新高島駅
最終更新: 2022/04/01
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新高島 | しんたかしま | 高島(旧称・廃駅) | 神奈川県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
2004年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号MM02の、みなとみらい線の駅。横浜駅はすぐ隣。2017年現在、上図ではストリートビューで当駅の中を見られる。
周辺は横浜みなとみらい21(みなとみらい)の再開発区域の北西部で、横浜アンパンマンこどもミュージアムなどといった新しいビルや施設が多く建っている。当駅すぐ北西側には京急の新しい本社ビルも建っていて、2020年1月21日にはその1階に京急ミュージアムも開業している。かつての京急本社は泉岳寺交差点の南東辺り(開業前の高輪ゲートウェイ駅の北西辺り)の場所にあったが、2019年に移転して来た。
みなとみらい線は東急東横線の延長のような存在で、横浜駅から南下してみなとみらい地区を経由し、「元町・中華街駅」まで伸びる地下鉄路線。正式な路線名は「みなとみらい21線」だが、あまり聞かない。
2004年までは、東急東横線が高架で横浜駅に入り、その後根岸線に沿って高島町駅、桜木町駅と伸びていたが、みなとみらい線開通と同時にその旧線は廃止され、今は横浜駅を境に、みなとみらい線と東急東横線(その先の副都心線・東武/西武線とも)が相互直通運転をしている。旧線上の高島町駅に対応する新駅として当駅が開業したが、今もブルーラインに同名の「高島町駅」があるので、混同を防ぐ為に「新」が付けられた。実際、旧線の高島町駅は当初「高島駅」だった為、これを新抜き駅とした。また、かつて当駅周辺には同名の「高島駅」という貨物駅もあり(後述)、そことの重複も考慮したと思われる。
はるばる東武・西武・東京メトロの車両もやって来る為、本数も車両の種類も多いが、みなとみらい線自身の車両もある(電車の顔にみなとみらい線のロゴマークの「M」が付いている)。当駅から新丸子駅の方へも行ける。
ちなみに、付近の東横線旧線の遺構は根岸線と並び、10年以上経った今でも根岸線の車窓から見られる(高島町駅跡も残る)。この旧線跡は将来、遊歩道化される計画がある。新太田町駅跡付近は既に遊歩道化済み。
また、みなとみらい線の馬車道駅(ばしゃみちえき)は開業前、「新桜木町駅」とするよう要望があったというが、却下されて現駅名となった。
※当駅付近ではみなとみらい線のトンネルが東西に伸びているが、付近を南北に貫く通称「高島線」というJRの貨物専用トンネルも通っている。但し、みなとみらいの誕生前はここはトンネルではなく、地上を走る高島線の「高島駅」という巨大な貨物駅があった(1970年代の航空写真には、その高島駅が写っている)。他にも、付近一帯には横浜港に付随する多くの貨物駅群や貨物線群が通っていた(横浜臨港線や山下臨港線など)。貨物線は横浜赤レンガ倉庫前へも伸び、横浜港駅(よこはまみなとえき)は一時期旅客も扱った(ボート・トレイン)。しかしこれらは戦後、貨物輸送が鉄道からトラックへと移行するにつれ、廃止。廃線跡は、横浜博覧会のイベント列車が使用した後、みなとみらいの誕生する頃には汽車道(きしゃみち)や山下臨港線プロムナードなどといった遊歩道として整備された。
※ところで、高島町駅や当駅の駅名の由来になった周辺の地名は、高島嘉右衛門という人名が由来だという。新橋~品川~横浜(現・桜木町駅)間の日本初の鉄道を敷く工事のうち、新橋~品川間と横浜手前の一部は当時海で、その海の上を築堤で埋め立てて線路を通したのだが、横浜側の築堤建設で活躍したのが、当時の地元民の彼だった。その功績から、彼が建設に携わった地区周辺を彼に因んで「高島町」と呼ぶようになった。彼の名が当駅にまで響いていると考えると感慨深い。彼は日本鉄道設立のきっかけとなった東北本線建設の必要性を最初に政府に訴えた先見の明のある人でもあった。
※当駅周辺ではイベントも多く開催される為、遠方から当駅へとやって来る客も多い。しかし、東京都の都営三田線には「新高島平駅」という紛らわしい名前の駅があり、当駅と勘違いして誤って新高島平駅の方へ降りてしまうトラブルが度々起きている。しかも、かつては「みなとみらい号」という三田線~みなとみらい線間を直通する臨時列車もあり、今も線路は両駅とも繋がっている為余計紛らわしい。
※当駅近くのトンネルに変状が見られた為、2012~2015年の間にその補強工事がなされた。また、当駅には高島綾乃というキャラクターがいる。 ▼関連写真