という塩田が広がっており、盛んに塩が作られていた。行徳での製塩業は古代(一説には奈良時代)から続いており、江戸時代には幕府の保護もあって栄えた。江戸市街と行徳塩田を船で安全に東西に行き来できるようにする為、江戸初期には小名木川や新川などといった運河も掘られ、江戸市街~小名木川~新川~江戸川(現・旧江戸川)~本行徳間の航路は塩や成田山参詣客などを運搬する重要な水運を担った(これにより、小名木川は「塩の道」とも呼ばれた。ただ、今の小名木川はかなり内陸にあるものの、当初は海岸が近く、後の埋め立てで海岸線が遠のいている)。明治時代にこの航路が荒川放水路で分断された後も、小松川閘門や船堀閘門などによって塩の運搬船の往来は続いた。しかし、行徳塩田は明治時代には既に衰退しつつあり、20世紀には台風被害なども受けて遂に放棄され、消滅。今は埋立地として完全に潰されている。しかし、かつて行徳が塩田による製塩で栄えた事に因み、当駅名を「塩浜駅」(しおはまえき)とする案が出された。ただ、そのままでは既に塩浜操駅や三重県の同名の駅などが存在した為、重複を避けて市名の「市川」を冠し、現駅名に決まった。 ※但し、実際の行徳塩田の場所(今昔マップ、敬称略による)は、現在の当駅付近ではなくむしろ二俣新町駅付近にあった。リンク先の当時の地図を見ると、海側に水田ではなく砂のような表示になっている場所があるが、そこが行徳塩田だった。当駅の場所からは離れているが、そこも当時は東葛飾郡の行徳町だった。また、より東の津田沼側にも製塩の試験場が置かれていたらしく、「塲驗試沼田津所査調業鹽」(塩業調査所津田沼試験場)との表記も見える。地図の年代を進めると、徐々に水田へ転用されたり海へ水没したりして、最終的には埋立地の一部になっている。 一方、当駅の場所は当時遠浅の海で、特に何も無かった。そして、その内陸(北西)側には、新浜鴨場(しんはまかもば、新浜御猟場とも)や丸浜養魚場(PDF)というのがあった。1936年頃の航空写真で、養魚場と新浜鴨場を確認できる。新浜鴨場は現在も宮内庁管理の施設として現存するが、養魚場は福栄4丁目の埋立地になっている。現在は新浜鴨場と当駅の間に行徳鳥獣保護区という区域も挟まっており、鳥獣保護区と新浜鴨場は併せて「行徳近郊緑地」とも呼ばれる。また、当駅の東側は今も海で、環境保護活動により埋め立てを免れた三番瀬が広がる。 京葉線において、当駅の西隣(南西)は新浦安駅、東隣(北東)は二俣新町駅となっている。また、二俣新町駅付近には京葉線と武蔵野線が直通する為のデルタ線があり、西船橋駅方面への京葉線の支線である高谷支線が分岐している(デルタ線のうち、二俣新町駅のある部分が京葉線の本体、当駅寄りの西側が高谷支線、反対の東側が二俣支線)。高谷支線の線路は江戸川放水路を渡った先の高谷JCT付近で分岐するが、書類上は当駅が高谷支線の分岐駅とされている。高谷支線は正式には京葉線の一部だが、実際には武蔵野線直通列車のみが走る為、旅客上は武蔵野線であるかのように案内される。 京葉線は一斉にではなく徐々に開通した歴史があり、まずは西船橋~(二俣支線)~南船橋~千葉港(現・千葉みなと)(~蘇我)駅間の第1期線が1986年に開通。つまり、まだこの頃はデルタ線は無く、線路は二俣支線部分とそれ以東のみだった。その後遅れて1988年になると、第2期線として、西船橋・南船橋両駅から分岐し、当駅を経由してから新木場駅まではるばる西へ伸びる線路も開通した。この時、武蔵野線との直通も開始。こうして、新木場~蘇我間の京葉線とデルタ線が揃った。そして、更に2年経った1990年には、第3期線として新木場から更に西への延伸も行われ、新木場~潮見~越中島~八丁堀~東京駅間が開通、これにて京葉線は全通した。 ※徐々に開通したこの経緯から、正式には京葉線には起点駅と終点駅が3セットずつある事になっている。まず、第1期線に因んで起点西船橋駅~終点蘇我駅、第2・3期線の大部分に因んで起点東京駅~終点南船橋駅、残る高谷支線の部分が起点当駅~終点西船橋駅、とされている。ただ、これは書類上の話で、実際の運行は特にこれに縛られない。

▼関連写真 

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