新がつく駅地図手帖

曽根崎新地駅(旧称・廃駅)


最終更新: 2023/07/02

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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曽根崎新地(旧称・廃駅)そねざきしんち大阪府
開業*開業年クリックで、
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1908年1963年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)南北線(15系統)×路面電車
大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)南北線(1系統)×路面電車
大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)南北線(4系統)×路面電車
大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)福島曽根崎線(13系統)×路面電車
大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)福島曽根崎線(16系統)×路面電車
大阪市交通局大阪市営電気鉄道(大阪市電)福島曽根崎線(17系統)×路面電車

▼備考 

大阪市電南北線・福島曽根崎線にあった駅。南北線はこの交差点の南北方向(四つ橋筋)、福島曽根崎線は東西方向(曽根崎通)を走っていて、当駅で接続(クロス)した。当駅の場所は現在、桜橋交差点となっている。 まず1908年に、南北線の開業と共にこの駅名で開業。1912年には福島曽根崎線も開通し、同時に「桜橋交叉点駅」へと改称。その後、1912~1915年の間に、「桜橋駅」へと再改称された。南北線ですぐ北隣が大阪駅前駅、福島曽根崎線ですぐ東隣が梅田新道駅だった。 かつての当駅名である「曽根崎新地」は、現在JR東西線の駅として存在する北新地駅の駅名と同じ地区を指す。「北新地」、別名「曽根崎新地」は、歓楽街・遊郭として栄えた歴史のある街。但し、地名としては現在、正式には「根崎新地」の表記が使われている。通称で単に「新地」と呼ばれる事も多い。 ところで、「曽根崎」(曾根崎)は1897年以前の古い村名で、そこを舞台にした「曽根崎心中」という江戸時代の人形浄瑠璃が良く知られている(歴史の教科書に載っている)。今も、ここからほぼ真東にある梅新東交差点の北側一帯に、曾根崎一丁目・二丁目の地名が残る。また、曽根崎地区と堂島地区の間の一帯にはかつて曽根崎川という川が東西方向に流れていたが、後に埋められた。その川は当駅から見ると真南を流れ、そこで四つ橋筋が曽根崎川を渡る部分に架かっていた橋の名前こそが、「桜橋」(旧字体だと「櫻橋」)だった。この橋の名前が、後に改称後の当駅名、及び現在の交差点名の由来になっている。南の方には今も、「元 櫻橋 南詰」と書かれた碑が建つ。 大阪市電南北線は、大阪駅前~当駅~新町橋四つ橋湊町駅前~賑橋(西詰)~難波駅前~恵美須町間をはるばる南北に結んでいた。北側の大半は主に四つ橋筋、難波駅前付近はなんさん通り、残りは日本橋筋(にっぽんばしすじ)に沿って走った。それどころか、四つ橋筋となんさん通りはこの南北線建設を機に整備された道路でもあった。 また、南北線には上記の本線とは別に、大阪駅前から御堂筋へ向かい、梅田新道・大江橋へと伸びる御堂筋支線もあった。つまり、大阪駅前から四つ橋筋方面の本線と御堂筋方面の支線という2方向へ南北線が伸びていた。更に、大江橋から先の渡辺橋まで伸びる中之島支線というのもあった。 ※当初、大阪駅は地元で「梅田停車場」「梅田すてんしょ」などと呼ばれていたため、大阪市電も北隣は「梅田停車場前駅」を名乗っていた。その後、1926年に「大阪駅前駅」へと改称されている。 ※大阪の大きな道路の名前では、南北に伸びる道路には「」(すじ)、東西に伸びる道路には「/通り」(どおり)が付けられる。御堂筋・四つ橋筋などは前者、曽根崎通・なんさん通りなどは後者で、ちゃんとその通りの方角に伸びている。碁盤の目状の街ならではの名付け方。また、御堂筋・四つ橋筋を含む4つの筋では、交通の流れをスムーズにするため、一方通行が実施されている。反対車線が存在せず、例えば御堂筋は南方向、四つ橋筋は北方向へしか車を走らせる事ができない。

▼関連写真 

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