新がつく駅地図手帖

北新地駅


最終更新: 2023/07/02

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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北新地きたしんち大阪府
開業*開業年クリックで、
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廃止
1997年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR西日本JR東西線(H)普通鉄道
JR西日本[直通]東海道本線(JR神戸線)(A)普通鉄道
JR西日本[直通]片町線(学研都市線)(H)普通鉄道
JR西日本[直通]福知山線(JR宝塚線)(G)普通鉄道

▼備考 

駅番号JR-H44の、JR東西線の駅。地下駅で、ホームは特に深い海面下23.95mにあり、JR西日本の駅の中で最も海抜が低い駅だという。当駅は地下通路で付近の多くの駅と繋がっているので、乗り換えにも使える(大阪駅や阪急/阪神大阪梅田駅、地下鉄梅田駅・西梅田駅・東梅田駅などと繋がる)。しかし、乗換先があまりにも多く、しかも地下なので迷いやすい。駅以外にも広大な地下街が広がり、そのフロアの増改築や改修も激しいため、更に迷いやすい。これは梅田ダンジョン呼ばれる事も多い。ダンジョン内は中途半端な段数の階段も多く、余計な上下移動をさせられる点も、迷いやすさに繋がっている。 ※階段の多さには、付近の地盤が関わっている。付近はかつて低湿地で、後述する曽根崎川など今よりも多くの川が流れていた事もあり、水気が多く、地盤が悪い。湿地を「埋め立ててんぼにした」という意味の「埋田」が「梅田」の語源である、という説も有名。そのため、昭和以降に付近で地下水を汲み上げすぎた結果地盤沈下が起こり、大阪駅や地下街の床や構造物のあちこちが変形してしまった。こうして生まれた段差を階段化したのが、上記の階段となっている。ところで、地下水汲み上げによる地盤沈下は、東京でも起こっている。 当駅名となった「北新地」は街の名前でもあり、当駅の南側に広がる歓楽街。関西では、歓楽街の名前として「新地」が付けられる傾向があり、他にも「大阪五大新地」などというものもある(調べるなら自己責任)。飛田新地などが有名で、「○○新地」という地名は歓楽街や遊廓・花街などの名前として疑った方が良いという。関西以外にも、かつて歓楽街や花街だった事例として二子新地千葉新地などがある。北新地の場合、元々はここから曽根崎川を挟んですぐ南にあった「堂島新地」の遊郭がこの付近へ移転して来て、「堂島より北の新地」と呼ばれたのが名前の由来という(江戸時代の事)。遊郭としての北新地は別名「曽根崎新地」とも呼ばれ、これは後に大阪市電の駅名(電停名)にもなった。曽根崎川は大江橋付近で堂島川から北側へ分岐し、下流側で再び堂島川へと合流していた川で、当初の堂島は曽根崎川と堂島川に囲まれていたため文字通り本当に島だった。しかし、明治以降に埋め立てられ、堂島は陸続きになった。当駅南側一帯には、新地本通(北新地のメインストリート)と堂島上通の間に挟まれた区画が東西へ妙に細長く伸びているが、これが曽根崎川の跡。 当駅を走るJR東西線は、尼崎駅と京橋駅を東西に結ぶ路線。大半が地下になっている。尼崎以西の福知山線と、京橋以東の学研都市線を繋いで相互直通させる事で、周辺の既存路線の混雑を緩和させる目的で作られたという。現在は西明石行き等、JR神戸線への直通もある。JR東西線内では当駅が大阪駅相当の役割を果たし、当駅下車用の定期券が大阪駅の下車でも使えるという特例もある。JR東西線を運営しているのはJR西日本だが、実際に建設し、所有(保有)しているのは関西高速鉄道(株)。JR東西線で当駅の隣には新福島駅もある。 ※当駅には、特定都区市内駅制度のために、「特別下車」という特例も設けられている。特定の条件を満たすと、大阪駅~当駅間の徒歩移動のために改札外へ出ても、乗車券を回収されずに済む。似たような特別下車の特例が、新神戸駅にもある。 ※JR東西線には、路線記号「H」と、桜桃色のラインカラーが指定されている。 ※2020年現在、日本一海抜が低い駅は東京駅の京葉線ホームで、海面下29.19m。かつては吉岡海底駅だったがそれは廃止された。 ※関西高速鉄道は、なにわ筋線の建設主体も担当する予定。 ※昔はこの近辺に、大阪市電の桜橋駅梅田新道駅などもあった。

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