新がつく駅地図手帖

新高島平駅


最終更新: 2023/03/18

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新高島平しんたかしまだいら高島平東京都
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廃止
1976年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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東京都交通局都営地下鉄三田線(I)地下鉄
東急電鉄[直通]東急新横浜線(相鉄・東急直通線)(神奈川東部方面線)(SH)普通鉄道
東急電鉄[直通]東横線(TY)普通鉄道
東急電鉄[直通]目黒線(MG)普通鉄道
相模鉄道[直通]いずみ野線(SO)普通鉄道
相模鉄道[直通]本線(SO)普通鉄道
相模鉄道[直通]相鉄新横浜線(相鉄・東急直通線)(神奈川東部方面線)(SO)普通鉄道

▼備考 

駅番号I26の、都営三田線の駅。地下鉄だが、この駅は高架区間にある。東急目黒線は、目黒駅以南から直通して来る。将来、相鉄・東急直通線も直通予定。 初めは東隣の「志村駅」(現・高島平駅、後述)が終点だったが、1976年に当駅・西高島平駅まで延伸された。この2駅は、都営地下鉄初の自動改札機が試験的に設置された駅でもあったという(自動改札機は約9年前に日本で発明されたばかりで、当時は改札自動化の過渡期だった)。また当時、路線名は都営6号線だった。 南側一帯には、高島平団地という巨大な団地が広がっている。高島平団地は、マンモス団地とも呼ばれる巨大な団地。現在は、その高層アパート群の圧倒的規模や棟数、レトロ感、高層団地の下層階に昭和の雰囲気の残る巨大商店街(中央商店街)があるなど、団地として独特な魅力がある。中央商店街は、団地の高齢化と衰退が社会問題になっている現代でも賑わいを見せている貴重な成功例でもある。 当初、東隣の高島平駅が終着駅だという陰鬱なイメージや、高島平団地の高層アパートの多さから投身自殺が多発し、一時期は自殺の名所とも言われたという。そこで、1976年に当駅と西高島平駅を新設して路線を伸ばしたところ、自殺が減っていったとする都市伝説があった。但し、実際には1977年に起きた女子高生による自殺が報道されたのがきっかけで、むしろそれ以降、1980年代にかけて逆に自殺が増えたので、路線延伸が影響したとするこの伝説には根拠が無い。また、自殺が多かったのは過去の話で、今は高層アパートに落下防止の鉄柵が徹底的に設置された事で自殺は激減し、普通の栄えた団地となっている。そもそも自殺者の大半が報道に釣られてやって来た団地外の人だったので、元から住んでいた住民にとっては自分の団地が一方的に自殺の名所として仕立て上げられた事になり、迷惑だったと思われる。 東隣の高島平駅は当初「志村駅」を名乗っていたが、本来「志村」とはここからもっと東南東の、環八・中山道寄りの地域を指すため、そこから大きく外れた場所に「志村駅」が設置された事への地元民の不満や苦情が殺到した。本来の志村は江戸時代には既に栄え、かつては中山道沿いに都電志村線も走っていた一方、新設された志村駅周辺はそこから大きく西へ外れ、新設直前までは水田地帯だった。当時の志村駅周辺では、その水田を潰し、高島平団地の建設真っ最中でもあった。そのため、「志村駅」という駅名は不適切とされ、翌年(1969年)には現駅名の「高島平駅」へと改称されている。1970年代の航空写真には、まだ東隣の高島平駅が終点で、当駅・西高島平駅が建設中の様子が写っている。まだ出来立てほやほやの高島平団地を除き、周辺は更地が多かった事も分かる。 ※当駅から東に2つ隣の西台駅も高架駅で、その北側には、都営西台団地も広がる。高島平団地も西台団地も、大きな高層アパートが並ぶ。そして、西台団地は、都営三田線の志村車両検修場という車両基地の真上に建設されている。つまり、団地の1階が車両基地で、2階の巨大なペデストリアンデッキのような空間(人工地盤)の上に団地が広がっている。かつてはその人工地盤上に、高島第四小学校もあったという(2002年に廃校し、今は駐車場になっている)。この構造は全国的に見てもレアなため、知る人ぞ知る珍名所になっている。 ※都営三田線には他に、新板橋駅もある。 ※昔は都営三田線をここから西の方へ延伸させ、和光市駅まで繋げる構想もあったが、今は頓挫している。 ※当駅は、横浜の新高島駅とは異なる。

▼関連写真 

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