新がつく駅地図手帖

新浜駅(廃駅)


最終更新: 2022/09/01

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新浜(廃駅)しんはま香川県
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1928年1947年

▼この駅を走っていた路線 

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琴平参宮電鉄坂出線×普通鉄道

▼備考 

琴平参宮電鉄の坂出線にあった駅(厳密には停留所、後述)。西隣が宇多津新町駅、東隣が富士見町駅(ふじみちょうえき)だった。そして、東へ2つ隣が終点の坂出駅前駅だった。坂出線は、坂出駅前を西へ出発すると、当駅を過ぎるまで暫く国鉄の予讃線と並んで走っていた。当時の予讃線は築堤の上を走る地上線で、同じ築堤の上を坂出線も通っていたが、後の予讃線の坂出駅付近の高架化(1997年)で築堤は切り崩され、今は景色が変わっている。 今昔マップ(敬称略)に収録の1928年の地図で、当駅を示す記号を見る事ができる。また、周辺には当駅名と同名の地名もあった事が分かる(旧字体の右書きで「濱新」とある)。現在も周辺は「新浜町」と言い、ここには「新浜町」(しんはまちょう)というバス停もある。 琴平参宮電鉄(ことひらさんぐうでんてつ、略称は「琴参」)は、主に瀬戸内海沿岸の坂出・宇多津・丸亀・多度津の各都市と、南方にある金刀比羅宮(ことひらぐう、所謂こんぴらさん、立地は琴平町)を結んでいた鉄道路線。略して「琴参」とも呼ばれ、1963年まで存続した。坂出~当駅~宇多津新町~宇多津駅前~丸亀通町駅間の「坂出線」と、丸亀通町~善通寺赤門前駅間の「丸亀線」、多度津桟橋通~善通寺赤門前駅間の「多度津線」、善通寺赤門前~琴参琴平駅間の「琴平線」の4路線があった。その全貌は、減速進行が分かりやすい(敬称略)。これらは1923~1928年にかけて開通し、丸亀線と琴平線は路面電車スタイルの軌道線、それ以外は鉄道線だった。軌間は1067mmで、車両は全て路面電車タイプのものが走った。 多度津~琴平間には既に、国鉄の讃予線(現・予讃線と土讃線の一部)があり、ルートももろ被り・競合していたが、国鉄が非電化の汽車(SL)だったのに対し、こちらは電化路線だった。しかし、競合相手は国鉄だけではなく、琴参全通の前年(1927年)に先に開通していた別の私鉄である「琴平電鉄」(琴電、現・高松琴平電気鉄道=ことでん)、更に後から1930年に開通した「琴平急行電鉄」(琴急)の存在もあった。国鉄と琴参は多度津~琴平間を結んだのに対し、琴電は高松~琴平間、琴急は坂出~琴平間を結んだ。特に、後から開通した琴急の線路は坂出~琴平間をダイレクトに結んだのに対し、琴参は坂出~琴平間の途中で当駅・宇多津・丸亀に寄り道していた分遠回りで、競合に苦しんだ。しかも、金刀比羅宮のある琴平を目指す鉄道会社は国鉄・琴電・琴参・琴急と4社にも及び、いくら参拝客の多いビッグな神社とは言え、需要に対してあまりに過剰となった。そのため、これら4つは苦しい命の削り合いをする事になった。各路線の位置関係も、減速進行の図が分かりやすい(敬称略)。 ※更に、同時期に起こった昭和恐慌も各社の経営を苦しめた。 過剰な競合のうち、先に滅んだのは競合相手の琴急だった。琴急は坂出~琴平間をダイレクトに結んではいたものの、瀬戸大橋の無い当時港町として重要だった多度津や高松を通る国鉄・琴参・琴電に対し、比較的重要性の低かった坂出しか通らない上に過疎地域を通過していた琴急は、ただでさえ激しい競合に大苦戦。その後戦時中(1944年)に不要不急線とされ、休止された。こうしてオワコンとなった琴急は、会社としては戦後に琴参に吸収合併されたが、その路線は結局休止後も運行再開される事は無く、廃線(1954年)。 ※この間、当駅はひっそりと1947年に廃止。 しかし、次に滅んだのが当駅の所属した琴参だった。戦中に既に苦戦していた琴急に対し、琴参は戦後のモータリゼーションや、多度津港の港としての地位低下を受けて苦戦するようになった。ただでさえ多度津~琴平間は国鉄と被る上、港としては高松港の方が優位に立つようになり、その高松と琴平を結ぶ琴電も優位に立った(これは、宇高連絡船の存在が大きい)。こうして琴参は競争に負け、琴参の各路線は1963年に廃線した。以降、琴参はバスのみを運営する会社となり、廃線跡の多くは道路化された。 その後は現在に至るまで、琴平への鉄道は国鉄の後身であるJRの土讃線と、琴電の後身である高松琴平電気鉄道(ことでん)の琴平線の2路線となっている。一方、琴参はその後2000年代までバス会社として存続したが、これも2008年には低迷したため、バス事業を琴参バス(株)という新たな別会社へと移した。その後、琴参自体は2009年に解散、会社としては消滅した。 ※廃線鉄道寮(敬称略)によると、琴参の停車設備には「」と呼ばれるものと「停留所」と呼ばれるものが混在していたらしい(リンク先では、停留所名がカッコ書きになっている)。「停留所」は、恐らく路面電車の電停程度の簡易な設備しか無かったものと思われる。当駅も、どちらかと言うと停留所に該当したらしい。しかし、インターネット上にはこの停留所を省いたデータが圧倒的多数で、停留所の存在についてしっかり触れているサイトは廃線鉄道寮のみだった。当駅(当停留所)の廃止年も、廃線鉄道寮内の記述により判明。 ※当駅東隣の富士見町駅の駅名の由来となった地名は、そこから南方の讃岐富士(飯野山の別名)が一望できた事から。 ※茨城県の鹿島鉄道線にはかつて「浜駅」という駅があったが、当駅とは直接の関係が無い上、「新浜」で1つの地名であるため、新抜き駅扱いしていない。

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